第15話 横須賀

新宿の街へと車を出した剣司は、明治通りから国道246号線、環八を抜けて第三京浜へと入った。高速に乗ると剣司はカーオーディオを通して京に電話をかけたのだった。呼び出し音が少し鳴った後、彼女の声が車内へと響いた。しかし、京から伝えられたのは残念な知らせだった。

『まだ、駐輪場の防犯カメラに映ったあとの結花さんは捉えられていないよ』

「そうか……。引き続き頼む」

剣司はそう答えて通話を切ると、蒼に話しかけた。

「結花の親父さんに連絡しなくてもいいのか? 横須賀に行ったってことは、そこに行く理由があったってことだろ? お前の見た夢に出てきた母親に会いに行ったのかも知れない」

蒼は少し顔をこわばらせて答えた。

「でも、結花は父親に黙って行ったんですよ。それは、内緒にしたかったってことですよね?」

蒼のぶっきらぼうな口調に剣司は少し面食らった。

「まあ、そうかも知れんが……」

「結花を見つけたらちゃんと連絡しますよ」

蒼の声のトーンから言葉とは別の感情を読み取った剣司は、強く握っていたハンドルの手をほんの少し緩めてから話を続けた。

「なぁ、オレと京って似てないと思わないか?」

「えっ? ……ああ、そうですね」

「京は、親父と再婚した女性の連れ子なんだ。オレの母さんはオレが9歳の時に病気で死んでな。……母さんはオレのことを転んだりしても泣かない強い子だってよく褒めてくれててさ。母さんは強い子が好きなんだって思ってたから、オレは母さんが死んだ時も泣かなかったんだよ。だって、オレが泣いたら母さんは安心して天国に行けないだろ?」

蒼は剣司の横顔を見ながら、ただ話を聞いていた。剣司は話を続けた。

「だから、母さんが死んだ後、オレはとにかく強い男でいようって決めたんだ。誰にでも噛みついて力を示して、中学校に上がる頃には立派な不良だよ。そんな頃にオレは幼い京と母親に会わせられた。彼女はシングルマザーで京を産んで必死に育てていたんだ。オレはそれからいつ親父に再婚話を切り出されるのかと思いながら過ごしてた。親父は仕事が忙しかったし、オレは悪さばかりしてたから、家に新しい母親が来れば少しはまともになるって考えてんだろうなと。でも、二人に会ったのはそれ1回きりで、親父も二人の話すらしない。正直、別れたのかと思ったよ。オレは中学校にもろくに行かずにフラフラしてた。それで、3年生の先輩に目を付けられてな。呼び出されてボコボコにされている最中に、偶然通りかかった京の母親が割って入ってきたんだよ。先輩が振り下ろした棒きれが彼女の頭に当たって流血騒ぎ。一緒にいた京は大声で泣くし、それに驚いて先輩は逃げたから良かったけど、とにかくオレは必死で彼女の血を止めたよ。なんとか血も止まって、少し落ち着いたところで親父と別れたのかって聞いたんだ。そしたら、別れてないってさ。結婚したくないのかって聞いたら、したいって言うんだよ。じゃあ、オレのことは気にしないで結婚したらいいよって言ったんだ。そしたら、結婚するだけじゃなくて皆で家族になりたいのよってさ。親父ともそう話してるって。そして、彼女はオレに質問してきた。お母さんが亡くなってから一度も泣いたことがないって本当?って。オレは強いから泣かないって答えたんだよ。そうしたら、彼女は言ったんだ——

“剣司君の心はお母さんが亡くなった時から凍ったままになっているのね。辛いことや悲しいことがあれば、誰でも心が凍るの。でも、そのままでは、また前を向いて歩けない。凍った心を溶かすために涙があるんだよ”

——結局、オレは母さんの死から目を背けてただけだったんだよ。泣かないからって強くなんてなかったんだ。現実から逃げてる弱虫だったんだよ。本当に強いヤツは、どんなに辛いことからも逃げたりしないんだって。彼女はそれを優しくオレに気付かせてくれた。気がついたら、オレの背中に顔を泣きはらした京がしがみついたまま寝ててな。オレも母さんの背中におぶさって泣いたことを思い出したんだ。あったかかったなぁって。そしたら、自然と涙が溢れてきて。4年分泣いて、新しい母さんと妹と家族になりたいって思ったんだ」

「素敵なお母さんですね」

蒼は、こんな遠く懐かしむような表情をする剣司を初めて見て少し驚きもしたが、自然とそんな言葉を口にしていた。

「親父と新しい母さんは、オレの心が調うまで辛抱強く待ってくれていたんだ。親父なんて、ろくに会話もしない日々だったのに気付いてたんだなって驚いたわ」

ふぅと一息ついて、剣司はさらに話を続けた。

「……蒼よぉ、親の愛情ってのは色々だ。時にはに映ることもあるかも知れないが、自分の物差しだけで測って結論づけるんじゃないぞ」

蒼は、無言で剣司の言葉を噛みしめた。


車がヴェルニー公園へと到着する頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。駐車場に車を止めて下り立つと、剣司はルーフ越しに蒼に指示を出した。

「この公園は海に面していて細長い。お前は海沿いの歩道を公園の反対側まで探せ。オレは道路に近い方の歩道を進んで探す。公園の反対側にヴェルニー記念館ってのがあるから、そこで落ち合おう」

蒼は頷き、剣司と別れた。早足で海沿いの歩道へと向かうと、海の音が間近に感じられた。涼を求めるためか、公園内には比較的多くの人たちが滞在していた。日もすっかり暮れ、人の顔を判別するのも街灯の明かりだけが頼りという状況だった。ただ、防犯カメラに映っていた結花はなじみ深い高校の制服を着ていたし、蒼には一瞥すれば本人かどうか確認できる自信があった。歩きながら次々に視線を移し、全ての人を確認して回る。時折、背格好が結花に似ている人物に目を留めるが、すぐに違うと判別できた。そんなことを繰り返しながら、蒼は海沿いの歩道を進んで行った。

一方の剣司は道路側の歩道を進んでいた。この道は海沿いの歩道とほぼ並行に走っている。剣司は結花に会ったことはなかったが、長年かけて身につけた技術で見せられた数枚の顔写真がしっかりと頭に入っており、人物の判別に迷いはなかった。京が念のため剣司のスマホに結花の写真を転送したことも分かっていたが、彼はそれを改めて見ようとは思わなかった。歩きながら素早く確実に公園内にいる全ての人物に目を配りながら、自ら目的地に指定したヴェルニー記念館を目指した。


公園の駐車場で別れてからおよそ10分後、蒼と剣司はヴェルニー記念館の前で合流した。わざわざ成果を確認するまでもなく、お互いの表情から結花の捜索が空振りであったことを理解した。

「どうするよ、蒼?」

蒼は結花の父、孔子朗との公園でのやり取りを思い返していた。彼は苦しみの表情を浮かべ、記憶操作のこともあっさりと認め、切羽詰まって自分の所に訪ねて来たのがありありと感じ取れた。なんとか威厳を保とうとはしていたが、その顔は娘を心配する一人の父親の顔でしかなかった。

「結花のお父さんに電話します」

思い立った蒼の言葉に、剣司は軽くうなずいた。

蒼は自分のスマホをスピーカーホンにして電話をかけた。呼び出し音が少し鳴っただけで孔子朗はすぐ電話に出た。蒼は彼に結花が今朝横須賀に来たらしいことを告げてから尋ねた。

「横須賀に何か思い出はありますか?」

何か心に引っかかったのか、孔子朗の返答にはほんの少し間が空いた。

『横須賀にはうちの製薬工場があって、私が工場長を任せられていたときに家族で住んでいたんだ。結花たちが小学校の頃の話だ』

「その頃の家はどうなっていますか?」

『もう人手に渡っている』

「じゃあ、結花は何故横須賀に来たんでしょうか?」

また、少し間があってから孔子朗は答えた。

『……おそらく、母親に会いに行ったんだろう』

蒼も剣司もここに縁者がいるのだろうとは思っていたので、この返答にはさして驚かなかった。

「お母さんは、どちらに? 僕ら訪ねてみます」

『母親は……よこすか臨海霊園に眠っているよ。結花たちが小学生の頃、彼女は亡くなったんだ』

この返答に二人はだまって顔を見合わせた。一瞬口ごもった蒼だったが、ともかく霊園に行ってみますと伝えた。すると、孔子朗も今から霊園へ向かうと言ってきた。だが、蒼はもう都内に戻った可能性もあるので自宅で待機していて欲しいと告げて電話を切った。二人は急いで車まで戻ると、カーナビに霊園の場所をセットしてすぐさま走り出した。


海から高台の方へと向かう道に入り、20分ほど車を走らせると道路脇に立てられた霊園の看板が目に入った。ここまで結花が来たとしたら、歩いてきたのだろうかと蒼は思った。車で20分の道のりは、歩けば1時間以上はかかるだろう。ましてや、上り坂だ。蒼の心配は増した。駐車場の案内表示に従って進むと、すぐに広々とした駐車場が見えてきた。管理棟とおぼしき建物が駐車場の一番奥にあったが、窓に明かりはなかった。こんな時間に参拝に来る人もいないのだろう。駐車場内には他に車はなかった。剣司は管理棟に一番近い場所に車を駐めた。車から降りた蒼は、先ほどまでのヴェルニー公園とは違う湿気をまとった草木の匂いを感じた。

墓地の入口へと進むと、特に施錠などはされておらず、夜間でも自由に入れるようになっていた。そこはいわゆる公園墓地で、緑豊かな広々とした斜面に墓標が並んでいた。中央に延びる広めの通路は奥に向かって緩い下り坂になっていて、視界のずっと先には夜の暗い海が広がっていた。中央の通路を起点として左右に小径が走り、そこにそれぞれの家の墓石が海を見下ろすようにしつらえられていた。

二人は特に示し合わせることもせず、ともにスマホのライトを点灯させた。それで足元を照らしながら中央の通路を歩き、蒼は左側の小径を、剣司は右側の小径を確認していった。墓地にはほとんど明かりがなく、小径に差し掛かるたびに目を凝らさなければ奥まで見通すことは出来なかった。二人は歩様を合わせ、順番に小径を見て回った。しかし、結花の姿は見当たらない。敷地の端が近付くにつれて蒼は焦りを感じ始めた。こんな真っ暗闇の場所に果たして結花がいるだろうか。そして、ついに最後の小径となった。その先はもう崖になっている。蒼も剣司も結花の姿を決して見逃すまいと気を引き締めた。その時、蒼は視線の先に一瞬何かが動いたような気がした。初めて小径へと歩みを進めると、剣司も後に続いた。

小径の一番奥、大きな区画に結花の姿はあった。彼女は墓石にもたれかかるように静かに眠っていた。無事を確かめるように顔にライトを当てる二人。頬に幾筋もの涙の跡があり、目尻はまだ潤んでいた。だが、どうやら怪我などは無さそうに見える。その時、結花が一言呟いた。

「ママ……」

その様子を見て、二人は同時に安堵のため息をもらした。蒼は身体をかがめて結花の肩に手を掛けて揺すった。

「結花、結花」

しかし、彼女は少し姿勢を変えるだけで起きる気配はなかった。

「薬でも飲んだんだろうか……」

剣司の言葉に緊張して立ち上がる蒼。今度は剣司が結花に近付いた。そして、手を取って脈をみた後、まぶたを強引に開いてライトを当てた。しかし、結花は起きる素振りを見せない。

「何かおかしいが、体温も脈も正常だ。瞳孔も普通。酒の臭いなんかもしない。緊急性は無さそうだから、取りあえず自宅へ運ぼう」

言うが早いか、剣司は結花を背負った。歩き出した剣司の後に続き、蒼はスマートフォンで父親に結花の無事を伝えた。今は父親にこれ以上の心配をかけたくなかったので、意識がないことは伝えなかった。そして、自宅に連れて帰ることを告げて電話を切った。次に幸介に電話して結花の状況を伝えると、自分も沢渡邸に行くと言ってきたので、後ほど合流することを申し合わせたのだった。

駐車場へと戻った二人は協力して結花を後部座席へ、そっと横たわらせた。剣司は結花が冷房の効く車内でも寒くないようにとトランクからブランケットを出して身体にかけた。車が発進するとエンジンは相変わらずうるさかったが、剣司の運転は来た時よりも明らかに大人しいなと蒼は感じた。


[次話へと続く]

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