第13話 対峙
蒼は学校へと向かう通学路で大きなあくびをひとつした。昨夜はすっかり疲れ切っていたが、寝入りばなに見た夢のせいであまり質の良い眠りにすることは出来なかった。
夢の内容自体はごく普通の幸せな家族の風景。しかし、視点は幼い結花のものだった。蒼にとって夢というものはいつもぼんやりと曖昧な映像で、起きた瞬間からどんな内容だったかもはっきりと思い出せないもの。そういう印象だった。しかし、昨夜見た夢は、目を閉じると、まるで映画のディスクを頭の中に埋め込まれたかのように細部まではっきりと思い出すことが出来た。このことから、あれは自分の想像で作り出したものではなく、子供の頃に結花が見たであろう沢渡家の風景だと確信できた。
デュプリケイトの際にサブビジョンとして映像を見ることはあっても、後から夢のような形で見ることなどなかった。一度のデュプリケイトで一体どれほどの情報が蒼の中に一時保存されるのかは分からない。結花の母親がどうしているか気になったことが呼び水となり、掘り起こされた映像が夢となって現れたのではないかと勝手な推測を立ててはみたが、ここはやはり結花本人に確認しなければならないだろうと思った。
家を出るのが遅くなったことで学校への到着は始業ギリギリになった。そのため、別のクラスの結花に会いに行く時間は取れないまま1時間目の授業に突入してしまった。そして結局、授業合間の10分休みにも会いに行くことも叶わず、昼休みになってしまったのだった。ここのところ昼食後に結花が訪ねてくることが多かったため、蒼は弁当を食べた後に少し待ってみた。しかし、今日は姿を見せなかったので、自分の方から訪ねてみることにした。
結花のクラスは二つ隣の教室だ。昼休みの廊下は会話したり、じゃれ合ったりする生徒たちで賑わっていた。それらの生徒の間を縫うように結花の教室まで行き、扉を開けて中を覗いてみたのだが、彼女を見つけることは出来なかった。すると、教室内にいた蒼のかつてのクラスメイトが気付いて声をかけて来た。
「蒼じゃん。誰か探してんの?」
「ああ、結花って見かけてない?」
「沢渡? あいつ今日は休みみたいだよ」
「えっ、そうなんだ? 具合でも悪いのかな……」
「どうだろ。悪い、わかんねぇ」
ふと、昨夜別れた時の結花の表情が頭に浮かんだ。記憶が抜け落ちていることへの恐怖や怒り、寂しさの感情が複雑に入り交じった顔をしていた。もしかしたら、大きなショックを抱えたまま眠れぬ夜を過ごしたのかも知れない。別れ際にもう少しかけてあげられる言葉があったのではないか。結花が休んだ理由を考えると不安が不安を呼び、蒼は心配になって結花のクラス担任を訪ねてみようと思い立った。
職員室へと向かう途中、結花へメッセージを送ってみた。文面は一言「学校休んだみたいだけど大丈夫?」だった。しかし、すぐに既読が付くことはなかった。
蒼は職員室の入口で名乗りを上げて挨拶を済ませると、結花のクラス担任を探した。幸いにもすぐに見つけられ、結花の欠席理由を尋ねることが出来た。
「ああ、沢渡さんは体調不良らしい。今朝、欠席の連絡がなかったのでご自宅に連絡したんだ。そうしたら、お父様が出られて、寝込んでいると言われたんだよ」
やはり具合が悪いのかと蒼は思った。先生に礼を言い職員室を出たところでもう一度結花に送ったメッセージを確認したが、まだ既読は付いていなかった。その時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴ったのだった。蒼は仕方なく自分のクラスへと帰って行った。
6時間目の授業が終わると蒼はまたメッセージアプリを確認した。メッセージを送信してから既に2時間以上が経過していたが、依然既読マークは付いていなかった。体調不良ということだったので、眠っているかも知れないと考えると電話をかけるのはためらわれた。単に体調不良なのであればそんなに心配の必要はないのかも知れない。ただ、昨日のことがあって精神的に落ち込んで寝込んでいるとしたら、なんとか慰めてあげたいと思った。いずれにしても、結花からの反応があるまで待つしかないと考え、蒼は帰り支度を始めたのだった。
10分ほど後、蒼はとぼとぼと校門へ向かって学校の中庭を歩いていた。その途中、今日は久しぶりに何も無い1日だったなぁと心の中で呟いた。結花にピアノを弾いているところを見られるまでは、こういう何も無い毎日の連続だった気がする。恐らくは、この一週間あまりがどうかしているのだろうが、これまで通りの生活を感じるとともに受験生であるという現実に引き戻されて焦る気持ちが高まった。今夜は少し勉強に力を入れようと蒼は気を引き締めた。
その時、スマホから電話の着信ベルが鳴った。画面を確認したが相手の名前は登録されていないようで、ただ電話番号だけが表示されているのみ。ただ、頭の3桁から相手も携帯から掛けてきているのが分かった。蒼は通話ボタンを押した。
『七瀬蒼君の携帯かな?』
低い大人の男性の声。いきなり“君付け”だったので知っている人物なのだろうとは思ったが、それは聞き馴染みのあるものではなかった。
「はい。そうですが、どなたですか?」
『沢渡結花の父、沢渡孔子朗だ』
「えっ、結花のお父さん!?」
思ってもみない相手からの電話に蒼は心底驚いたが、それよりも先に嫌な予感を感じた。
『下校の時間だろう? 学校の近くまで来ているんだ。直接会って話がしたい』
孔子朗は有無を言わさぬ高圧的な口調だった。直接会って話をしたいというからには、それはもちろん結花についてのことだろう。恐らく昨夜、結花と父親との間に何かやり取りがあったのだと直感した。この父親には蒼としても一言言ってやりたい気持ちがあったし、結花のことも心配だったので会うことを承諾した。面会場所として孔子朗が指定したのは、下校途中にある小さな公園だった。蒼はその公園なら知っていると告げて電話を切った。
校門を抜けてから数分後、蒼は歩きながら待ち合わせ場所の公園を視界に捉えた。公園の入口付近には大きな外車がハザードランプを焚いて停車していた。
蒼が近付くと運転席の扉が開いてスーツ姿の男性が外に出てきた。身長190cmはあろうかという大男だ。彼はきっと以前結花に聞いた孔子朗の運転手兼ボディーガードだろうと思った。運転手はチラッと蒼に視線をやった後、後部座席のドアを開けた。すると車の中から沢渡孔子朗が出てきたのだった。大男を従えているせいかその身体は小さく見えたが、仁王立ちで投げかけてくる鋭い視線からは年商数千億円の企業を束ねる社長の迫力みたいなものを感じた。
しかし、蒼は特に動じることはなかった。この一週間色々あったおかげで肝が据わったのか、もしかしたら度胸だけは良さそうな浅野剣司をデュプリケイトした影響もあるのかも知れないなと、冷静に自分自身を分析するほどだった。
沢渡孔子朗の目前まで歩いて迫ると、蒼は威厳を保ったまま深々とお辞儀をした。
「公園の中で話そう」
沢渡孔子朗は静かな口調でそう言った。二人が歩き出すと、運転手は数メートルの距離を保ちながら後に続いた。
「僕の電話番号は結花から聞いたんですか?」
歩きながら蒼は孔子朗に質問したが、その答えはなかった。
小さな公園の中には人はほとんどおらず、話をするには最適だった。孔子朗は適当なところまで歩き、立ち止まって蒼の方に向き直ると前置きなしに話し始めた。
「君は一体何を探っているんだ? 結花に何を言われたか知らないが、私は非常に迷惑している。はっきり言って目障りだ」
まずは穏やかに話を聞こうと思っていた蒼だったのだが、いきなり威圧的な孔子朗の態度に一気に頭に血が昇った。だが、大声で言い返すのは我慢して、平静を装うために深く息を吸って呼吸を整えた。
「大会社の社長って言っても大したことないんですね。たかが高校生の行動にそんなに興奮して。逆に聞きますけど、なんでそんなに目障りなんですか?」
自分の子供と同い年の少年に煽られて、孔子朗は一瞬怒鳴り声を上げそうになった。しかし、蒼の言うことはもっともだと感じ、逆に冷静さを取り戻した。
「……君はどこまで調べ上げたんだ? どこまで探り当てた?」
孔子朗の声のトーンは幾分下がっていた。
「昨日、結花をスキーに誘ったら、たまたま競技スキーをやっていた時の知人に会って記憶を無くしていることに気付いただけですよ」
「スキーに誘ったのはたまたまではないだろう。うちの看護師を結花と一緒に尾行したことも知っている」
結花がスキーをしているサブビジョンを見たことが記憶改ざんに気付く発端ではあったが、それは言えなかった。
「オレは結花に風花さんが昏睡状態になった理由を一緒に探って欲しいと頼まれました。詳しくは明かせませんが、結花の主治医である東条大学の手塚教授が虚偽記憶の第一人者であることを知ってスキーに誘ったことは確かです。結花の知人に会ったのは全くの偶然です。相当ショックを受けていました。当然ですよね」
蒼の話を聞きながら、孔子朗はじりじりとした表情で額に汗を浮かべていた。それでも言葉を選び、静かに話を続けた。
「結花が記憶を無くしていることは確かだ。だが、これ以上の詮索は止めてもらいたい」
「無くしている? 勝手に無くなった訳じゃないでしょう。記憶を操作したんですよね?」
「くっ……。そうだ。だが、それは必要なことなのだ」
「風花さんのことついて何も知らされず、結花は苦しんでいます。真実を覆い隠すのが必要だと言うんですか?」
「真実によって失われるものの大きさによっては必要なんだ!」
「その失われるものとはなんですか?」
「それは……」
口ごもる孔子朗の出方を蒼は見守った。しかし、孔子朗が答えることはなかった。
「とにかく、君が真実を暴くことは結花のためにはならないんだ。結花を家に帰してくれ」
この言葉に蒼は驚いた。
「どういうことです? 話が見えません。結花は体調不良で自宅で寝込んでいるんじゃ?」
蒼の反応に孔子朗も驚いたように応じた。
「いいや。結花は、今朝普通に制服で家を出ていった。でも、担任の先生から登校していないと連絡があって、体調不良ということにしたんだ」
「そんな……」
「今朝から人を使って探させてはいるんだが、私はてっきり君がかくまっているものと……」
結花が学校にも行かずに行方が分からなくなっているとは、自分が心配していた以上のことが起きているようだ。いつも明るい結花からは想像も出来なかった昨夜の思い詰めた表情が蒼の頭に浮かんだ。何をするかさえ分からない危うさみたいなものがあった。
「あなたが何も教えてくれない以上、真実を暴くことが結花のためになるとか、ならないとかの判断は出来ません。でも、今はただ結花が心配だ。オレはオレで結花を探します」
[次話へと続く]
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