第17話 白い記憶

「去年の12月20日、パパは日本から、風花はドイツ、そして私はオーストリアから、それぞれの飛行機でスイスに降り立ったわ。そして、スイスとイタリア国境にまたがるスキー場へと移動したの。ゲレンデ近くのホテルではパパが出迎えてくれた。私が到着してから間もなく、風花もやって来た。私たちは1年ぶりの再会だった。その晩は家族だけで小さなパーティを開いたわ。前もって、パパがグランドピアノのある部屋を予約するって言ってくれたから、私と風花は相談してミニコンサートを開くことにしていたの。風花とは休暇前にビデオ通話で演奏を合わせたりして、それも楽しかった……。ホテルの部屋で演奏した3曲はどれも上々の出来だった。パパもすごく喜んで『2人とも音楽学校でとても頑張ってるんだね』って褒めてくれて嬉しかった。本当に夢のような一夜だったわ……。次の日、1日ホテルでくつろぐというパパを残して、私と風花はお揃いのウェアと板でゲレンデに出た。空は曇っていたけど風がなくて気持ちの良い日だったわ。雪質も申し分なかった。2人ともスキーは相当やっていたからどんな斜面でも平気だったし、午前中は思う存分色々なコースを満喫した。そして、風花と2人でランチを取っているとき、彼女が午後はイタリア側に行ってみようと言い出したの。そのスキー場は、リフトで頂上まで行った反対側の斜面はもうイタリアだった。午後は天気が崩れる予報だったから私はイタリア側に行くことを躊躇したんだけど、風花がどうしてもと言うからOKしたの。普段から風花はおとなしい子で、あまりそういうわがままを言うタイプではなかったから、よっぽど行ってみたいんだなぁって思った。途中、リフトの係員にも天気が心配だから早めに帰ってくるようにと言われたわ。イタリア側に向かうスキー客は私たちの他には、本当にまばらだった。でも、イタリア側はスイス側よりも天気が良いくらいで、私たちはお茶の時間まで夢中で滑ったわ。でも、レストハウスでお茶とケーキを楽しんでいる時……窓の外がみるみる暗くなるのに気付いたの。強い風が時折窓ガラスを揺らし始めて、風花が『このままじゃホテルに帰れなくなる!』って慌てだした。私は風花に手渡されたウェアを羽織って言われるがままに外に飛び出したの。さっきまでとは違って、風と雪が強くなっていた。確認すると、頂上を越えてスイス側に向かうリフトはすでに止まっていて、来た時のルートを帰ることは出来なくなっていたの。これはイタリア側に留まるべきだと私は思ったんだけど風花が言ったの。『イタリア側からは林間コースを行けばスイス側に戻れる』って。すでに吹雪き始めている中、私は本当に帰れるのかとても不安だった。でも、風花は『私、このスキー場のことは前もって調べてて、コースも全部頭に入ってるから絶対に大丈夫だよ。私が先導するから信じて』って。風花には珍しく強気の主張で気迫を感じた。風花も、ドイツで1人バイオリンと格闘するうちに気持ちが強くなったのかもって、頼もしくさえ思えたわ。そして、風花が前を滑る形で、私たちは誰もいない林間コースへと入っていった。道は基本緩やかな傾斜だったけど、雪と風がどんどん強くなって前が見えにくくなって来たの。早く進まなきゃって思うんだけど、視界も悪くてほとんどの道が狭い林間コースではスピードを出すのは危険だった。だけど、風花はコースが頭に入っているって言葉を裏付けるようにどんどんスピードを上げていったの。風花を見失ったら、私だけでは帰れなくなるかも知れないって思った。だから、風花に合わせて私もスピードを上げたの。その直後……私は身体が宙に浮いて、自分の悲鳴とともに雪面に叩き付けられた。頭を強く打って意識は朦朧……。視界もぼやけていたけど、風花が私の転倒に気付いてくれたのが判った。風花は自分のスキーを脱いで雪面に突き刺し、歩いて私の所まで来て心配そうに『大丈夫?』って声をかけてくれたわ。私もなんとか立ち上がらないとと思って、頭を振って起きようとした。でも、すぐには回復しなくて……。私のスキーは両方とも外れていて、崖近くまで投げ出されていたわ。風花はそれを拾いに行ってくれたんだと思う。その時、風花の悲鳴と木の枝が折れる音が聞こえたの。そして、見上げると……もう風花の姿はどこにもなかった。私は力を振り絞って起き上がって、結花の悲鳴がした辺りまでよろよろと歩いて行った。そこで雪の一部が谷底に落ちている場所を見つけたの。上から覗き込むと、下は真っ暗だった。私はその崖下に向かって風花の名前を呼んだわ。何度も何度も! でも、吹雪の音ばかりで、風花の声は聞こえなかった……。私はもうパニックで、とにかく助けを呼びに行かないとと思って自分のスキー板を探したの。でも、2枚とも見つからなかった……。滑るのを止めたせいで身体はどんどん冷えてきていて、命の危険を感じた。その時、私は風花が自分のスキー板を雪に刺したことを思い出したの。風花が自力で崖から上がってきてもスキーが無ければ立ち往生することは分かっていた。でも、私は風花のスキーを奪った。そして、なんとかスイス側まで帰ってきた。林間コースで事故があったことをパパに告げてから、私は気を失ったみたい。私は自分の命を優先したのよ……。転倒したとき私が谷底まで落ちてしまえば良かった。そうすれば、風花が私のスキーを取りに行って転落することもなかった! 私がいけないの!! 私のせいで……私のせいで風花は死んだのよ!!」


——結花は半狂乱でそう叫ぶと、崩れ落ちるように床に倒れ込んだ。


[次話へと続く]

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