第37話 ヤミは闇へと。自らの深淵を垣間見る

 


 白い天井。二本の蛍光灯。


 一人で寝るには広いダブルベッド。乱れるシーツ。その上で手を広げたり、握ったりと拳を繰り返す男の手。シーツに身を預け、深い呼吸と浅い呼吸を繰り返す。

 魘されるヤミの声は小さく、額に汗が滲んでいた。

 浅いか深いか分からないが眠りに落ちるヤミ。

 夢の闇へと沈む。


「こコは?」

『やぁ、何回目の再開でしょうか。ヤミくん』

「おまえ」


 ヤミの前には白髪混じりの銀の長髪、赤い瞳を持つ白肌の端整な顔がある。


「銀? か」

『何に見えます?』


 銀龍は静かにヤミににじり寄る。

 ヤミが後退あとずさると、下には波打つ崖が広がっていた。


「なっ」

 

 ヤミは地面に手を尽き、海を見下ろす。崖っぷちぎりぎりにヤミは叩き伏せられた。

 ヤミは身体を起こそうとするも、押さえ込まれる。そんなヤミの姿に銀龍は嘲笑う。


『ここは僕が操れる場でもありますが君の深層心理でもあります』


 力で捻じ伏せられたヤミは何も出来ず、荒く波起つ海を見下ろす。


『フフン、また寒々とした荒波に身をやつすんですね君は。癒されることもなくかわいそうでう』

「俺ヲ離せ」

『やですよ』

「そもそもお前は翔にだろうが。何故俺のトころに居る?」

『翔クンに頼んで回線を引いて貰ったのです。貴方の心理に』

「翔に?」

『あの子は今、脆い存在です。別人格と気が合えばすぐ意識は「『僕の配下です』」』


 銀龍の語尾が、二重の音をきだす。


『でも、それをみなとと【停止装置ストッパー】が邪魔をする』


 銀龍は厭らしい笑みを見せた。

 躊躇うヤミの気持ちを無視し、銀龍は話し続ける。


『ネェ、君は降龍なのになぜおひいの、あの祖母の配下なのです?』

「?」

『彼奴らに仕えるのは昇龍……級の者か上級巫女』

「それは」

『お前の名も俗名ですね』

「違う!」

『ほう、慌てました』

「本当に違う。この名は元だ」

『ふーん、まあそうしておきましょう……。貴方がおひいに仕えるのはおひいが好きだからですか』

「そうダ!」

『ふうん……瞳海沙みなさの替わりでは?』

「……」


 銀龍は陰鬱な表情を浮かべ、ヤミの頭を離した。


「おいっ、先ほど声が上擦ったな!」

『それが何ですか?』

「まさか、既にもう一つの人格を造り出しているのか」

『無きにしもあらず……』

「!!!」

『あら、怖い顔です』


 ヤミは銀龍の着物の衿を摑み、怒る。キッと銀を睨み「おいっ」と、一言吐きだす。


『瞳海沙とみなとの対策ぐらい僕にも造らせてください』

「何を抜かす!」

『ふーん、自分の正体も解らない不届き者が手を離してください』

「俺ハ俺だ。変なことを言うな」

『では、先に翔クンを何とかしなさい。あの危うい存在を』

「なにぃい?」

『それから考えればいい』

「?」

『ふふ、今日は用事があり、君と繫いで貰いました』

「!?」

『僕の存在意義を君に問いたくて──君にです!!』


 銀龍は言葉を零し、白髪をヤミに向けて放った。ヤミは一瞬で髪に絡まるも、鎌鼬カマイタチを放ち斬りつけ解く。体勢を整え、直ぐさま鎌鼬を銀龍に打つが透かさず、避けられてしまう。


「いきなり何を!」

『知ってますか? ここで傷を負うと現実でも……』

「さセるか! 蛟竜ミズチ


 ヤミの叫びに、蛟竜が応えた。銀龍に襲い掛かる。

 銀龍は白髪で蛟竜を斬り払う。


『そう! それです。下級降龍の者が召喚術ですか』

「??」

『やはり! 貴方は御自分の価値をご存知ない』


 斬られ、追い詰め、斬られ!

 召喚、鎌鼬、召喚!


 繰り返される『住人』とヤミの攻防戦。互いに譲り合わない能力ちからの押し合いは尽きない。

 銀龍の髪はヤミを追い詰め、出された蛟竜は全ての髪を払い退ける。

 やがて互いの攻防戦は、ヤミが招いたミスで住人を優位に招いた。

 足を踏み外したヤミを銀龍の髪が捕らえ、ヤミを引き寄せた。


「何がイいたい」

『貴方を取り込めばもう一つ。人格が容易く造れる上に黒龍にも勝るとも劣らず! です』

「俺を取リ込み、翔ヲ乗っ取るのか」

『そのつもりでもあります』

「!?」


 ヤミは、持てる力の限りを繰り出した。銀龍の髪を鎌鼬は薙ぎ払い、蛟竜は身体に当たる。手こずるもやっと銀龍から解放され、間合いを取り直した。

 ヤミは銀龍と肩を押し合う。


 二人は啀み合う。


 翔を軽く視る者と重んじる者、双方の意見は食い違う。

 歯を食いしばり、銀龍を睨み据えるヤミの耳にふと音色が響く。


 鈴の音一輪。


 睨み合う二人に、水の波紋が広がった。足元に、周囲に、綺麗に広がる波はやがて音色に繋がる。優しい音色でもあり、咎めるような凛とした音の響波。


『鈴!』


 銀龍は音色に身体をビクッと、萎縮させた。縮こまり、恐怖を感じる銀龍の足元からヌウゥと翔が姿を顕す。


「よう……好き勝手してるじゃないか銀。人の夢に入るとは……」

『!!』

「!? 翔?」


 二人の間合いに翔が入り、腕を伸ばすと雷を弾いた。銀龍とヤミは閃光に撲たれる。


「ヤミ、すまない。俺が隙を見せたばかりに」

「しょ……ではなく、『停止装置ストッパー』か?」


 ヤミの言葉に人格はニヒルに笑う。


「さあ! 銀。戻ろうか俺の中に」

『いやです。まだここッ! グゥ』


 銀龍は人格に首を持ち上げられ抵抗できず、れるがままにいる。

 鈴の音が大きく反響し「凛ィン」と音の網が広がった。人格は銀龍の首をさらに強く絞め、呪言ノリトを唱えた。


一二三、笑二三、ちりもぅせるひふみ、えふみ、 散りも失せる散!!」


 銀龍の姿が霧散するかのように、翔の手の中に消えていく。


「フン!」

ストッパー、お前」

「ごめん、まさかここまで隙を作っていたとは迷惑かけたお前の夢に……邪魔したな」

「いや、別に」

「……本体の人格は俺以外はない。安心しろ」

「あぁ、そうか」


 ヤミは人格の言葉を聞き、翔の肩を軽く叩き苦笑する。

 翔はそんなヤミに優しく微笑む。


「ついでに一つ忠告」


 人格はヤミの前髪を摑み、額を重ね瞼を閉じる。


「お前さぁ、もう少し自分を視ろよ」


 ヤミは翔の言葉に反応すると瞳を大きく、開く。

 翔と瞳を交えた瞬間、ヤミの頭の中にかすみが被りついた。

 ドス黒い霞の隙間から黒い龍が首をもたげ、ヤミに覆い被さった。

 ヤミは驚き、翔の手を振り払い後退り胸に手を当てた。


「なっん?」

「お前の一部」

「はぁ? そんな訳あるか!」

「否定も肯定も己次第。忠告はした。取り込まれるな」


 翔はヤミを見据えた瞬間、雷の矢を討つ。ヤミは飛ばされ気を失いかけた瞬間、翔を見遣る。

 閉じていく意識の中、手を振る人格の姿を捉え……た。


(俺の中に知らない龍だと? 有り得ない)


 闇に落とされたヤミは一筋の光に導かれ、意識が朦朧とする。


「起きてヤミ! ねぇ起きて」


 気が付いたヤミの唇に、柔らかい唇の感触が重なっていた。驚き跳ね起きるヤミの傍らに、陽向がいる。


「よかったぁ……死んだらどうしようと」

「?」

「呼吸してなくて、人口呼吸を……はぁぁあ」


 ヤミの胸に顔を置く陽向の口はうっすら三日月を浮かべ笑顔は安らいでる。ヤミの瞳に、その姿が眩く映えた。


「!!!」

「……!」


 気付くとヤミは、陽向に口付けていた。


「あっ、悪いその……つい」

「……」


 陽向は唇に指をあて照れた。耳まで赤く染め、ヤミの腹にうつ伏せ顔を隠す。


「……ありがとう、陽向がいなかったラ死んでた?」

「かもね。姉巫女に礼を」


 陽向が手に持つ鈴を振ると、リィンンと音が澄み渡る。


「そうか」


 ヤミは腹の上にいる陽向を撫でた。陽向の柔らかい髪にヤミは何回も触れる。梳いたり、指に絡めたり、ヤミは赴くままに髪の感触を楽しむ。

 陽向が面白そうに笑いだす。


「ふふ、気持ちいい」

「ン?」

「ねぇ、もっと触って」

「髪に?」

「うん」


 陽向はヤミの腹に置いた顔の向きを変え、ヤミを見つめた。ヤミの手のひら、指の動き、顔。飽きもせず眺めた。

 ヤミは陽向を見て微笑むと、溜息を軽くついた。


「翔は何してた」

「下でパン食べてた」

「パン?」

「うん、ホットサンド」

「手作りかな? そういえば仄かに焼いたパンの……」

「うん、美味しそうな匂い」

「だな」


 ヤミは陽向の髪を梳き考える。翔のこと、今隣にいる者、下にいる者たちのことを思い溜め息を零す。


「大丈夫?」

「ン? 大丈夫、ああ大丈夫さ」


 陽向に聞かれた言葉の後に、翔に言われた言葉をふと思い出す。


(ああ、大丈夫だ。生きているのだからどうにでもなる。翔の両親のように死してから動くなんて最悪なことはしない! したくない!)


「ごめん、陽向抱きしめていい?」

「えっ、うん」


 照れる陽向の身体を持ち上げ、ヤミは抱き寄せた。


「温かい。音は心地よい」

「わ、私も……」


 寄り添う二人だが、照れる陽向の鼓動は早く。ヤミの胸に、耳に、予想以上に熱く伝わった。


「……クック、緊張させてるかな? 音が早い」

「そ、それは!」

「ありがとう」


 ヤミは礼を述べ、陽向の髪に顔をうずめた。陽向は重なるヤミを、力強く抱く。

 陽向の温もりに溺れながら、ヤミは考える。これからについて。

 抱き合う二人の鼓動を掻き消すように、蜩がカナカナと夕闇の中へ……静かにとけていった。

 


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