第61話 哲弥と刀 弌(イチ)
テーブルの上に山盛りの林檎籠が置かれる。歩かれる床の振動に合わせ籠から一つころん。
転げた林檎は拾われ、口に運ばれゆっくりカシュッと咀嚼される。
囓られた林檎はジュグンと喉を通り、手にあった丸みは徐に剥き出された芯だけになっていく。
感想を述べる白くしなやかな指は、細茶色い茎をぶら下げる。
「うん、美味しい」
翔は棒だけになった哀れな林檎をゴミ箱にぽいっ。
横でも同じように齧り付く者がいる。黒のロングシャツと黒パンツ、上下黒色をラフに着熟す翔とは対照的に、肩に紅ツーライン全身白のランニングウェアで寛ぐ哲弥がいる。
「あーうめえ。翔もっと食え、おまえのために持ってきたんだから」
「ありがとうテツ、でも籠ごとこんなに」
「母ちゃんが持ってけいけ行け、うるさくて」
「靖子さん?」
「あいつ翔が大好きで何かあるとすぐ比べるんだぜ、おれの母はなぜミーハーかね? 韓流も好きだし」
「良いじゃない? 韓流。流行ってるし、ただそこに俺が入るのがなッ(哲弥の指がギュッと翔の唇を掴んだ)ゼっボゥ」
「顔!」
哲弥はいきなり翔の唇を持ち上げ両頬を挟み、ググッと引き寄せ瞳を覗き込んだ。
「澄んだ眼しやがって、おまえほんと自覚ないな」
(まぁ、こいつがモテるのはそれだけではないが……)
横にあったリュックを逆さまに振る哲弥の表情はうんざり、していた。中からどっさりと手紙の束が出てきた最後に、パンダのぬいぐるみまでコロン。
哲弥は転げたパンダを拾い、床に置き直す。
「あっこれは優にだ、アイツは男女にモテる。これは後輩女子から優にだって、かわいいな」
「うんかわいい。でもテツ、なんで貰ってくるの?」
「おまえが断るからおれが受け取る羽目になるんだ。断れん、たまらんよ」
「ごめん」
「優希も代わりに返事してんの知ってる?」
「うん」
「ま、仕方ないわなこのご時世? 皆忙しい」
「クスッ、嬉しいよ」
翔は笑顔でぬいぐるみを取るとくねくねと動かし、顔に近づけ遊んだ。フワフワのパンダと戯れる翔に、惹きつけられる哲弥はつられて笑う。
「なんでも絵になる奴はやだね」
「なんだよそれ。まあ、返事はおいおいしておく。ありがとう。それで今日はどの勉強するの?」
「
林檎の食べかすを捨てた哲弥はまじまじと翔を見て、溜め息をつく。
「そういうお返し的なことをするから余計にモテるんだろうな」
「なんだそれ? ほら出せよノーット、っと?」
翔は壁に顔を向け、鶏が首を振るみたいにココツッという感じで首をもたげる。
何かに応えるように壁向こうを覗く翔の顔を哲弥はガン見し、前髪をひっかきためつく。
「何ぃ、誰が来た? おまえに会いにか?」
「えっ?」
哲弥は手の届く範囲に置いていたコウモリ傘を手にし、翔に見せびらかし微笑んだ。
傘を持つ哲弥を怪しげに、翔は首をかしげる。
「そうそれ、なに家の中に何持ち込んでるんだと不思議だったんだよね。何なのそれ?」
「フフフ。陽介さんがくれた、勿論ヤミさんの了承済み」
「? なんのこと?」
哲弥が自慢気に傘の柄をすぅらり、引き抜くとそこに艶やかに煌めく刃が現れる。哲弥は切っ先をキラッと翔に向けた。
傘からあってはいけない艶めかしい得物が輝きを放つ。
翔は驚きを隠せない。
尖った刃先は
でも翔は、奮起する友に黙っていられない。
「おまっ!?」
「この間の一件と言い、おまえの口からなにも聞いていない」
哲弥は出した刃物を片すことなく、そっと床に置く。
床に転がる危うい
「それは」
翔は哲弥から視線を逸らし、黙り込んだ。
確かに、哲弥から「説明しろよ」と言われたにも拘わらず翔は何もせず話もせず。……ただ普通に過ごしていたのだ。
それが良い選択だと、今の今まで思っていたのだ。
(だからって。うまく説明出来ないからっていきなり日本刀ってなんだよ)
翔はムッとしたが気持ちを落ち着かせ、哲弥に注意するつもりでいる。
しかし哲弥は傘筒に刀をしまいニヘヘと戯け、さらには「うまく細工してあるだろう」と誇らしげに自慢する。
「びっくりした?」
「びっくり通り越した。何でそんな物を持つんだ?」
「それはおまえよ」
「はあぁ?」
哲弥は仕込み刀の傘を床に放り、翔の胸ぐらを掴み矯めつ
「おれに見せろ! 隠してるお前を!」
「なっ」
「ここ最近のお前はおれに隠しすぎなんだよ! 優希にもきちんと話せてるか。ないだろう?」
「それは……」
隣で転がる妖しい輝きを放つ危なげな品を指差し、哲弥は悔しそうに顔を歪めた。
困惑した翔は口をへの字に結び、歯を食いしばる。自分がしているであろう表情を晒す翔に気が弛んだ哲弥は、口端を弛める。
哲弥は白い歯をチラッと口の隙間から見せ、力を入れて掴んでいた襟を翔に戻す。
手が離れた服のシワは、元には戻らない。
「この刀はおまえに、迷惑かけられる前にするおれのための自己防衛だ」
「はい?」
「いつ隣にいて厄災が降りかかるか解らんだろう? 今日は敢えて参戦させて貰おうと思う」
「おいっ何を!」
(何を言ってるんだよテツ)
「そのための
「テツ!」
(……っ、ヤミさんもなんてことを、ダメでしょう!!)
哲弥はニカッと笑い、翔の手を引き部屋を出て行く。
もちろん手には刀を仕込んだ傘を掲げ、急いで階段を降りきろうとする哲弥。
「おいっ、テツ! ダメだ」
(こいつ浮き浮きしてるっポイ)
翔は身を乗り出し、あと一歩で階段を降りる哲弥を止めようと手を伸ばすがぎりぎりっ、寸で躱された。
「テツ!!」
翔は哲弥の首に手刀を落とし、気絶さそうと手を振るうがその手は上手く遇われる。
逆に手は、掴み取られる。
「なっ??」
「驚いた? これな、この刀な、ヤミさんが「おひい様」に頼んで強力な呪符が仕込んであるんだ」
「
「自身の反射速度を速める符と、あと護り符が」
「……」
(何協力してるんだよ、
翔は口を一文字に強く引き、哲弥に握られた手首を外そうと足掻くがさらに強く握られ解くことが出来ない。
「巻き込んだなんて言うな、おれは別に何とも思ってなししっ」
言い切る哲弥は翔の手をぱさり、離す。
翔の手首にはくっきりと哲弥の手痕がある。痛そうに手を摩る翔の口は、強く結んでいた一文字からギリッと噛み合わされた歯が散らつく。
翔の歪んだ口は、不満を漏らす。
「ァっ?! おまえが思わなくたって俺が思う! 困るんだ、勝手に動かないでくれ」
気がつくとそこは玄関で哲弥は靴をトントンとしており翔はそんな哲弥を俯瞰し、外に出るのを躊躇う。
(どう言うつもりだ、テツ。遊びではない)
哲弥は翔の手を取ろうと自身の手を差し伸べ、柔らかく笑んだ。
にこやかな表情の哲弥に翔は悩み、すぅと息を吸いこんだあとゆっくりと言い聞かせる。
「あのなテツ。ここで待っててくれ」
「オッ?」
「俺が戻らなかった場合のみ、応戦してくれない?」
「いやいやそんな、フッ」
哲弥は有り得ないだろうと苦笑しつつ左腕をぶんぶん振り、右手は細長く光り放つ長物を握り絞め軽く振るう。
「ふっじゃない。分かる? 俺はまだそこまで能力が遣える訳ではない」
「おう」
「だから護れない。待ってて?」
「ふうん」
「何? それはどう言う気持ちなの?」
哲弥は頭を指で二、三なぞり、口を尖らせいじけた。今度は翔が苦笑し、オイッと突っ込んだ。
翔は靴を履き、哲弥の肩をとる。
哲弥は肩にある翔の手を払いのける。
「護ってくれなんて云わんぞ? おれがおまえを護るんだ」
「それがおかしいの、わかって?」
玄関で押し問答をしている二人を急かすように地面が微かに振動し、哲弥は顔を訝した。
「何だ?」
「探ってるんだ。俺を」
「ふむ。おれさハナっから勉強する気ねぇんだわ見てこれ。分かる?」
いかにも「何かをします」と言わんばかりに
「……テツいつも走って帰るからスポーツウェアなんだ〜、今日もだ〜と」
「フフンもう、外行こうぜ」
「あっ、ダメだよ今出ると……」
手を引く哲弥につられて翔は表に出てしまい、仕方なしに元
哲弥に「してやられた」と気まずい気分の翔がいる。
足を踏み入れた土地は変わらず黄色い花を咲かせた植物が生えていたがその植物は翔と背丈が同じ茎が太く、根元はしっかりと大地に根を張る。
明るく咲く向日葵──。
否応無しに過去を掘り返されるもきちんと前を向き、眼をギラつかせる翔がそこにいた。
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