第47話 震える校舎に蝶が舞う

 

 

 日差しは午後にも拘らずこれまでの熱さを吹き飛ばし、嘘のようにやんわり。校庭の秋桜コスモスは可愛らしく首を振る。

 学校の裏校門をくぐり、一台のバンが駐車場に置かれた。着いた瞬間、運転席から意気揚々と飛び降りる陽介がいた。

 

「ふう、クーラー無しの運転はまだキツいな。ヤミは大丈夫か?」


 バィン、ダゥウン、車が音立てた。助手席から涼しげなヤミが降り、そして扉は静かにゆっくり、自動に閉まる。


「俺、大丈夫ですよ。はイ(ペットボトルを陽介に差し向けた)」


 ヤミが手にする物を陽介は受け取り、キャップを開け放つと勢いよく喉を潤す。そして優希が居るであろう校舎を仰視ぎょうしした。


「さあて、二階の西校舎か」


 陽介は背伸びをしてぼやき、ざわめく校舎の中を歩きだした。周囲は模擬店と人でごった返し、キャイワイと生徒のはしゃぐ声が楽しく賑わう。


「あっ、あそこだ」


 陽介は優希の教室クラスを見つけ、喜んだ。開け放たれた入り口を覗く陽介は優希を探し、首を虚取らす。クラスにいる連中生徒たちはどこの父兄だと驚き、陽介を注視した。


「お父さん」

「優希」


 仲良く抱き合う二人をヤミはやんわり見つめ微笑し、二人に歩み寄ろうとしたが足をピタリと止めた。

 ヤミは顔を強張らせ、考えだす。表情はさらに険しくなり一点を睨み据え、身体の向きを来た方向へ戻した。


「すみません。講堂へ行きます」


 ヤミは陽介に一言、場所を告げ去ろうとする前に優希を見てひと言。

 

「あっ、優ちゃん制服も似合うけど、着物ドレス可愛い。じゃッ」


 優希に一言添え去って行くヤミの後ろ姿は手を振っており、陽介は教室に置き去りにされた。

 優希はヤミの言葉に首をかしげ陽介を伺う。


「ヤミさん私今、制服」


 ポカンとする優希の頭を陽介は撫で、笑う。


「フフ、あいつには視えたのだろう。制服の前の姿、茶店の衣装が」

「ええ? どういうことだろう」


 優希はさらに不思議がる。陽介は手を止めず、ますます撫でた。そして、娘を見て微笑んだ。


「うむ、僕は見損ねたな可愛い優希を。葵ちゃんは可愛いね、似合ってるよ」


 陽介は葵を見て、褒めた。

 葵は黒生地に牡丹の花が大きく、煌びやかに遇われたひざ丈短い着物を着熟す。細身の葵らしく、優雅に汐らしく。

 褒められ、照れる葵がいた。


「もう、おじさま、口が上手いです。何もでませんよ」

「いやいや、コーヒーで良ければあるよ?」


 脇から哲弥が現れ、陽介に缶コーヒーを渡す。


「優希パパ遅いよ。来るなら言ってよ、一品ぐらいクレープ残しておいたのに」

「ありがとう、気持ちだけ貰うよ」


 缶を受け取り、くいっと飲む陽介がいた。

 そしてあることに、気付く。


「翔は?」

「あっ、お祖母ばあさまと一緒らしいよ」

「そうか……」


 陽介はヤミが「講堂へ行く」と言ったことを思い出す。


(そうか。それで講堂か)


「優希、後片付け終わり?」

「ううん。調理器具返しに行くの」

「そうか。ではどこかで待とうか」

「お父さんは、知ってたの? 翔のお祖母ばあさまのこと」

「あっ、ああ知って、っ……!!」


 二人の会話を突然何かが遮った。抱き合う親子の身体を激しく揺さぶる出来事が起きる。

 陽介と優希は驚き、大地の荒ぶりと共に呆けていた。

 校舎全体を大きく揺るがす地響き。地震でも起きたのかのように校舎の柱、壁、黒板は激しく揺れ、通路にある水道の蛇口は水を噴き出す。

 生徒達は無論のこと、周囲は慌てふためき、ざわざわとどよめき立った。


「地震? ええ? 警報流れてないよ」

「なんだ? 地震か」

「いや、違わくない? 何かが落ちたとか」


 揺れを感じた生徒は一斉に、手に持つ各々の携帯電話を覗いた。騒ぐ生徒たちを余所に、陽介は優希を抱き締め窓の外に視線を向けた。


「お父さん?」

「これは大丈夫」


 陽介は胸にある優希を宥め、葵や哲弥も娘と同様に扱いそして、周囲の生徒を落ち着かせた。


「大丈夫! 心配は要らないよ、でも片付けを明日にして良いなら帰る支度をなさい」

「お父さん?」


 揺れの理由を勘繰る陽介は顔を強張らせ、優希たちに帰ることを進めた。


(ヤミがここを離れたのはそういうことか。地響きは翔が原因)


 震動の大きさに生徒だけではなく教師たちもざわつき、皆がどうして良いか悩んでいた。

 そのとき──!


 数匹の蝶がひらりひらり……舞っているではないか。


 どからともなく現れた白い、真っ白い蝶が周囲にいる。何かを誘うかのように数多あまたの蝶たちがいる。

 陽介はその中に、綺麗なはねを朧げに踊らす大きな、とても大きな蝶を見据えた。


 白い揚羽蝶!


(ハッ────!!)

 と、陽介が気が付く。

 辺り一帯の生徒達と教師、来賓客は眠りに就いていた。

 起きているのは陽介と優希の二人だけ。葵も哲弥も、周囲に居る皆が静まり瞼を閉じている。

 噴き出していた蛇口は何もなかったかのように一雫の水がぴちょーんと、音を立てた。


「これは……(動揺する陽介)」


 辺りを確認する陽介の前を大きな白アゲハがふわふわと、優雅に羽ばたく。


『あら、あらあら。ヤミは?』


 陽介は可愛い声を耳に入れ、目の前で踊る蝶をまじまじ見つめた。透き通る翅に青筋が映える美しく大きな、見たことのない新種の揚羽蝶。

 ひらひらひら……?!

 陽介の周りを伺い、儚げに蝶が翅を揺らし舞うそのたびに、躍る声がある。

 ヤミを呼ぶ声色は優しい。「鈴蘭の音色」なんて耳にしたことはないが、表現するならこんな感じだろうと陽介は思った。

 透明な声色は囁く。淡く脆く、それでいて芯がある音。

 蝶は陽介の鼻先で翅を休めた。ゆるゆる動く姿を陽介は瞳に映えさすと同時に、目の前の複眼は無数の陽介を捕らえる。両者は固まるも先に行動を起こしたのは蝶の方だった。

 ちょんと、触角が陽介に触れた瞬間のこと。

 つぶらな声が弾けた。


『あら、やだわ! この御二人から兄様の気配がします』


 蝶は陽介と優希の周りを跳ぶと、困った様子で話しかけた。


『まぁあ、女の子は兄様と性交閨を共にされてますね? だからオドがふふ、やだわ私ったら』

「お父さん、蝶が話してる……」

『ふふふ、だから術が効かないのね? やだわふふふ』


 優希の耳にも届く声がある。なぜかくねくね身悶える蝶に、優希は恐る恐る触れた。

 蝶の翅はぱしっと、優希の指をなじった。


「! ぃたぁ」


 優希は手に火傷を負う。蝶は白いもやを出し、かすんで消えたと思うとまた姿を顕わした。


『ああ。あなた様から強く兄様を感じる嬉しい! なのに。怪我を負わせてしまう私をごめんなさい』

「お父さん! 蝶が!!」


 優希は目の中を泳ぐに動揺を隠せない上に、喚き陽介を見つめた。

 一方、陽介は蝶の言動に思い当たる節がある。一つ一つ繰り出される「単語」に確信を持ち訊ねた。


「御ひいちゃん!!」

『!! ……ごめんなさい。刻限は一時間ですの……ヤミ、ヤミ。私のヤミはどこ?』


 優希の前をひらぁと舞う姿が薄くなり、すぅと消えた。


「御ひいちゃんって誰? お父さん」


 陽介は口を押さえハッと我返るが、言い放った言葉は消せず。

 半べそ顔の優希は傷めた手を擦り、膨れつらっで陽介を睨んだ。陽介は困り顔で優希を見つめ、火傷痕の手にそっと触れた。

 優希は父の手を眺め思う。


(また、私だけが蚊帳の外……)


 優希は一つ、大きな溜め息を吐く。

 陽介は優希の表情を見て悩み、困り顔で娘に眼を合わすと胸に強く抱きしめた。

 涙ぐむ優希は陽介の胸でぽろぽろ雫を落とす。優希が泪する理由は、何も知らない自分が情なく思えたからだ。

 肩を震わす優希を陽介は抱き締め、思う。優希の気持ちを半分理解する陽介は、優希の肩を強く摩る。

 陽介も陽介自身、実のところ頭が混乱している。


(何がどうなってるんだ……整理が追い付かないよ)


 蝶の姿を追う陽介の視線は、蝶が消えた場所に留まる。

 悩み始めた陽介の顎を突然激痛が襲った。「なんだ」という声と一緒に身体が軽く吹き飛んだ。その理由は胸に抱く優希にある。

 娘は父の気も知らず、いきなり顔を上げ起ち上がったのだ。

 痛がる陽介を無視し、優希は講堂の方に目線を注ぐ。


「お父さん、私行かなくちゃ」


(翔が泣いてる?)


 何かを感じ、慌てた優希は声を荒げた。陽介は優希を見上げ、優希は陽介を俯瞰せしめる。顎を擦る陽介に優希はハッと気がつき、陽介と目を合わすと笑いながら顔に触れた。

 「どこに?」陽介は顎を撫で、優希に訊ねる。


「翔のところ!」


 ひと言告げると優希は飛び立って行く、講堂の方向へ。陽介の振り上げた手は優希に届かず、姿は通路の先へ消えた。


(……なんで僕らの子は暴走するんだ……ねぇ、初恵さん)


 陽介はその場で胡座を掻くと、深く息をついた。居もしない初恵に問いかけ、喉から酸っぱい物が込み上がるが飲み込んだ。

 陽介は不安に襲われ腰を浮かそうとするも上がらず、ただ優希の安否を気遣うだけであった。




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