第05話 リベンジ

水曜日の夕方、蒼は再び結花の家の近くで住み込み看護師の加納瑞枝が出てくるのを待っていた。

昨日、尾行に失敗した直後は当分警戒されて再度の尾行は無理だろうと思った。しかし、浅野剣司の能力をコピーしてからは、なるべく早く決行した方が成功率が高まるだろうという考えに変わった。加納瑞枝にしたら尾行を見破られた翌日に再度仕掛けてくるとは思わないだろうと推測したからだ。

他人の能力をコピーしても蒼が持って生まれた性格には影響しない。ただ、経験に裏打ちされた判断がともなう場合、その考え方が変わることは良くあった。それに、何と言ってもコピーした能力は時間とともに弱くなっていく。浅野剣司の能力をしっかりと携えたまま、尾行の“リベンジ”を果たしたかったのだ。


前回の尾行を踏まえて、蒼は人通りが増える辺りで張り込むことにした。結花から聞いている加納瑞枝の性格から考えるに、駅へ向かうルートを変えることはない。そして、きっと今日も6時ちょうどに沢渡邸を出るだろう。そう断定的に考えても不安に思う気持ちもなく、浅野剣司の能力がきちんと保持されていることを感じていた。


結花には、探偵学校で尾行の心得を教えてもらって来たのでもう一度やってみると伝え協力を頼んでおいた。もちろん、今回はひとりで尾行させてくれとも。結花はあっさりと承諾したが、それはこのあと塾の予定が入っているからだった。

結花からの瑞枝が家を出たというメッセージがスマホに届き、時刻を確かめるとやはり6時ちょうどだった。をつけた路地の出口に姿を現すまでには、まだ数分はあるだろう。蒼は落ち着いた心理状態のまま、この数日にあった出来事をなんとなく振り返った。

結花に音楽室でピアノを弾いているところを見られたのが月曜日。

そして、昨日の火曜日は結花に風花の調査を頼まれたが尾行に失敗し、浅野剣司に、自分の能力を知られてしまった。そして、すぐに今日また尾行に再チャレンジ。突然、何か大きなうねりの中にでも飲み込まれたような感覚はあったが、もう身を委ねるしかなのかも知れないと思い始めていた。


結花からのメッセージを受けた3分ほど後、加納瑞枝は蒼が予想した路地から大通りへと姿を現した。それを受けて、特に考えることもなく身体が勝手に追跡を始める。頭に浮かぶのは、とにかく街と同化することだった。他の人の動きに合わせて歩く。不自然な動きをしない。気配を消すのではなく、その街の風景にただ溶け込むことだけを意識した。

思い返せば、前回は相手との距離感が分からず、他の通行人を強引に追い抜いたりダッシュしたりと、不自然な動きを繰り返してしまった。それで尾行を見破られたのかも知れない。だが、今日は違う。浅野剣司の技術がしっかりと蒼を下支えしてくれているのが感じられ、気持ちにも余裕が生まれていた。その余裕が、さらに蒼を街に溶け込ませた。

夕方の渋谷駅周辺はいつも通りの人出だった。しかし、蒼の目は確実に瑞枝を捉え続けた。それは、彼女の後ろ姿や歩く速度、身体の揺れ方といった個性をしっかりと把握できているからに他ならなかった。


気がつくと、蒼は銀座線のホームへと導かれていた。電車を待つ瑞枝を確認してから、蒼は彼女から見えない柱の陰へと移動した。そこで、羽織っていたグリーンチェックのシャツを脱いで中の白いTシャツ1枚になった。脱いだシャツは背中のリュックへと押し込んだ。

再び瑞枝を視界に捉えると同時に、黄色い電車がホームへと滑り込んで来る。瑞枝が電車に乗り込むのを確認して、蒼も隣の車両へと歩みを進めた。瑞枝の姿は目視できなかったが、電車が停車駅で停まるたびに降車する客達に目をこらし、瑞枝が下りていないことを確認した。結局、瑞枝が下りたのは銀座駅だった。


駅構内の地下道から地上へと上がり、瑞枝はショップで賑わうエリアから外れる道をたどり始めた。適度な間隔を保ちつつ5分ほど尾行すると、彼女はゆうに20階はありそうな大きなビルに入っていった。気付かれないように蒼も後に続き、彼女を視界に捉え続ける。すると、瑞枝は自分のバッグからネックストラップを出して首に掛け、ICカード認証のオートゲートをくぐってエレベーターホールへと消えていった。そこから先はセキュリティーが厳重なため、瑞枝の後を追うことは出来ない。蒼は彼女の後ろ姿を見送るしかなかった。


蒼は周囲を見渡した。すると、ビルに入居する会社名のプレートが掲げられているインフォメーションボードを見つけることが出来た。近付いて一番上の数字を見ると、このビルが24階建てということが分かった。地下から2階までが店舗テナント、3階から上はオフィスになっているようだった。

先ほど、瑞枝が消えていったのは13階から24階に通じる上層階用のエレベーターホールだ。蒼は13階から上の会社名を下から順にたどってみた。しかし、訪問看護ステーションらしき名前は見当たらなかった。念のために12階から下も見てみたが、同じく看護師を派遣していそうな会社名はなかった。

だが、改めて13階から上をよく見てみると、英字で書かれた会社名の中に見覚えのある名前を見つけたのだ。蒼はその会社名プレートをスマホのカメラに収めた。


その後、蒼はビルの向かいにあるカフェで瑞枝が出てくるのを待った。結花によると、瑞枝はいつも午後9時には家に戻って来るという。逆算すれば、8時半までにはここを出るはずだ。そして、その読み通り、瑞枝は8時過ぎにはビルを出て銀座駅へと向かった。そして、来た道をたどるように歩いて沢渡邸へと入っていったのだった。


瑞枝の尾行を終えてから、蒼は塾帰りの結花と渋谷駅近くのファミレスで合流した。

「ねぇねぇ、瑞枝さんどこに行ってた?」

結花は開口一番、まるで探偵ごっこを楽しんでいるような顔で無邪気に聞いた。本当に妹の身に起こった真相を知りたいと思っているのだろうかと、蒼は少し呆れながらも答えた。

「瑞枝さんは結局、銀座駅で下りたんだけど、5分ほど歩いて大きなオフィスビルに入っていったよ」

「うんうん。銀座のオフィスビルね」

結花は興味津々といった様子で蒼の言葉を繰り返した。

「セキュリティーゲートがあったからどの会社に入るまでは追えなかったんだけど、テナントのネームプレートを見たら、こんな会社名があったんだよね」

結花は蒼が差し出したスマホの画面を覗き込んだ。そこには、3フロア分のネームプレートとして “沢渡メディカルデバイス”という会社名が写っていた。

「あれ、沢渡メディカルデバイスって、確か沢渡製薬の子会社だよ」

結花は答えた。

「ああ。ここに来る途中、スマホで会社のウェブサイトを調べた。100%出資子会社だってさ。医療機器を作る会社だそうだ。レントゲンの機械から人工心臓までなんでも作っているみたい」

「沢渡製薬グループは技術力が高いからね」

結花は、まるで自分の手柄のように自慢げに力を込めた。

「あっ、そう言えば風花のベッドサイドにある医療機器は全部沢渡メディカルデバイス製だわ。主治医の先生は2週間に一度往診に来てくれるんだけど、風花のバイタルデータって言うの? 心拍数とか常にリモートで監視していて、異変があればすぐに誰かが駆けつけるようになってるんだって」

「そうなんだ。ひょっとして、瑞枝さんは結花のお父さんに会いに行ったとか?」

「昨日も言ったけど、パパは台湾に行ってるよ。さっきもごきげんな様子の写真を何枚か送ってきたもん」

そう言って、結花はスマホで写真をパラパラと見せた。そこには、テレビなどで見覚えのある台湾の風景や美味しそうな料理を前に満足そうな笑顔の父親が写っていた。彼はおどけた表情をしていて、先日激しく怒鳴られた時とはまるで別人のようだった。優しいお父さんそのものという感じだ。

「瑞枝さん、本当に沢渡メディカルデバイスに行ったのかな? 所属するどこかの訪問看護ステーションに行ってるんだとばかり思ってたんだけど」

蒼は銀座のカフェで待機している時からファミレスを訪れるまでの間、ビルに入居している全ての会社名をネット検索してみたが、訪問看護はおろか医療系の会社は沢渡メディカルデバイス以外には無かったことを告げた。銀座にあまたあるビルの中から沢渡グループの会社が入るビルを瑞枝が訪れるというのは、普通に考えたら偶然ではあり得ない。

「瑞枝さんは自分のバッグからIDカードを出して、従業員用のゲートを通って中に入っていったんだ。あのビルに入る会社が彼女の所属先なのは間違いないだろう」

とはいえ、なんの確証も得られた訳ではなかった。そもそも、瑞枝がどこから来ているのかという話は、結花も聞かされていないのだ。沢渡メディカルデバイスから派遣されているとしても、一向に不思議ではない。これから何をすべきかを二人は話し合った。

瑞枝本人に沢渡メディカルデバイスから派遣されているのかを聞いた場合、尾行や何らかの方法で調べたことを知られることになる。父親や瑞枝は風花に関わる秘密を隠そうとしている訳で、それを探っていることが明らかになれば、もっと強固に情報を隠すための手立てを講じてくるかも知れない。これ以上、風花の身辺を守り固められたら、秘密を暴こうとする試みも、より困難なものになるかも知れない。

蒼はあれこれと考えを巡らせていたが、ふと思い立ち、スマホを操作して電話を掛けた。


『はい。沢渡メディカルデバイスでございます』

呼び出し音を鳴らすと、夜10時にもなろうというのにすぐに応答があった。

「沢渡製薬の佐藤と申します。えーっと……部署は失念してしまったのですが、御社の加納様に頂戴したメールの件で連絡させて頂きました」

その様子を伺っていた結花が「偽名〜」と小声で言った。

蒼は唇に人差し指を当てて、彼女に黙っているよう促した。

『それは秘書課の加納瑞枝かと存じます。あいにく、本日は退勤してしまったようなのですが、明日の折り返しでもよろしいでしょうか?』

蒼はまたかけ直しますと告げて、そそくさと電話を切った。

「すごいねー。本物の探偵みたい」

結花は感心したように声を上げた。確かめる術はないが、今の偽電話も浅野剣司の能力を得たことによるひらめきなのだろうかと蒼は思った。

「で、どうだったの?」

「瑞枝さんの所属は秘書課だって」

「秘書課? なんで秘書が風花の世話をしているのよ」

「それはオレにも分からないよ。ただ、ひとつはっきりしたことがある。お父さんも瑞枝さんも、何かを隠しているだけじゃなくて嘘をついてたってことだ」

結花は息を呑んだ。

「そっか。やっぱり……」

そう思ったからこその調査ではあったが、現実を突きつけられた結花は少なからずショックを受けたようだった。

確かに病人を介護するのに看護師である必要はない。風花の身体の状態は医師によりリモート監視されているという話だから、自宅介護としては万全の体制と言っても良いだろう。

瑞枝が現役看護師という話はあるいは嘘かも知れないが、有資格者である可能性もある。看護師だとすることで結花を単に安心させたかったのかも知れない。

今の時点では、まだまだ真実は判然としなかったが、少なくとも尾行における“リベンジ”は成功と言っても良い結果だった。風花の秘密を探るという目的に向かって多少なりとも近付いたと感じたし、ひとまず蒼はこの成果に満足していた。


蒼は結花のショックを解きほぐすために、音楽やテレビ番組の話題を振ってみた。おしゃべり好きで陽気な結花はすぐに話に乗ってきて、しばらくは雑談に興じることができた。

「あっ、そうだ。蒼って、数学得意だったよね? 分からないところあるんだけど、教えてくれない?」

結花は突然、雑談の途中でそんなことを言い出して、塾のバッグから数学のテキストを取り出した。

「得意ってほどでもないけど、オレが理解しているところなら」

蒼はとっさに最近能力をコピーした、ピアニストの影山真一と探偵の浅野剣司のことを思い出した。どちらもあまり数学は得意ではなさそうに思えた。きっと、手助けにはならないだろう。

幸いなことに、結花が質問してきたのは蒼がよく理解している部分だった。蒼の説明に結花は聞き入った。

「なるほど、そう解くのね。ちょっとメモさせて」

結花はペンケースを開き、中からシャープペンシルを取り出そうとした。その瞬間、テーブルの上にコロンと大きめのネジが転がり出た。それは、女子高生のピンクのペンケースから出てくるものとしては、あまり似つかわしくないように思われた。

蒼はテーブルに転がったネジを指でつまみ、目の高さまで持ち上げて聞いた。

「これ、なんのネジ?」

「うん? ああ、なんだかよく分からないんだけど、いつの間にか持ってたんだ。どこのネジなのか思い出せないんだけど、なんか大事なもののような気がして、とりあえず捨てずに持ってるの」

「よく見ると、穴が5角形のネジだよ。珍しいね」

「そうなの? そういうの全然うとくて」

結花は蒼から差し出されたネジを受け取るとペンケースに戻し、蒼から習った数学の解法をノートに熱心に書き留め始めたのだった。


[次話へと続く]

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