第60話 陽介 愚痴る 

 

 静けさが広がる夜半、ヤミが住むビルのインターホンを押す者がいる。


 これは陽介が、海沙樹に家を預けた時の話。


 暗いビルの一室からポゥと柔らかいオレンジの灯りが漏れると、怒鳴り声も洩れた。


「ああ、もう! 翔は何を考えてるんだ」


 陽介は声を荒げ、手に持つビニール袋をドンと響かせテーブルに置いた。

 ヤミは音が外に反響せぬよう開いていた窓をゆっくり閉め、陽介を窺う。

 陽介の声は大きく、いつもの冷静さを無くし、大量に買い込んだ缶ビールや酒類を床に転がせていく。

 

「陽介さん落ち着いテ、今つまみを」


 ヤミは陽介のためにキッチンで軽く食べ物を用意し、リビングに戻りテーブルの上を見やる。

 ヤミは呆れて声が出ない……もうすでに、空き缶数本が。

 陽介が飲み始め、まだ三十分経っていないにも拘わらず既に、持ち込まれた酒類は半分以上が消費されていた。

 陽介はソファに腰を据え、缶をじっと眺め微動だにしない。


「飲み過ギですよ、陽介さン」

「いやまだだ。酔えん、僕は酔いに来たんだ。ヤミくん付き合いなさい。腑甲斐ない父親に」

「……仕方なイですね」


(参った。本当に酔うつもりで来ている。陽向ひなたと巫女達を【神宮やしろ】に預けておいて良かった、こんな陽介さんを見せるのは忍びない)


 ヤミは陽介が叫き、酒を煽る理由を知っている。


(昼間の翔の姿が心身に応えてるんだな。あれは……耐えられない、ましてや仮にも養父父親、痛々しいのだろう)


 陽介の気持ちを汲むヤミは陽介の傍らに座り、缶ビールを開けた。栓がプシッ、と良い音を鳴らすと同時に、カツンと小気味いい音がする。


 陽介は顔を苦笑をさせ「乾杯」と小声で言い、手にした缶をヤミの持つ缶に当てる。ヤミと眼が合うなり、子どものようにニシシと歯を見せ笑う。


 陽介の意外な笑顔にヤミは面喰らうも、ヤミは似た笑顔を思い出す。


(あっ。翔がたまに見せる笑い方だ)


 陽介は一缶を飲み干し、ぼやき始める。


「僕はね、翔がもしもの場合の準備も覚悟もしていたが……あんなに危ないのかね、龍とは」

「……」

「いや、備えと言ってもきちんと備えた訳ではないか。刀は瞳海沙みなささんが用意していた。龍だって勝手に翔に釣られ現れる……。あんな事態は望んではいない──それどころか、翔が顕現けんげんするなんて考えもつかなかった」


 陽介は薄らと笑みを浮かべ軽く息を吐き、ソファの背もたれに体重を預ける。


(初恵さんがたまにピリピリしていたのが解った。瞳海沙さんを目の辺りにしてたから余計に思うところがあったのか)


 陽介は初恵が翔のことを考え、神経質になる姿を揶揄からかったことがある。


「ふう」


 ヤミは溜息を大きく吐く陽介に、つまみを盛り付けた皿と一緒に箸を手渡す。


「翔なら大丈夫でしょう」


 陽介は渡された皿に手をつけ、ほくそ笑みながら味わう。


「! あれ? これ優希の卵焼き」

「たまに作りに来てくれてます。巫女達が優ちゃんの料理気に入っちゃって。教えてもらってます」

「優希は料理が得意でね。でもこの卵焼きは瞳海沙さんが教えたものだ。卵焼きの中に玉葱を甘く閉じこめた」

「翔の好物?」

「うん」


(優希は瞳海沙さんに懐いてた。あの時は皆で楽しかった。笑いが絶えずで……まあ、今も楽しい……)


 陽介はビールをゴキュゴクと喉に流し込んだ。

 ヤミはしょんぼりとする陽介を見て、話を聞くことしか出来ず……。 

 陽介はヤミを見て肩を叩くと、テーブルに置かれたサラダに箸をつけまた驚いて見せる。


「これって」

「そうでス。翔が得意なベーコンチップス入りサラダでス。ドレッシングは翔の手製です。いいですね、料理が得意だと」


 陽介は黙々と箸を進める。


「この間来たときに翔が作って置いていきまシた。自炊をしないので怒られました。二人に」

「え?」

「まア基本、姉巫女が作ってくれるので考えてなかったのでスが、巫女がいなくなっテ嫁も来なかったらどうするんだっテ」


 ヤミは顔を綻ばせ、二人に怒られたことや驚かされたことを陽介に話す。


「ベーコンチップスも大量に冷凍庫に小分けされてますヨ。気が向いたとき食べれば、と」

「あいつら」

 

 陽介は瞼を閉じ二人の姿を思い描く。見たわけでもないのに様子が手に取るように分かり、陽介の心は嬉しさで一杯になっていく。

 ヤミは陽介の表情が落ち着くのを眼にし、安堵すると話を続ける。


「いい子です」

「クスッ僕の子だ」

「ですね」


 ヤミも陽介につられ、くすりと笑う。

 陽介は手にしていた物をテーブルに置き、飲み物を手に取った。


「預かったときから翔は変わらない。変わったといえば優希に手を出されたことだ」


 しんみりと悄気ながら話す陽介に、ヤミはむせび咳き込んだ。


「! ケッホッ、そ、こ?!!」

「うん、そこぉフフフ」


 陽介は酒をグラスに注ぐ。

 こぽこぽ。円いガラスに沿って小さく波立つ般若水に、透明な気泡が丸く浮く。


「まあ、いつかはとは思っていたが、早かったぁ」

「でも、翔は昔かラって」

「ああ、生まれた時からじゃないか、翔はいつも優希にピタリだったから」


 陽介はデニムパンツのポッケに入れていたスマートフォンを取り出し、写真メモリーを開いた。

 一歳ぐらいの優希と翔、二人の微笑ましい姿が幾つもある。


「優希をぬいぐるみのように抱きしめる翔だ。二人とも可愛い」

「ですネ、父としては複雑ですか」

「うん」


 ほのぼのとした写真に陽介は苦笑い、ヤミはほっこり笑んだ。


「自慢の娘と息子?」

「うん、僕の宝物」


 陽介の飲むペースはいつの間にか緩やかになり、頬は薄らと赤みをさす。

 ヤミは陽介が平静なら話しても大丈夫だろうと思い、龍の話を持ち掛ける。


「陽介さん、確かに龍は危ない。神の遣い、もしくは神の眷族とされる生き物です」

「……」

「翔ほどではないですが俺も龍遣いです。翔は俺より多くの能力が遣えるようになり、精神も腐蝕されることもないでしょう」

「まあ、その為の【人格】だが」

「大ジょう夫」

「……ヤミくんの口調」


 ヤミは眉尻を下げ、困ってしまう。


「昔、龍を遣うに失敗を……声を半分持っていかレました」

「そうだったのか」

「あの時は死ぬかト思いましたがおひい様に助けられマした。俺が翔を狙った原因の一つでスが……」

「海沙樹さんの命令では?」

「それもあります。翔ガ持つ【暴食】の銀龍はいつかおさの金龍に背き、我々神宮やしろの敵になる危険因子ですでモ……あわよくバ自分に取り込めば声が戻ルかもと、甘い考えを」

「ほえ~~~~」


 ヤミは陽介の感嘆に、笑みをこぼす。


(あっ、驚き方優ちゃんそっくり)


 陽介はヤミの笑顔に気づく。


「なんか、面白いことでもあった?」

「陽介さンほんと! 子どもがガッツリそっくりですよ」

「え?」

「陽介さん見てると翔と優ちゃん見てるみたいです」

「失礼な、それだと僕はまだ子どもじゃあないか」


(ん、この言い回し、どこかで訊いた……な。どこ、あっ!)


 陽介は以前に翔がぼやいた口調と言葉を思い出し、固まる。


「でしょ?」

「うん、そうだね……初恵さんにもよく言われる。でも僕に似て良いじゃない?」


 陽介は鼻息を荒く吹き、威張り笑うとまた飲み始める。

 静かな空気に、ヤミの携帯電話が響く。「はい」と電話を取るヤミの声の重さに、ただ事ではないと感じ取る陽介。


「どおしたんだい?」

「人が来ます」

「こんな時間に」

「ええ、翔のおかゲで一人、帰って来たので」

「?!」

穂斑ほむらの」

「ああ、病院からか」

「そウです」

「そうか」


 陽介は飲んでいるのも有り、思考が回らないのかそれとも何も返す言葉がないのか。

 いつもの陽介なら喜び食いつくのだが黙ってグラスの中身をちびちび。

 ヤミは冷蔵庫から、栄養補給水を取り出す。


「まだ飲みます?」

「いや、それを貰おう」


 陽介はヤミが手にしていたドリンクを指差し、酒のグラスを置く。

 そして……陽介の視界がフッと、暗くなった。


 陽介が気付くと窓は白やんで、薄い光が差し込む。

 ソファで寝ていたのかとしみじみ起きる陽介の隣に、見知らぬ人物が正座しており仰天してしまう。しかもその人は陽介に、礼を述べる。

 「ご子息にはお世話になりました」と、頭を下げるのだ。

 翔のそこまでの詳しい事情を知らない陽介は驚き飛び跳ね、急いでヤミを呼んだ。「はい」とヤミは相づち、クックックッと愉快そうに笑う。

 陽介はヤミにその人の全容を話されると酒瓶を手にし、また飲み始めたがヤミが急いで酒を取り上げた。


 完全に酒が抜け切れていない陽介はまたへにゃぁと体が溶けるように、倒れ眠りについてしまう。

 ヤミは溜め息をつく。


(これからあなたの家に用があるのですが……くくっ、背負うか)


 ヤミは仕方なしに陽介を背負い、翔達が待つ家へと帰る。

 穂斑の大事な人も連れて……。


 道路に出るとヤミは手配してあったタクシーに乗り込み、住所を言う。

 タクシーは三人を乗せ、明るく朝陽差す街路字を走り出す。


 これは陽介が、家で海沙樹に笑われる前の話──。

 

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