第38話 思慮深い小言

 

 

 夜は更けゆく。

 階段を下りる者の足音を、闇は静々と響かす。


 リビングで寛ごうと考えるヤミが足を踏み入れると、翔がソファに居りテレビを眺めていた。

 翔の姿は、ともされたテレビ灯りでよりくっきりと。片手にリモコンを持ち、画面をいじる。六十インチの画面は十二分割に、チャンネルごとに分かれ映えている。真っ直ぐな視線で画面に食い入ってはいるが、いつもと様子が違う。

 部屋の灯りはなく、テレビ画面に照らされる翔の表情にヤミは怖さを感じた。


「翔」

「……」

「どうカしたか?」

「ううん」


 翔はヤミに、子供が見せる無邪気な笑顔を晒す。先ほど感じた雰囲気は気のせいだったのかと思わされるヤミだった。


(こんな暗がりに一人……)


 しかし、部屋の明るさがない上にテレビ画面のみで照らされた翔の笑顔。


(やはりどこか不気味だ)


 静かなリビング。響くのはテレビの音と光だけ。

 煌々と映し出された翔の、無表情な面がはっきり目立つ。翔以外、誰も居ない事は明らかだがヤミはなぜか周囲を窺い問う。


「みんなは」

「ああ、優希ん。先ほど陽介おじさんが迎えに来て」

「え! 巫女も」

「ごめん……少し、独りになりたくて。巫女達には護符として夜刀ミズチと刀が渡してある。何かあったらすぐ呼ぶように言ってある」

「そうか。俺も二階に戻ろうか?」

「……」


 ヤミは部屋の電気を点けた。暗かった部屋は明るく、四隅の壁もはっきり照らす。そうして、テレビのみでしか覗けなかった翔の全貌を捉えた。

 翔はソファの上で三角座りしており、物憂げな視線を画面に落とす。

 ふと、翔は溜め息をつく。

 ヤミが翔の隣に座ると入れ替わるように、翔は起ち上がった。


「ホット? アイス?」

「ああ、ホットを」


 翔はキッチンへと向かった。カップを取り出し、静かに用意を仕始める。沈んでいた部屋は少しずつだが、活気立つ。


「いいね。ここ広い」


 ぽつぽつと話し動く翔は、何か気分を紛らわしているようにヤミには窺えた。


「ああ、元は建築会社だったらしい」

「へぇ」

「快適だゾ」

「いいね」


 オーブンの電子音がブーンと微かに響く。翔はカップを持ち、珈琲を注ぎ入れる。こぽこぽと良いリズムを刻んだ。

 珈琲の薫りが漂い、パンがゆっくりと焦げていく様が匂いでわかる。

 

「はい」

「ああ、すまん」


 差し出された珈琲とサンドにヤミは目を向けると、腹の音が鳴った。


「ありがとう」

「優希に今度、お礼言って」

「そうする」


 ソファに肩を並べ座る男が二人。

 互いが手にするカップの湯気がほんのり、白く漂う。

 テーブルを挟んだ向こうにテレビがあり、リモコンを手取る翔は画面を六分割に切り替えた。

 翔はソファの上でまた三角座りをし、足の指をウネウネと動かしている。ペディキュアが合いそうな細長く綺麗な足指。


(こいつ、上から下まで綺麗なのか)


 ヤミは翔を眺め感心していると、眼が合った翔に微笑まれた。よく見ると翔はそわそわとしていて、落ち着きがない。

 ヤミはカップを置く時、わざと音をさせた。ことん、と少量、響いただけなのに翔は大きく肩をすくませた。ヤミは組んだ手を膝上に置き、翔を見つめた。


「なにガ話したい?」

「……『住人』がさ、変なことを聞いてくるんだ」

「銀が?」

「私の存在が否定されるのは馬鹿げています──と俺に囁く」

「そウか」

「存在って言われても」


 翔は頭を抱え悩む。


「……先ほど、俺も尋ねられた銀に」


(面白いな。住人は翔の前だと「私」で俺の前だと「僕」か)


 ヤミは先ほどの夢を考え、住人のことを思う。


「ごめん、夢を穢した?」

「謝るな。今度から気をつけろ。気を強く持て」

「うん……、気をか。いつも言われてるのにダメだね俺」


 ヤミは無言で微笑し、静かに珈琲を口に運んだ。

 翔はまたまた画面に食い入る。子どもがよくリモコンで遊び、チャンネルを換える動作をして見せた。

 翔の瞳には画面がいくつも反射し、虫の眼球さながら映像がちらついている。


「翔は銀を、住人をどう思う」

「俺?」

「……ああ、どう捉える」

「あれは──喰うことを前提に存在しうる危うい存在だと思う」


 翔はテレビの画面を二分割に換え、カップの中を覗き込む。くいっと、珈琲を勢いよく飲み干した。


「俺はどうしたいのだろう」

「翔。今なら引き返せる。おまえが能力を放棄するなら手伝う」


 ヤミは、淡々と返した。翔はヤミの言葉の後、黙り込む。

 ヤミは隣で黙々とサンドを食す。


「……」

「……」

「──」

「──」


 静かだ。

 テレビの音がしているはずが、なぜか静観としていた。

 翔は無言のままテレビを視て……いや、実際視てはおらず、画面に目を遣り呆けていると言った方が正しい。

 ヤミはそんな翔に微笑む。サンドの最後の一欠片を頬張り、それを珈琲で流し込んだ。


「おまえの言う通り、銀は喰うことだけに存在しているのかも知れんな」


(『僕の存在意義』あの口調は何かを訴える子供のようにも見える。横にいる翔もまた子どもだ)


 ヤミは住人を反芻するさながら、翔をも振り返る。隣に座る少年の頭を、優しく労う。

 ヤミの撫でる手は今の翔には、とっても心地良い。


「……気持ちいい」

「ン?」

「考えるのいやになってきた。寝ていい」

「ん? いいゾ」

「───……」


 翔はヤミの心根に甘え、寝つき始めた。


「大きな子どもが二人かな」


 ヤミはポツリと零す。

 ヤミの言葉は完全に寝付いた翔の耳には、届いていない。

 クスッと微笑み、ヤミはテレビの画面を通常に戻した。

 一つになった大画面のそこには、象の親子がいた。


 象の親が穴に落ちた子象を一生懸命に鼻で救い出す、そんな映像がある。


 ヤミは映像を見ながら翔にタオルケットを掛け、考えた。


(俺はなにがしたい)


「俺は───」


 ヤミはポツリと零し、翔を見下ろし腕にある龍の痣に触れた。

 腕に触れられた翔はピクッと反応を示したあと、腕をタオルケットに隠し身体を包みこみ寝息を立て直す。

 翔の寝顔は安らかだが、目尻が小さく痙攣を起こしていた。

 気付いたヤミは翔の目尻に優しく触れ、そしてほほ笑んだ。


 部屋の明かりを消すと、そこは暗闇。いつもならきちんと閉められるのだがなぜか今日は……隙間を作る。

 光が一直線に翔の顔に当たっていた。その光の線上に翔の綺麗な寝顔があった。

 そんな翔にヤミは細く声をかけ、部屋を後にする。


「おやすみ」

 

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