第50話 螺旋に舞う鱗に導かれる者たち



 静かな講堂は海沙樹の手により、水の皮膜結界が張られている。

 この館内は三人による、完全な争い場所と化していた。


 ゆらふらとまるで泥酔した感じに巨体を揺らす龍がいる。水龍せせらぎは頭をもたげ、定まらぬ視点を整えていた。匂いを嗅ぎ、あるじの気配を読み取った頃には朦朧もうろうとしていた視野は戻っていく。

 気を持ち直し、首を振るう水龍は海沙樹みさきを伺う。


あるじよ、私はなぎ倒されたのか?』

「ふふ、そうよ、そして」

『ほお、この感覚この気配』

「あら、あなたも感じて?」

『ああ、我らが元主……』

「そう瞳海沙みなさよ。あの子が翔の中に……と言っても片鱗だけ」


 そして海沙樹に、今さらながらある思いが芽生える。


(あの孫を抱くことは許される?)


 海沙樹は小言を吐き捨て翔を眼で追い、かぶりを振った。


(いえ、過ぎた考えだわ)


『もしや翔は』

「そうよ。あれが停止装置ストッパー。翔の内なる龍をめる為の人格。瞳海沙のお手並み、翔の人格ストッパーを拝見しましょう」


 海沙樹は翔の様子を遠目で追う。翔は穂斑と、また話し出していた。海沙樹は二人を見やり、ふふふと笑い次にあらあらと呟く。どうやら口論を始めたらしい。


 海沙樹はそんな二人を見物した。


 穂斑ほむらの拗ねた、甲高い声が講堂に響く。

 ストッパー翔の人格は耳穴を小指で軽くほじり、穂斑を俯瞰していた。

 喧嘩と言うより、ストッパーはただ思うことを口にしただけだ。しかし穂斑にはそれが気に入らない上、炎龍までも人格に味方している。

 穂斑はこれも気に入らない。


「そんなことを言ってこのを奪うんでしょう」


 穂斑は炎龍ほむらを抱きしめ、強い口調でストッパーに噛みついた。


「五月蝿い女だ。炎龍は認めてるし、こうする方がお前の為だ。従え」

「そんな」

穂斑ほむら、気持ちは分かるがここは従え。いいぞ小僧赦す、やれ!』

「な……ッ」

 

 穂斑は炎龍ほむらにも無視され動揺し言葉を飲むと同時に突然、ストッパーに頭を鷲掴まれた。

 掴まれた指先は皮膚に張りつき、そこからじわり、圧を感じ恐怖に襲われる。

 顔面の皮は引き攣り強張り、身体は萎縮させられた。全身に張り巡る頭から爪先までの神経一つ一つが、翔の指に吸い付かれていく。

 穂斑は眼に、翔を強く焼き付けた。


「ごめん、今だけだ。えろ」

 

 彼は穂斑に対してぶっきら棒に謝るものの、口はわらっていた。穂斑を掴んだ左腕皮膚を刀で一直線に、すすぅと斬り込みを入れる。そこから溢れた血は一線にぬるりと、穂斑の額へ向かった。

 血は額に到達すると吸い込まれ、馴染んでいく。その動きにあわ炎龍ほむらが静かに、細く目を閉じた。


『ああ懐かしい盟約。それに……お前』

「フン、会話は後だ。に溺れろ」


 炎龍は穂斑の後ろでストッパーの言葉通り、眠るようにして浮いた。まるで、水の中を揺れ動く気泡に包まれるように。

 穂斑の方は瞳の中の瞳孔までを見開き、身体はそのまま固まりピクリともしない。

 ストッパーがの様子を見て笑むと、【本体】も何かを感じ、ぼやく。


【? 感覚が流れ込む?】

「憶えろ。感覚、視覚、全てを体感で!」

【体感……──】


 頭の中の【本体】を、手に取るように感じ話すストッパー。人格は額に右手を当てふと、困り顔をして見せた。


「お前さっ。もう少し……っいや」

【? ……!】


 【本体】に何か思うところがあり、一瞬だが文句を零す。が、すぐに口を結んだ。


 翔の左腕に炎が走った。あかと青を中心に淡く、オレンジを縁取った炎が揺らいでいる。左腕にくるまれた炎を、翔は静かに見続け穂斑の手を握りしめた。

 瞬時、穂斑の感情が二人に流れ込む。


「ッ……熱く綺麗。穂斑の心の色?」

【あ、っあぁぁアア!!?】

「翔?!」

 

 【本体】が声を上げ、苦しみ──壮絶な断末魔の悲鳴がストッパーの頭を掻き回した。

 ストッパーは右耳をふいに抑え、空いている手で胸をむしり掴んだ。半目で足の爪先に視線を落とし、心臓の脈動が跳ね上がるのを感じる。

 全身に流れる血が、赤く燃えたぎっていた。

 苦しがる本体ストッパー翔の人格に呼応するように、炎龍の大きな咆哮がくうく。


 講堂自体大きく、地震のように揺れた。


 炎龍の呼ばれに当てられ、海沙樹と水龍せせらぎも身体を痺れさす。

 海沙樹と翔、離れた場所で互いが頭を抱え、穂斑の記憶感情のことで心を痛めた。

 やがて吼えていた炎龍も鎮まり、辺りに静けさが流れた。

 冷たい空気に触れる翔の頬に、熱いものが伝う。ストッパーは頬に流れる熱いものを舌で舐め、塩っぽいものを口に含んだ。


「おいっ。嘘だろう」

【!!】


 翔の眼から、せきを切ったように溢れ出たものは――。


 涙。


 【本体】は穂斑の記憶が流れたせいで悲鳴を上げていた。穂斑が黒龍オロチに囚われているモノに対する記憶を垣間見た瞬間。【本体】は、怒った。

 怒りに任せ胸を掴む。置かれた手の爪を肌に喰い込ませ、鮮血が垂れていく。


「やってくれたな。黒龍! 見てろこの哀しみは倍返しだ」


 そう言い怒る【翔】とは逆に、ストッパーは穂斑に冷ややかな視線を送る。


(穂斑の記憶……か。こんなの視て冷静でいられは……クスッ、人格の方が冷静だわ)


 翔の瞳が銀色に開いた。


 ストッパーは顔半分を手で覆い隠し、ニヒルに笑んだ。

 翔の左腕の鱗がぱらぱら螺旋状へと煌びやかに舞う。同時に翔の口から、綺麗な呪言おとが唱えられていた。


一二三四五六七八九十ひふみよいむなやこと十種とくさ御寶みたからを、己がすがたへと変じ(生魂に導かれ十種の神器、姿示せ)」


 呪言に合わさり、翔の左手と穂斑の左手はより強く握りとり、絡み結ぶ。握り合う手に舞っていた鱗が、銀の螺線紐が結ばれていく。


人地天じんちてん治め給うたまおう那迦捨爾曳薩婆訶めいぎゃ・しゃにえいそわか(この世を為べからず治める龍神に願う)


 唱えられた呪に合わさり、舞った銀鱗は炎龍にも絡みうめいた。


本体覚えろ! 龍の契約、盟約、契りを憶えろ」

【ちぎ……り】


 【本体】が頭の中から炎龍を見透かす。

 緋い龍は翔が落とした鱗を軀体カラダに呑まし、全意識を逆撫でた。

 鱗はあごから尾へ、隆起させ波立っていく。

 軀体の鱗が波引くように戻る。すると瞳をカッとさせ、炎とともに轟いた。炎龍の赫い瞳孔は銀の輪郭を成し、そして銀の角が真ん中に生えた。本来持っていた、左右の朱色の角の間に。

 人格は厭らしく笑んだ後、【本体】に話す。


「龍の契りは終わり」

【終わり?】

「見ろ炎龍を。瞳の銀の輪郭と角。アレがそうだ、俺との盟約。……お前、勝手に夜刀やとに名を与えたろ?」

【ああ】

「あれに似たようなものだ。だが詳しくは……」

【……】


 人格が、龍と穂斑を確認する。

 穂斑の手を取り、手の甲、手の平をくるくる回し、きちんと盟約が発動したかどうかの「印」を探す。印は穂斑の手首に。

 銀の円環痣がまるで、ブレスレットをはめたみたいに出来ていた。

 炎龍の声を耳に入れ、穂斑の目がゆっくりと開いていく。穂斑は翔に握られていたままの手を握り返した。

 ストッパーが穂斑に微笑む。

 

「いけそうか」

「フン、偉そうに」


 

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