第33話 人を受け止めるのは、なかなかに骨が折れる

  


 裏庭の隅で腰を落とし、壁にもたれる翔がいる。ヤミが心配して手を出すと翔は素直に手を取り、腰を上げた。


「大丈夫か?」

「ん。何とか」


 翔の頭に棲む『住人』も落ち着き、穂斑ほむらもいない。

 今この場所は、先ほどよりも人が溢れている。

 翔は周囲を窺う。気分は落ち着いた翔だったが胸に何かが、引っ掛かっかる。

 

(胸がちくり……? 一旦すっきりしたのにこのもやり感は何だ?)


 翔は右手で顔を覆い、考えに考える。胸と頭の中にのこぎりが摩れた感覚が刺し、その歯痒さに歯ぎしりした。

 悶々とする翔の耳に、明るい優希の声が届いた。おっと思い、少し下げ気味だった顔を上げた。

 しかし、辺りに優希はいない。

 翔は今いる場所から優希を探すもやはりどこにも見当たらず、右往左往あちらこちらと首を振る。

「?」

 上かなと、二階校舎へ顔を上げた。


(いた! 優だ)


 優希は二階の実習室の窓から顔を出し、楽しそうに微笑んでいる。翔に笑顔を見せ手を振ると、翔も手を振り翳した。

 そんな仲睦まじい二人をよそに、校庭は更に人が押し寄せた。翔は優希から視線を逸らせ辺りを見渡し、穂斑ほむらとの言い争いが終わったあとでよかったと胸を撫でおろす。


 先ほどの穂斑との騒ぎに気付いた者は誰もいない。


 でも増えた大半男子達野郎共は穂斑がいると訊き、ここに駆けつけたから当然穂斑の姿を探していた……が、残念。

 あ〜あと声を上げ腰を下ろす男子生徒たちや、翔に詰め掛かろうとした男子がいる。その矢先、二階から深く顔を出す優希がいた。

 優希の目当てが翔であることをは知っていたが、喜んだ。

 優希は全校生徒の一部にはモテている。眉目可愛くスタイルも良い、それだけでも注目を浴びるのに料理上手に優しい女の子と来ればそれはもう理想の彼女。

 彼氏がいても、人気があるのは頷ける話だ。


 可愛い子が窓から顔出し手を振っている。


 それだけで男子は顔を、上げずにいられない。そんな最中、顔を上げていた男子達の顔色が一遍し、そこに居た一同が「あっ」と奇声を上げた。

 みんなの声が響く中、翔は居た場所から忽然と消えている。ある窓の下へと、一目散に身体を運んでいた。

 翔が慌て駆ける理由も、庭に響く叫声も原因は優希だった。

 だって優希は窓から身体を、滑らせていたのだ。声立てる間なく、落ちる身体がある。

 優希はするっと、二階から落下の瞬間を瞳に焼き付けた。「あっ」と思う下には翔が手を広げている。

 降下する優希の体へ、翔は素早く身体を滑らせた。


「!!!」


 落ちた優希を翔は全身で受け止め、胸の中に入れた。反動で地面に引きずられ背中を強打するも、優希を腕から放すことはない。


「──っっぅ……」

「?!!」


 優希は一瞬身をちじませキョトンと、丸く大きく瞳が見開く。

 なにが起きたのか……、理解出来ない優希がいた。


「ゲッホッ、ゆぅ、ケホ。ゲッ……ボッホ」

「!」


 優希は洩れる翔の声を頼りにハッと我返り、理解する。

 嗚呼、自分は窓から落ちたのだと。


「ゆぅ! けふぅかぁっはっ」

「しョ……-う」


 泣きそうになる優希は翔と眼が合うと瞳を潤ませ、顔を歪めた。

 助かったという安堵と怖さが押し寄せた優希は震え出す。翔は泣き出す優希を気遣い、ぽんぽんと手で何度も頭を、幾度も背中を、肩も撫でまくる。落ち着かない優希を「大丈夫だから」とあやした。

 やっと顔を上げた優希に翔は軽く微笑し、怯える身体を強く抱き寄せた。

 翔は自身の耳に、葵の叫び声を拾う。


「翔! 優希!」


 二階の窓から叫ぶ友の声は上擦っていはたがはっきりと、音を出していた。

 (あっ俺無事、優も無事)と思う翔の気持ちは、葵に届いたかはわからない。ただ心配そうに窓から顔を出し、二人を眺める者がいる。


 葵の位置からは翔の身体は足部分しか見えていない。でも翔のことだから無事なのだろうと、推測し胸を撫でおろしている。

 葵は震える腰を床に据えた。力抜けた葵に騒動に紛れ、ある者のが届く。

  

「ケッホ、ゲッ」


 葵は「翔だ!」と咽せ声に耳をやり、ほぅと安堵し少しだけ涙した。

 そんな葵の気遣いが、今の翔にはわからない。


「ゥグウッ……ズッ」


 咽せる翔は、優希をしっかりと抱き押さえ離さない。

 そんな中、ヤミが人の波間を押し退け割った。倒れこむ二人に近づき、顔色を見てヤミも顔色を変える。

 ヤミは翔に、胸に抱くの安否を伝えた。


「おいっ、優ちゃんは無事だ!」

「無……じ」


 翔はヤミの声に、か細く反応した。対する優希は声を上擦らせ、おずおずとヤミに手を広げ「ヤミ……さ、ん」と震える声を出す。

 優希の顔は青ざめ、掴んだヤミの手も一緒に震わせる。翔に助けられ無事とはいえ、怖さは止まない。

 翔は翔で、腕にあった彼女を再度捉えると気を失い掛けるが薄目を開け意識を保つ。

 優希は翔の、力無い眼に気づき心配した。


「ショウ? 翔っ!」


 翔は優希に細々と踵を返す。

 

「大丈……ッ」

「翔。優ちゃんをこちらに」


 ヤミは優希に絡まる翔の腕をゆっくりと解いてやる。ヤミの気配に気づいた翔は、力がだらりと抜けた。


「……優」

「?(優希は涙目で翔を見ている)」

「ゲホッ」


 翔は咳き込み、ヤミに優希を預けると自分の胸を押さえた。


「ガァッハっ!!」


 翔は咽せ、横に転がる。ヤミはそんな翔を見てホッと安心し、優希に気を遣った。


「優ちゃん。大丈夫?」

「えっ? ああッ?」


 ヤミの息が近いことに気がつく優希は耳まで赤らめ、ヤミの左腕にすっぽり収まる恥ずかしさに悶えた。


「ぇええ?!」

「クックッ、優ちゃん軽くて助かる」


 優希はヤミの腕から降りようと身をもたげさすが腰から下は、力が入らない。

 ヤミの顔に、優希の腕がぶんぶん掠めた。降りられない優希はひたすら悩む。

 そんな優希にヤミは囁く。


「優ちゃん、腰抜けてるよ?」

「ふぇええ?」


 ヤミを叫く優希を翔はチラ見し、顔を両腕で覆い隠し息を大きく吐いた。

 翔の顔は青ざめたままだ。


「おいっ、七十麟なとり!」

「翔、大丈夫か?」

「おいっ、ナトリ」


 気が付くと翔は数人に、ざわざわ取り囲まれていた。寝転がる翔は集まる人の心配を受けとるも、優希が気になって仕方ない。ヤミの腕の中で腕を振るう優希を見つめ、一息つく。


(よかった! 優希)


 翔はまた、咳を繰り返す。すると、二人の教師が遅いながらも翔の元に駆け寄った。


「七十麟! 大丈夫か」


 翔は思う。大丈夫ではないし、でも保健室もヤダし、まして救急車なんてもっと駄目だ。


 ヤミはそんな翔の思考を


 二人の教師は救急車を手配しようと胸ポケットから携帯電話を取り出したが、ヤミが教師の手を握り動く指を静止さす。

 驚く教師にヤミは自分から、名札を見せ名乗り出た。


「先生、翔の保護者です。私が連れ帰ってもいいですか?」


 ヤミの腕には青ざめた優希が抱えられ、地面には寝転がる翔がいる。

 考える教師は優希を指差し、確認を踏まえヤミを見た。ヤミは静かに頷き名札を見せつけ、「父親代理」ですと云いきる。

 顔をくすぶらせる教師は背後から肩を掴まれ、驚き怯んだ。肩にある手は息を切らせ踏ん張る、翔のものだった。


「先生俺帰る。大じょぶ」


 翔はたち上がり、教師に言い切る。


「けほん丈夫い、だから。帰る」


 翔は教師の肩を強く握り、なぜか睨んだ。

 頭から爪先まで教師は翔を確認し、仕方なく訴えに応じた。肩に置かれた手を軽く握り、翔を見て「大丈夫か」と再度確認を取る。頷く翔に、教師達も頷いた。

 ざわめく観衆を教師は追い払おうとするも、生徒達は退かない。

 でもヤミと翔は観衆を気にせず、押し退け進んだ。優希はヤミに抱かれ、大人しくするも顔は赤面していた。

 三人は人混みの中をかき分け進む。


「おいっ、大丈夫か」


 翔を心配する者が次々と声を投げ掛け……そして、翔を揉みくちゃにし始めた。


「大丈夫。通して? ごめん。帰るから」


 押し寄せた野次馬は先ほどより増えていたが翔は心配されないよう周囲に声を掛け、足を歩める。


「中々の人気者で。お兄さんはうれしい」

「クスッ、なにを!」


(あれ?! 頭と胸の靄、鋸の感覚が今はない。あれは……優希の危険を察知した予知? ……分からない。まぁ今言えることは優希が無事で……)


 翔は優希を薄目で眺め、そして大きく息を吸う──と、ゆっくり吐いた。


(瞼が重い)


 車に着いたヤミは早々に鍵を開け、翔を後部座席に寝転ばせた。優希の膝を枕代わりに、翔は寝息を立て始める。

 ……落ち着き、息を繰り返し寝付く翔を優希は物憂げに眺めた。

 ヤミがエンジンを掛け車を動かそうとすると、いきなり助手席のドアが開く。ガチャ、バン、スッと、三つの音が響くと優希は驚き眼を見開いた。


「葵!」


 ヤミは助手席に座る葵を見て笑う。


「さてまた女、コホン、お嬢さんが釣れた。翔は人気者だ」

「フフ、私も帰りますがどこに帰ります?」


 助手席にちゃっかり腰を据えた美人は優希を見て微笑むと、ヤミを見てするりと挨拶を交わした。


「初めまして、お兄さん。私は葵。優希の恋人候補にして二人の親友です」

「ククッ、これまた美女だな。翔と優ちゃんはモテるな」


 ヤミは狐目を緩ませ、車のハンドルを丸く切る。四人を乗せた車は学校の門を、抜けた。






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