第04話 探偵スクール

結花と別れた後、渋谷駅の構内を歩きながら蒼は考えていた。

例え一人だったとしても、果たして尾行を最後までやり遂げることが出来ただろうか。対象者に気付かれずに尾行するのはとても技術がいると、何かのテレビ番組で見たことがある。生まれて初めて人を尾けてみて、ほんの少しその意味が分かったような気がした。

瑞枝が結花の言い訳をどこまで信じてくれたのかは量る術がない。ただ、理由がどうであれ、尾行に気付いたからには明日以降はもっと警戒するはずだ。もう一度尾行をかけるなら、どこかで技術を身につけなくてはとても太刀打ちできそうにない。


蒼はスマホを取り出し、 “探偵 学校 東京”というキーワードで検索をかけてみた。すると、検索結果の一番上に “ソード探偵スクール”という名前がヒットした。

「ソードって……剣か? 見学随時って書いてあるな。……ちょっと行ってみるか」

蒼はWebサイトの“アクセス”でスクールの場所を確認した。どうやら、新宿にあるらしい。


すぐに蒼は渋谷駅から副都心線に乗り、新宿三丁目で下車した。地下道から地上へと上がると、全身がムンとした熱気に包まれた。この時間になっても一向に収まらない暑さの中、スマホのナビを頼りに歩みを進める。やがて、飲食店が建ち並ぶエリアの一角に探偵スクールが入っているとされるオフィスビルの名前を見つけた。

ビルのロビーへと入り、掲げられたネームプレートでスクールが4階にあることを確認すると、エレベーターに乗ってボタンを押した。目的階で降りるとすぐ目の前にガラス扉が目に入り、そこには剣をあしらったデザインのロゴと“ソード探偵スクール”の文字が貼り付けられていた。

蒼はその扉を押し開けて中へと入った。入口付近には無人の受付用電話が設置され、その横には来客者が待機するためのソファが置かれていた。スクールというよりは、普通のオフィスのように見える。

蒼がカウンター上の電話に手を伸ばしたとき、スッと脇の扉から若い女性が現れた。監視カメラでチェックしていたのだろうか。

「いらっしゃいませ。どのようなご用件でしょうか?」

「あの……見学させてもらいたくて」

「ありがとうございます。ご見学ですね」

案内の女性はニコッと笑顔を見せた。蒼は女性に先導されてスクール内へと歩みを進めた。歩きながら、この探偵スクールについての簡単な概要説明を受けた。

最初に案内されたのは、座学を行う講義室だった。室内にはテーブル付きの椅子が20脚ほど並べられており、前方にはホワイトボードと60インチはありそうな大型のモニターが設置されていた。

「生徒さんは多いんですか?」

蒼の質問に女性はにこやかに答えた。

「現在は40名くらいですね。大学生や社会人、中には主婦の方もいらっしゃいますよ」

色々な人たちが探偵技術を学びたいのだなと、蒼は少し驚いた。

次に通されたのは“機材室”と呼ばれる部屋だった。鍵付きのガラス扉がはめ込まれた棚があり、その中に何台ものトランシーバー、アンテナが2本ついた探知機のようなもの、様々な大きさのカメラやレンズなどが整然と並べられているのが見えた。スタンガンと思えるようなものも何台かあった。

「なんか、スパイの道具みたいですね……」

「まあ、仕事的には近いものもありますね。奥のロッカーには変装用の衣装や小道具、ナイフなどの武器から身を守る防刃服ぼうじんふくなどもあるんですよ」

女性は相変わらずにこやかな表情のまま淡々と説明し、また次の部屋へと蒼を導いた。その途中の廊下で、蒼は大きなポスターが貼ってあるのを見つけて足を止めた。“探偵スクール生徒募集”の大きな文字とその活動を示すようなイメージ写真、そして下の方には一人の人物の肖像写真が刷り込まれていた。

蒼がその写真に近づいて見ていたのに気づき、女性は教えてくれた。

「それは、うちの代表の浅野剣司です」

ポスターには漢字で名前も書かれていた。蒼はすぐに、剣司の“剣”を英語にして探偵スクールなんだなと理解した。

それにしても、この代表者の写真は随分若く見える。三十代前半だろうか? もしかしたら、もっと若いのかも知れないと思えた。

よく見ると肖像写真の脇に簡単なプロフィールがあった。

"元警視庁捜査一課所属警部補。力心会空手道二段。全国警察逮捕術大会・徒手優勝"

その経歴から、浅野という人物は相当な武闘派であることがうかがえた。


再び、廊下を歩き始めると蒼は女性に質問した。

「お姉さんも探偵なんですか?」

「いいえ。私はただの事務員ですよ。このスクールには約20名の講師がいるんですが、その全員が現役の探偵としても活動しているんです。……ほら、このスクールは学校っぽくないでしょ? 探偵事務所としての仕事も行っているからなの」

蒼が“お姉さん”と呼びかけたからか、女性は後半少し砕けた物言いになった。

(しかし、講師が20名もいるのか。とにかく、尾行の得意な人に接触しないといけないな……。)

頭の中でたくらみを巡らせながら、蒼は女性にストレートに聞いてみた。

「やっぱり、探偵にも尾行が得意な人とかいるんですかね?」

「そうですね。やっぱり、極端に長身だったり太っていたり、街中で目立つような人はあまり尾行には向きませんね。でも、うちのスクールでは代表の浅野が尾行が得意で、所属の探偵達を日々鍛えているので全員優秀ですよ」

次に立ち止まった扉には“道場”と書かれていた。

カードキーで扉が開かれると、かなり広い部屋一面にブルーの床が広がっていた。それは、まるでレスリング場のようだった。靴を脱いで部屋の中へと進むと、敷き詰められている床材にはクッション性があることが分かった。

「探偵活動では危険を冒さないというのが基本なんですが、生徒さんには万が一に備えて護身術なども学んでいただいています。ここで女性向けの護身術スクールなんかもやってるんですよ」

説明を聞きながら、蒼は部屋を見渡した。ツバのついた短い竹刀しないのようなもの、ゴム製と思われるナイフやモデルガンなどが飾られるように白い壁に整然と掛けられていた。それらは訓練用のアイテムだろう。しかし、ナイフや銃を突きつけられて素手で渡り合えるものなのかと蒼は首をかしげた。


「いらっしゃいませ。入学をお考えの方ですか?」

背後から一切の気配も感じない中での突然の声に、蒼も案内の女性も驚いた。振り向くと、そこには先ほど見たポスターの人物、浅野剣司が立っていた。

濃紺の三つ揃いスーツ姿、身長は180cmの蒼とそう変わらない。細身ではあったが、しっかり筋肉が詰まった体格はを洋服を着ていても隠しきれないといった印象だった。

「やっぱり、先日のテレビ放送を見て頂けたんですかね? おかげさまで、たくさん入校に関するお問い合わせを頂いているんですよ」

浅野剣司は、まさに笑いが止まらないといった様子で弾ける笑顔を見せた。

もちろん蒼はそんな放送など見ていなかったが、浅野剣司の能力をコピーできればこの上ないと考え、接触の機会を伺うため話を合わせた。

「ええ、そうなんです。テレビを見て興味を持ちまして」

「やはり! いや〜、テレビ映りが悪くて参っちゃいますよ。ほら実物の方がいい男でしょ?」

浅野の隣で案内の女性は苦笑いしている。

(こんな感じでテレビに出たのだろうか。だいぶ、お調子者のようだ。しかし、ここはチャンスだ)

蒼はそう考えて言葉を続けた。

「そうですね。やっぱり実物の方がカッコイイなぁ。記念に握手していただけますか?」

この言葉に浅野の表情は一層崩れた。

「いや、参ったな〜。芸能人じゃないんだけどな〜」

そう言いながらも、浅野はまんざらでもない様子で蒼に近付いて右手を差し出した。チャンス到来! 蒼は浅野とガッチリ握手した。

次の瞬間、蒼の身体は一瞬宙を舞い床に叩き伏せられていた。そして、そのまま右手をねじ上げられる。浅野が叫んだ。

「お前、今なにしやがった! なんの真似だ!?」

「痛い! 痛い! 静電気が走っただけですよ!」

「いいや、お前が何かしたことはお見通しだ! さあ、言え!」

蒼は質問に答えることも出来ずに大きな悲鳴を上げた。

浅野には何が起きたのか分からなかった。単に激しい静電気の放電と思えば思えたはずだ。しかし、長年培って来た探偵としての勘がそれを許さなかった。明らかに、目の前の少年に何かをされたと感じ取ったのだ。

「言わねーと、このまま腕へし折るぞ!」

「言います! 言います! 言うんで放して下さい!」

浅野は蒼が発した言葉に嘘がないことを見極めると、腕を放して床に座らせた。

そして、騒動におろおろするばかりの案内の女性を道場から退出させたのだった。


浅野は右手に残る違和感を払拭するため、手のひらを開いたり閉じたりしながらも、一瞬たりとも蒼から視線を離さなかった。

蒼は観念して浅野に自分が触れた人物の能力をコピーできることについて話し始めた。本物の探偵の尾行技術をコピーするためにこの学校を訪れたこと。そして、たった今、浅野剣司の能力をコピーすることに成功したことを告げた。当然のことながら、浅野はにわかには信じられないといった様子だった。

「ってことは、オレの出来ることが、そっくりそのままお前も出来るようになったってことかよ?」

「そっくりそのままって訳でもないですが、まあ大体は……」

浅野の目には疑いの色がありありと浮かんでいたが、少し考えると蒼に立ち上がるように命じた。

そして、また蒼の腕を取ると捻りながら背後に回ってガッチリと固めた。蒼が再度悲鳴を上げる。浅野はたたみ掛ける。

「オレの技術を盗んだんなら、この状態から逃れられるだろ。やってみろ、ほらっ!」

(くそっ、テストって訳か。でも……)

「どうした、遠慮はいらないぞ。思い切りやれ! 出来ないんだろ、ほらっ!」

「……じゃあ、遠慮なくっ!」

蒼は右足のかかとを後方に振り、自分の背後にいる浅野の股間を思いっきり蹴り上げた。

「うっ! せ……正解だ……」

雷に打たれたかのような衝撃を受けた浅野は、その場に崩れ落ちた。


——浅野が会話できるまでに回復したのは10分ほど後だった。

「すみませんでした……」

窮余の策とは言え、についてよく分かっている蒼は、なんとなく自分自身も下腹部をもやもやさせながら謝った。

「気にするな。あそこまでガッチリ腕をきめられたら、身のこなしだけで逃れるのは不可能だ。オレがよく使う技を、お前は完璧にやってのけた。確かに能力をコピーしたようだ」

「いや、それを確認するだけなら、他の方法もあったかと思うんですけど……」

蒼は恐縮しながらも、浅野の無鉄砲な行動ぶりに半ば呆れていた。

「しかし、10年かけて身につけた技術なんだぞ。簡単にコピーしやがって。……お前、名前はなんていうんだ?」

「七瀬蒼です」

「蒼、事情はよく分からんが、オレの尾行の技術を使って悪さをするわけじゃないんだろうな?」

「誓って。どちらかというと人助けです」

浅野はその真否を確かめようと、蒼の目を真っ直ぐに見た。警察官として現場経験もある浅野にとっては、目の前の高校生が嘘をついているか見極めるのはそう難しくなかった。

「まあいい。詳しくは聞かないが、オレの技術をコピーしたんだから絶対に失敗すんなよ」

蒼は浅野の許しを得て、安堵のため息をついた。しかし、すぐに別の心配が頭をもたげた。

「あの、オレの能力のことなんですけど……」

浅野はすべてを察したように蒼の言葉を遮った。

「安心しろ。誰にも喋ったりしないから。探偵は秘密を守るのが得意なんだ」

「ありがとうございます!」

「ただしだ、オレが今後お前の能力を借りたいときが出てくるかも知れないから連絡先を教えとけ」

(やはり……)

蒼には浅野が何かをたくらんでいるような気がしていたのだった。

連絡先の提示を断ったところで相手は探偵だ。蒼の素性など、すぐに突き止めるに違いない。観念してスマホの番号とメールアドレス、住所を書いて渡した。

「よしよし。お前はもうオレの弟子みたいなもんだ。明後日の夜にまたここに来い。会わせたい奴がいる」

早速の命令に蒼は面食らったが、浅野には有無を言わせぬ押しの強さがあった。

「わかりました……」

「これから、よろしくな蒼! なんか楽しくなって来たな!」

浅野は蒼の背中を平手でバンバン叩きながら、高笑いした。

蒼にはもう不安しかなかったのだが……。


[次話へと続く]

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