第18話 告白
床に倒れ込んだ結花に真っ先に駆け寄ったのは蒼だった。彼女の上半身を抱き起こし結花の顔を見ると、その頬が涙で濡れているのが分かった。だが、墓地で見つけたときと同様、その身体は確かに温かった。蒼は自分のハンカチを出し、結花の涙を拭きながら叫んだ。
「今、結花は風花さんが死んだって言いましたよね? じゃあ、2階で眠っているのは誰なんですか!?」
声を荒らげる蒼に剣司が割って入った。
「蒼、よせ! まず結花さんだ……」
手塚が結花に近付いて来て手首で脈を取った。彼女の心拍数が徐々に下がってきているのを確認できたようで、手塚は一言「落ち着いて来ている」と言った。剣司はその言葉を受けると結花を担ぎ上げ、再び彼女の部屋のベッドまで運んだのだった。その様子をその場にいる全員が見届けると、孔子朗が皆に向かって言った。
「皆さん、ついて来て下さい……」
孔子朗に案内されたのは、蒼も一度訪れたことのある風花が寝かされている部屋だった。その入り口まで来ると、孔子朗は壁に設置された赤ランプのともるリーダーに自分のスマートホンをかざした。小さな電子音とともに赤ランプは緑へと変化し、電磁ロックの解錠音がかすかに聞こえた。そして、孔子朗はドアレバーをひねり分厚いドアを抜けて中に入ると、一同を招き入れたのだった。
蒼がこの部屋に入るのは、最初にこの家を訪れた時以来だった。すべてはそこから始まったのだ。元々防音室のこの部屋は、深い絨毯によって人々の歩く音さえもかき消した。窓際のバイオリンが飾られた棚、壁際のグランドピアノ、そして奥に寝かされている酸素吸入に繋がれた風花もそのままだった。孔子朗は風花のベッドのすぐ傍らまで進み、全員が近くに寄るのを待った。
「彼女が風花さんか……」
歩みを止めた幸介が呟くように言った声は、防音室であるこの部屋ではことさらクリアに聞こえた。しかし、その言葉に弾かれるように孔子朗は言ったのだった。
「いいえ。これは風花ではありません……」
孔子朗は風花の耳の脇から後頭部へと手を差し入れて、少し力を込めた。するとかすかな機械音とともに、風花の髪の毛と顔面が開き、機械部分があらわになったのだった。
「風花の姿をしたアンドロイドなんです……」
驚愕の光景に一同は言葉を失った。ただひとり、手塚を除いて。
孔子朗は大きく一息ついてから言葉を続けた。
「風花が遭難した日、午後になって天候が崩れたのに気付いた私はホテルのロビーで娘たちが帰って来るのを待っていました。心配がつのり、ホテルの支配人に相談しようとしていた矢先、結花がロビーに飛び込んで来て半狂乱でまくし立てる声が聞こえたのです。結花は私が風花のことは絶対に助けると約束すると気を失いました。私はすぐに救助隊の出動を要請しました。だが、しかし……風花が事故現場の崖下で発見されたのは、それから5時間後だったのです。それは、もう絶望的な時間だった……。病院で風花の遺体に対面し、悲しみの底にいる私にはもうひとつ苦しい役回りがあった。それは、風花の死を結花に伝えることだった。ロビーで気絶してから、同じ病院のベッドでずっと眠っていた結花が目を覚ましたとき、私はそれを伝えた。結花は取り乱し、泣きじゃくった。それからはもう、ほとんど食事も摂らずただひたすらに泣き、限界に達すると気絶するように眠りに落ちるということを繰り返すばかりになってしまったのだ。スイスでの滞在を延長して様子を見てはいたが、これはもう結花を単身オーストリアに帰すのは不可能だと思った。そこで急遽友人である手塚に連絡をして来てもらったのだ……」
孔子朗がそう言って手塚に視線を向けたのに応え、彼は後を引き継ぐように話し始めた。
「沢渡からの連絡を受け、私は急いでスイスに赴いた。診察した結花さんは思ったよりもひどい容体で、すでに精神の限界を超え……人格が崩壊しかけていた。そのままでは身体が生きることを拒否しかねない。そう判断して、私は虚偽記憶の手法を使うことにしたんだ。結花さんの場合、自分のせいで風花さんが亡くなったという事実がトラウマだったため、その記憶を消すことが必要だった。ただ、自分の責による……という部分だけを消したとしても風花さんの死自体が重くのしかかっていて、結花さんを回復させられるかは難しいところだった。だから、そもそもスキー旅行に行かなかったという記憶を植え付けることにしたのだ。虚偽記憶を植え付けた後、後々結花さんの精神が破綻しないように留意しながら、いつかは段階的に真実を明かしていく。それは決まっていた。そのためには、入り口でつまづくわけにはいかない。大きく記憶を変えたのは、言わば“安全策”のひとつだった。スキーの経験自体を記憶から消し去ったのも、今後の治療の過程で、それが呼び水となって真実の記憶が呼び覚まされるのを防ぐためだ。そして、一番の問題は風花さんが亡くなったということを、どのように隠すかという一点に絞られた」
手塚の言葉の隙間を捉え、今度は孔子朗が話し始めた。
「それについては、私にあるアイディアが浮かんだ。当時、沢渡製薬の子会社『沢渡メディカルデバイス』では、医療用アンドロイドの研究開発を行っていた。それは、模擬患者として医師の練習台になったり、多忙な看護師に代わって患者のケアに当たることを目的としていた。私は会社の技術の粋を集めて風花のアンドロイドを作らせることにした。結花には手塚の手によって風花が留学先の事故で意識不明の状態になったという情報だけが植え付けられた。その話さえ、結花にとっては十分にショックで、受け入れられるか心配された。だが、世界のどこかで風花が行方不明になったなどとするよりも何倍もマシだという手塚の判断に従うことにしたのだ。その判断は正しく、彼は結花の正気を保ちつつ覚醒させることを成し遂げてくれた。結花は時間が経つにつれて少しずつ健康を取り戻し、学校にも通えるほどに回復した。だが、皮肉なことに元気になればなるほど、風花に起きた出来事を知りたがるようになったのだ……」
孔子朗は苦悩に満ちた表情で頭を左右に振った。その様子を見て、再び手塚が口を開いた。
「……虚偽記憶というのは非常に不安定なものなのだ。本当の記憶が露呈するリスクを回避するため、その場を取り繕うような嘘はつくな、必要最低限の情報しか与えるなと、私は沢渡にきつく釘を刺していた。彼が精神的に追い込まれているのは分かっていた。だが、すでに嘘の上に嘘を塗り固めて、ギリギリでバランスを取っている状態……。なんとかそれをしばらく続け、結花さんが精神的に受け止められると判断出来たタイミングで徐々に真実を明かしていく。それが我々の計画だったのだ」
うつむいていた孔子朗は顔を上げ、蒼に真っ直ぐな視線を向けてきた。その顔には怒りとも絶望とも、どちらとも判別の出来ない表情が浮かんでいた。
「君はその計画を台無しにしたんだよ……。突然現れ、すべてをかき乱した」
その言葉にいち早く反応したのは剣司だった。
「ちょっと待ってくれ、それは違うだろ! 蒼は結花さんの求めに応じて調査に協力しただけだ! それに……」
「剣司さん!!」
感情のまま言葉をぶつけようとする剣司を蒼は制した。そして、孔子朗に向き直って深々と頭を下げたのだった。
「皆さんの苦労も知らず、本当に申し訳ありませんでした」
蒼たち三人は別れの挨拶を済ませ、加納瑞枝に先導されて家の外に出た。今後のことを協議しなければならないからと、手塚はまだこの家に留まることになった。
剣司の車の助手席には幸介が乗り込み、蒼は後部座席に座った。加納瑞枝は終始無言のまま、中庭のシャッターを操作して見送ってくれた。
沢渡邸を後にして1ブロックほど車を走らせると、剣司が我慢の限界とでも言うように大声を上げた。
「納得いかねぇ! おい、蒼! お前は悪くないからな!」
蒼はどう答えていいか分からず黙っていたが、剣司がそう言ってくれるのは嬉しかった。代わりに口を開いたのは幸介だった。
「剣司はいつも短絡的だ。あの場にいた全員、誰も蒼に全責任を押しつけようとなんて思ってないさ。もちろん、沢渡さんもな。単純にやり切れない思いを向ける相手が必要だっただけだ。それを蒼に向けたのは大人げないとは思うが」
車内にしばらく沈黙が流れた。剣司も少し平静を取り戻したようで、ポツリとつぶやいた。
「これからどうなるんだろうな、結花さん……」
これに幸介が答えた。
「普通に考えれば、手塚教授が虚偽記憶を植え付けるところからやり直すんだろう。ただ、一度偽りだと気付いてしまった記憶を再び信じ込ませることが出来るものなのか、あるいは別の偽りの記憶を上書きするのか、私も専門外だから分からない……。いずれにしても、薬を使って眠らせたり覚醒させたりしながら治療を進めことになるだろう」
結花と孔子朗の話を聞いてから、蒼はずっと自分に出来ることを考えていた。皆が望んでいるのは、風花の死を乗り越えた先にある結花の心の安寧だ。裏を返せば、真実が明かされなければ望む終着点に到達することは出来ない。だが、風花が亡くなってしまった以上、いずれ明かされるべき真実とは結花の記憶の中にしか存在しない。
先ほど、結花は自分の身に起こった出来事をつまびらかに話して聞かせた。蒼はそれを聞いている最中、地下鉄の車内で結花から受け取ったサブビジョンがオーバーラップする不思議な感覚を覚えた。同時に、得も言われぬ“違和感”を感じた。蒼がサブビジョンで見たのはスキー滑走の途中から転倒するあたりまでだったが、結花が語った話との間に何か合致しないようなものがあるような気がしたのだ。だが、その違和感の正体が何なのか、蒼はいまだつかむことができずにいた。
「幸介さん、オレがサブビジョンで雪山の事故の全てを観られたら、結花が真実を受け止めて心を安定させることに役立ちますかね?」
蒼の真っ直ぐな問いに、幸介は少し戸惑いつつも答えた。
「難しい質問だな……。人の記憶というのは常に不確かなものだ。無かったことを有ったと信じ込むことも出来れば、忘れたいことを忘れることだって出来る。それは心が記憶より優先するからと私は考えている。蒼のサブビジョンの能力は恐らく、心のフィルターがかかっていない純粋な記憶を見る力。それは、記憶の当事者にとっては毒にも薬にもなる可能性があるということなのだと思う」
この言葉に剣司は少し含みのある笑顔で言った。
「毒か薬か使ってみるまで分からないならよ。とりあえず、手に入れてから考えればいいんじゃねぇの?」
蒼は二人の言葉を受け、質問する前から自分の心は決まっていたのだと気付き、なんだか少し恥ずかしい気持ちになった。
「オレ、もう一度結花のサブビジョンを見てみます」
蒼は二人に自分の決意を告げた。
[次話へと続く]
デュプリケイター 〜Beginning〜 髙園アキラ @AkiraTos
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