第62話 哲弥と刀 弍

 

 外に出た翔は思いっきり胸を張り、深く息を吸う。


(さて、自分に課せられた宿題を片付けよう……)


 最近の翔は龍絡みの事象を『宿題』と考えることで自身の、龍に対する気持ちを軽くしていた。

 しかし、隣でわくわくしている友の姿には少々思うところがあるらしい。哲弥の気持ちが手に取るように分かるがこればかりはと、考える翔は気分を紛らすため平地を見渡す。


(何度見ても寂しい場所─……だけど)


 翔は横に長くそびえ立つ大きな太陽の顔を見て、微笑んだ。


(向日葵。咲いてくれてたんだね)


 もう九月の半ばだというのに上向く黄色顔が二人を出迎え、それを見た哲弥がポツリと言った。


「そういやぁ久々だな。翔の家……今は空き地だけど。? 最近は何でなかったんだ」


 不思議そうに首を捻る哲弥に翔は苦笑し、肩を叩いた。


「ここで大人しくしてろよ、まったく」


 翔は哲弥にやんわりと告げ、姿を消す。いや、正確には哲弥を【結界内】に、置き去りにしたのだ。

 哲弥は消えた翔を見つけるため、何度も名を呼んだ。

 横にある背高い向日葵が翔に代わり、哲弥に首を振った。


「ショウ!!」


 哲弥が持っていた仕込み刀こうもり傘も手元からなくなり、代わりにいつからいたのか。艶めかしい細蛇翔の使者が哲弥の手にあった。


「ヘッ蛇!?」


 やとを握る哲弥は煌めく銀の鱗に薄らと流れるピンク肌をじとり眺める。

 哲弥の気も知らず、夜刀へびは呑気にニョロッと紅い舌をかます。

 何もしない蛇にほくそ笑む哲弥は地べたに胡坐かき地面を叩き、そらを仰ぐ。


「クッソォオ! やりやがったなぁああ」


 結界の中、一人と一匹。声は外側に漏れることなく内側に木霊する。

 哲弥は、反響する音に虚しくなった。

 

(これが結界かぁ……)


 膝を貧乏揺する哲弥の横を艶めく赤目が仰視、ニョルンと肩へと登り詰めた。


「お前、気持ちいいな……。葵と優希はどうだろう」


 小粒い赤可愛い瞳と眼が合う哲弥は葵と優希を思い浮かべる。蛇を見た二人が顔を引き攣らせ悲鳴を上げる姿、これを想像しハハハと笑う。

 哲弥は指をソゥと出し、小さなピンクい滑肌なめはだをなぞり、ぬるい舌先に触れた。

 

「どんな奴が来たんだ?」


 哲弥は顎に添えた指をトトンとリズム打ちさせ、苛立ちを抑えた。蛇は哲弥に擦り寄り、つぶらな瞳の中に哲弥の顔を写しだす。


「お前に心配されてるのか?」


 哲弥の云うことに相槌つ蛇はしきりに長い舌を、出し入れさせている。


「翔の阿ほゥオ!!」


 哲弥の声が反響する頃。

 翔は刀を握り、眼にある人影侵入者に歩を寄せていく。侵入者はか細く、どこにでもいる普通の男だった。ただ違うのは【龍】の匂いをさせていることだった。

 男は翔に気づき、振り向き様「何故そこに?」と、喚いた。


 それは何故か? 


 そいつは翔が来るほんの数分前から番犬の如く、睨む形代と顔を付き合わせていたのだ。


「ここに居るこれは?」


 地中に埋められた土偶が翔に成りすましていたがそんなことを知らないそいつは形代を指差し、躊躇していた。

 侵入者を認識し終えるとそこにいたすがたは、ぬるんと消えた。


「ここに……何の用?」

「ハッ、云わずもなが? だろ」


 男は腕にある龍の痣を見せた。翔は相手を観察しフッと息をつき、刃を突きつけた。


「キミの痣は降龍、俺は昇龍。分かってて挑むんだね?」

「ああ、だがただの降龍じゃあない」

「そうかな? 俺の分身も見分けらないのに?」


 翔は相手をキツく見据える。


「それは」

「キミは誰の差し金?」


 翔の言葉に男は視線を遠いところへやる。その隙に翔は相手の懐に入り、刀の峰を素速く深々と腹に当てた。

 峰を食らい、叩き飛ばされた者は背中を地面に引きずらす。倒れた男は背中をひどく痛がり。


「ハァア、ぐぅツッ」


 咽せたは急いで顔を上げるも翔の蹴りをまともに食らい、飛ばされる。

 俊敏に移動した翔に首根を掴まれ、逃げようと暴れる男だったが……。


「ここは一つ間違うと地獄行きだ、母が施した術によってね」


(下級の者が無闇に踏みこむと出られない地所……コワいな)


 翔は以前、ヤミと遣り合ったことをくすりと思い出す。掴んだ男の後頭部を見、次に腕の降龍に視線を落とす。

 

「龍を帰りなよ、キミは自分の意思ではなく誰かにそそのかされて来たね」

「それは」


 翔は溜め息、冷たい眼で相手を睨んだ。


「龍を喰らうには強い意志がいる」


 忠告する翔の隙を窺う男は翔の脇腹に深く爪を立て、腹を裂かれた翔は手の力が弛み掴んでいる者を離してしまう。


「っ……痛っ」


 翔は急いでかれの背中を蹴り飛ばし、地面にうつ伏させた。

 刃向かう者は逃げようと地面を這うものの、翔は相手を逃がすまいと上に飛び乗る。


「グフッ……」

「云え、誰の差し金?」

「こ……黒」


 漢字一字を述べた男はいきなり、爆ぜた。

 翔は素速く離れきっさきを眼前に向け、様子を窺う。

 死した男から数匹の黒い小龍が顕れウヨウヨと絡み合体し、翔を睨んだ。 

 翔はなぜか、一本首の龍を前に、八つ首を擡げた龍を連想させてしまう

 その刹那。もつれていた黒い物はバラバラに散り、翔に狙いを定めた。

 解けた軀体が首を大いに振り、翔を喰らおうと躍起になり襲い来る。奴らを翔は紙一重でひらりと躱す。

 目前から攻めて来る巨体、脇腹に狙い定め牙を立てる細長い龍共、これら全てを手に添え持つ刀で魚を捌くように滑らかに。

 ぱすっ、とすっと細切れにさすと冷ややかに微笑する翔がいる。

 

「なるほど……偵察に来たんだな。俺も馬鹿だな来ずに土偶形代に任せておけば……いや!」


(眼の前で人が亡くなった……んだ。馬鹿は俺だ)


 反省する翔に残っていた大物一頭が挑む。


「急々如律、零」


 呪言を唱え、翔は巨大なカラダを捕縛した。

 翔は渾身の力を刀身に乗せ、大きな巨躯を一閃する。美しい黒鱗を持つ卑しきりゅうは半分にかれ、翔の横を流れていく。


「ふう」


(……愚かな……)


 消えゆく龍影に安堵する翔だが同時に胸がムカつき、刀を土に押っ立てた。


(こんなにも慣れてしまって、いいのか?)


 翔の腕の銀鱗が意思とは反し、静かに波打つ。脈打つ痣を右手で摩り、ガサツく皮膚の疼きが落ち着くのを待ち……。

 先ほど斬った龍の残骸は翔の皮膚鱗に一片も残さず吸いこまれたのだ。翔はその動きをただじっと見つめ、抗えない能力を俯瞰する。


(……)


 自分を疎ましく思う翔の気持ちを銀龍住人が、顔を覗く。


『ダメだよ翔クン、きちんと原形で喰らってほしいです。こんなカス、力の足しにもです』

「銀、俺は喰らうつもりはない」

『チッ、つまらないです』

「そんなこと言わないでよ銀」

『ほんとうに君はつまらないです!』


 ぼやく暴食銀龍は翔の奥へと静かに引っ込み、翔は翔で突き刺した刀を抜き哲弥が待つ場所へ戻った。

 傘筒に刀をしまい、歩く翔はまた深く息を吸う。

 翔は哲弥の姿を眼に留め、ほっと安堵した。


「お待たせ」

「翔、ひどいぞ」

「ひどいって、くすくす」


(確かに置き去いたけど)


 拗ねる哲弥の頭を軽くポンポンと叩き、翔はぼやく。


「まったくさ、俺のことを考えてくれるのは良いが危ないんだ。無闇に突っ込もうとしないで?」

「だけどよ、横にいるんだ。おれのことも頼れ」

「ありがとう、だからってこの刀はダメだよ。没収」

「えーじゃあ、ステッキあっ、それか折りたたみってのでどうだ」

「サイズの問題でもデザインでもないんだ。危機感ゼロだねテツ」

「そんなことは」

「刀は何て言われようと没収。危ない危ない」

「ちぇっ、カッコいいのに」


 口を尖らせ文句云う哲弥の横に翔は腰を据え、侍らせていた銀蛇の顎を優しく掻いなでる。


「ごめん、テツいつもありがとう」

「おう? 改まだな、どした」


 翔は思い詰めた表情で哲弥をまっすぐ見つめ、横でさわっと動く鮮やかな向日葵を眼の端に留める。

 ゆっくり深呼吸をし、口を開く。


「俺もまだ理解が足りないけど、今俺に起きてることを話すよ」

「オッ、待ってたぞ」


 哲弥は丸めた背筋を伸ばし、胡坐を組み直した。

 翔は今まで溜め込んでいた思いを、哲弥に打ち明ける。


 頭の中の住人、もう一人の人格、龍に対しどう思っているのかを。


 哲弥は静かにうんと、相槌をうつ。

 そんな二人を傍らに、話聞く蛇はひんやりとした赤い宝玉ひとみで二人の口の端々を只管ひたすらに追っていた。


 二人が笑い合い、玄関のドアを。


 開け放たれた扉から林檎の甘くやけた、優しい匂いが二人の鼻をくすぐる。

 靴を脱ぐ者の所に、可愛い足音をさせた優希が現れ、


「お帰り」


 胸の谷間が目立つ白いタンクトップ、デニムの短パン、レースが遇われた白いエプロンを羽織るという色っぽい姿で二人を出迎える。

 二人は顔を見合わせ、互いが想像したであろう姿に、少しニヤつきコソコソと話す。


「裸……エプっ」

「じゃあないが、これはこれで」


 顔を寄せ合う二人に、優希は首をかしげた。


「? 仲良いね肩を組んで入ってくるなんて、フフ」


 優希は手に鍋掴みをはめ、焼かれた林檎パイを持っていた。


「何でパイ持って現れたの?」


 優希の出迎えに水差す哲弥が、訊ねた。


「そりゃあ焼けたら出すでしょ? 持つでしょ? 切り分けるでしょ?」

「焼いた? 優希ちょい待てまさか籠の物あれを全部? 俺ジュースにしようと」

「あっ? うん。残って……ないよ」


 二人はきょとんと瞳を見合わせ、大笑いしだす。


「おい、優希が一番融通が効かない好き勝手してるかもだぞ、翔」

「うん、そうかも、かな?」

「何よ! どういう……あっ、だって翔、部屋にいないし、美味しそうな林檎があるじゃない?」


 優希は顔の前にパイを持ち上げ、照れながら白い歯を見せた。二人もつられ柔らかく破顔させ、優希の頭を優しく撫で中へと入っていく。


 パイの薫りが三人を温かく、包み込んだ。


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