第03話 デビュー戦
結花に自宅から追い返された翌日。その日は快晴で、朝からぐんぐん気温が上がっていた。梅雨明け以降、ここ数日はこんな日ばかりが続いている。
蒼は昨夜のことについて早く結花と話したかったが、それは二人が別のクラスだったこともあってすぐには叶わなかった。しかし、昼休みになると結花が蒼の教室を訪れて、放課後に音楽室で待っていると告げたのだった。
同じクラスの幼なじみ、美彩はそれを見逃さなかった。
「ちょっと蒼、いつの間に結花と仲良くなったのよ? 逆玉でも狙ってるの?」
「バーカ、そんなんじゃねぇよ。美彩こそ、いつ知り合ったんだ?」
「私は2年の時に同じクラスになったんだ。彼女ちょうど転校してきたところで友達もいないからすぐに仲良くなったよ」
「でもさあ、結花明るくなって良かったよ。転校してきたばかりの頃、なんかちょっと暗かったんだよね。陰があるっていうか」
結花は妹の事故があって留学先から帰国したと話していた。昨年の4月と言えば、恐らく事故からそう間も無い頃だ。陰があったとしても、それは無理からぬこと。きっと美彩は風花のことを聞かされていないのだろう。もちろん、そのことについて蒼の口から美彩にそれを伝えようとは思わなかった。
「なになに? 仲良く二人して、なんか楽しい話?」
どこからともなく
「アンタには関係のない話」
美彩が不機嫌そうに返す。佑輝のこういうお調子者っぽいところが、どうにも美彩は気に入らないらしい。蒼にしてみれば似たもの同士なのだが、同族嫌悪というやつかと考えてみたりもした。
「そんなこと言わないで、教えてよ〜」
「パン買いに行くんだから、ついてこないでよね」
美彩に佑輝がまとわりつくようにして二人は去り、残された蒼はやれやれという気分で嘆息した。
そして、放課後。蒼は指定された音楽室へと出向いたのだった。結花は先に来ていて、蒼を見るなり拝むように両手を合わせた。
「昨日はごめんね。みっともないところ見せちゃった」
「ううん、それは平気だけど、お父さん随分怒っていたね」
「それなのよ。昨日も話したとおり、私は普段風花に会うことを許されていないの。おかしいと思わない?」
「そうだなぁ……」
確かに意識がないとはいえ、実の妹に自由に会えないというのは少し変に思えた。
昨夜の帰宅後、蒼はネットで“植物状態”というものについて調べてみた。
“生命維持に必要な視床下部と脳幹だけが機能を保ち、思考や行動をつかさどる大脳が機能を失っている状態”——そこにはそう書かれていた。植物状態は確実に死に至る脳死とは違い、全く回復の見込みがない訳ではなく、実際に意識を取り戻した患者の例も数多くあるのだと。蒼はそれらの症例について、いくつも興味深く読んだ。
「植物状態から回復した人の話をいくつか読んだんだけど、毎日家族や友人達が熱心に話しかけたり、身体をさすってあげたり、そういうことの積み重ねで起こった奇跡って感じだった」
「うん。私もそんな話をネットで読んだよ。だから、風花にも毎日話しかけたり、身の回りの世話をしてあげたいって思ってるんだ」
「その気持ち分かるよ、大切な妹なんだから。それに必要だとも思う」
蒼の同意を得て、さらに結花は言葉に力を込めた。
「でも、パパは絶対に許してくれない。風花の回復はすっかり諦めているみたい。私には何もさせてくれないの。もう1年以上もあの状態なのに、私がパパも瑞枝さんも立ち会わずに風花と会ったのは昨日が初めてなんだよ」
「そうなんだ……」
「なんで風花があんなことになったのか詳しく教えてくれないのも不自然でしょ? 留学先のドイツで事故に遭ったとだけ」
そして、一拍置いて結花は意を決したように切り出した。
「私……パパが自分に都合の悪い何かを隠しているんじゃないかって疑っているの」
「そんな、まさか……」
突拍子もない疑いに蒼は息を呑んだが、結花は止まらずに話し続けた。
「そうとでも考えないと納得出来ないよ。きっと誰かに調べられたら困るようなことがあるんだよ。私や……警察とか……」
蒼は結花を真っ直ぐに見て心の内を読み取ろうとした。そこには長い時間悩み続けてたどり着いた結論だということを物語る、固い決意の表情があった。返す言葉が見当たらず、蒼の視線は宙を泳いだ。その沈黙を破り、再び結花は話し始めた。
「ねぇ、蒼。パパが隠していることを探るの手伝ってくれない?」
「えっ、なんでオレが?」
「だって、他に頼める人なんていないし」
「そんなこと言ったって……。ほら、結花んち、どう見ても金持ちだろ? 探偵でも雇えばいいじゃん」
「お金持ちなのはパパで、私は普通の女子高生だよ。パパにお金をもらわなきゃ、探偵の費用なんて払えないし。それに、もらったお金でパパを探るって娘としてどうなのよ?」
それについては、自分の父親に探りを入れること自体がそもそもいかがなものかと蒼は思った。
「だからって、オレじゃなくても……」
もう一押し、とばかりに結花は続けた。
「蒼のピアノがプロ並だって知ったら驚く人、いっぱいいるだろうな〜。ほら、来月クラス対抗の合唱コンクールでしょ? ピアノを弾いてくれる生徒がいないって先生ぼやいてたよ。蒼を推薦しちゃおうかな〜」
結花は先ほどまでの表情を一変させ、イタズラっぽい顔でそう言い放つと横目で蒼の顔色をうかがった。こんなところで秘密の暴露をちらつかせるとは……。
その時、ふと蒼にひとつ考えが生まれた。
(待てよ……よく考えたら、ピアノなんて弾けないってしらを切ることも出来るんじゃないか? 幼なじみの美彩や佑輝なら、付き合いの長いオレの言うことを信じるはずだし。うん、そうに違いない)
蒼は口元を緩めた。
しかし、結花はそんな蒼の表情を見逃さなかった。
「あっ、そうそう。風花がいた部屋ね、監視カメラが入っているの。昨日の演奏もなかなかキレイに撮れてたよ。今度、動画送るね」
まさか証拠映像が残されているとは。思惑はもろくも崩れた。蒼は観念するしかなかった。
「分かったよ、協力するよ。でも、オレただの高校生なんだけど。一体何が出来るのかって話なんだよな……大体さぁ」
言葉の途中で顔を上げると、結花の目からは大粒の涙がこぼれ落ちていた。
「あっ、ごめん。泣いちゃった……」
蒼は慌ててポケットからハンカチを出すと、結花に手渡した。
結花は小声でありがとうと呟いて、目頭の涙を押さえた。
「私と風花はさあ、いつでも一緒だったんだ。毎日話をして、笑い合って。留学で別の国に行っても、毎日メッセージし合ってた。でも、風花は突然消えちゃったの。目の前にはいるけど、心も通わなくなって、私には消えてしまったのと一緒……」
蒼は結花の話を黙って聞いていた。
「私、孤独だったんだ。パパも瑞枝さんも何も教えてくれないし。ひょっとして、風花の回復を願ったり、真実を知りたがる自分が悪いんじゃないかなんて思ったりもして。でも、蒼が私のことを肯定してくれて……協力してくれるって言ってくれて、すごく気持ちが楽になった。本当にありがとう」
蒼は結花の気持ちを自分に置き換えて考えてみた。もし、自分の家族がある日突然意識をなくして目の前に現れ、満足な説明もしてもらえず、ただもう治ることは無いとだけ告げられたとしたら。その気持ちは容易に想像がついた。
すべての出来事はつながっている……。
ピアノを弾く姿を見られた時から、結花を手助けすることは決まっていたのかも知れない。蒼は運命論者ではなかったが、ふとそんな風に思ったことで結花の力になりたいという気持ちが芽生え始めていた。
「とりあえずさ、お父さんの日常について教えてくれる?」
結花によると、父親はいつも朝8時頃に渋谷の自宅から銀座の本社へと出勤していくということだった。移動方法は運転手付きの社用車。運転手は格闘技経験のある人物で、ボディーガードを兼ねた屈強な男という話だった。
また、父親は月の半分くらいは国内外の場所へと出張に出かけていて、秘書と運転手兼ボディーガードの2名は常に同行するとのことだった。
「手がかりは何もないけど、とりあえず結花のお父さんを尾行してみるか」
軽く切り出されたその蒼の提案に結花は首をかしげた。
「うーん……蒼はバイクにでも乗るの?」
「免許もバイクも持ってない」
「うちのパパ、どこ行くにも大抵は車だよ。歩いて尾行は無理だよ。それにパパが仕事に出る平日は私たち学校だし」
「そっか……」
「ちょっとぉ。探偵さんしっかりしてよね」
結花は不満げに言った。
「何しろ、さっき探偵になったばかりなもんでね」
蒼も不満げに応戦した。
「それにパパは今日からまた出張に行っちゃったよ。台湾だったかな」
蒼は少し考えてから尋ねた。
「看護師の……加納瑞枝さんだっけ? 確か住み込みなんだよね?」
「そう。でも、瑞枝さんは毎日決まって夕方6時から9時の間に外出するの。所属の看護師派遣会社に定時報告に行ってるって話してたわ」
「なるほど。彼女も車移動?」
「渋谷駅で見かけたことあるから、電車移動だと思うよ」
「瑞枝さんの会社ってどこなのかな?」
「さあ? 聞いたことないや。彼女が気になるの?」
「うん、まあね。昨日、看護師だって紹介されたときから、なんか違和感があって」
「え? なんで、違和感?」
「実は、うちのお袋が看護師なんだ。昔から同僚の看護師もよく家に遊びに来たりしてさ、子供の頃から馴染みのある職業なんだよ。うまく説明できないんだけど、なんか看護師って皆独特の雰囲気があって。でも、瑞枝さんからは、それを感じなかったというか……」
「あーっ! 私、昨日失礼なことを言ったかも。女性看護師は男勝りの人が多いって……」
「まあ、それはうちのお袋に関して言えば当たっているので大丈夫」
蒼は笑いながら答えた。
「とりあえず、気になるから手始めに瑞枝さんを尾行してみよう」
* * *
あと少しで午後6時という頃、結花の自宅周囲をぐるぐると歩く蒼の姿があった。道路の人影はまばらだったが、こんな閑静な高級住宅街にじっと立ち止まっていれば周辺住民に不審に思われるかも知れないと考え、一ヶ所に留まらないようにしたのだ。
日が陰って来たとはいえ歩き続けるにはまだまだ気温が高く、時折ハンドタオルで汗を拭い、背負っているリュックに入れたペットボトルへと手を伸ばした。
にわかとは言え、探偵としてのデビュー戦だ。失敗するわけにはいかない。
学校が終わってから一度帰宅した蒼は、できるだけ渋谷の街に溶け込みそうな私服に着替え、顔を隠しやすいようキャップをかぶった。加納瑞枝とは結花の家の玄関でほんの数分顔を合わせただけ。あの時は制服だったし、ここまで服装を変えれば分かりにくいはずだ。協力者の結花は家の中で待機していて、瑞枝の様子を逐一メッセージで送って来ていた。
結花によると瑞枝は時間に几帳面な性格らしい。その言葉通り、瑞枝が玄関に向かったというメッセージを受けたのは、6時になる1分前のことだった。
蒼は結花の家の門扉から直接見えない住宅の壁に隠れて様子を伺った。
6時ちょうど、瑞枝は沢渡邸の通用口を出て、渋谷駅方面へと向かう道をたどり始めた。相変わらず路地の人通りは少ない。瑞枝の足元からはパンプスの靴音が凜々しく響いていた。後を追う蒼はスニーカーを履いていたので靴音は静かだったが、万が一にも靴底が道にこすれて音が鳴らないように注意して歩いた。
路地を数回曲がると、少し大きな通りに出た。徐々に通行人も増えて来ている。人通りが増えたことで、少し尾行がばれにくくなったなと蒼は一息ついた。
「どんな様子?」
蒼は突然背後から声をかけられて驚いた。聞き覚えのある声だ。
「結花!? 尾行はオレに任せるってことで話はついただろ?」
「えへへ、だって〜」
結花は例のイタズラっぽい笑顔をして見せた。
まずい、こんなやりとりをしていたら、瑞枝を見失ってしまう。
蒼はとっさに結花の手を取ると、再び瑞枝を追った。結花の手を握りはしたが、もちろん能力コピーのスイッチは入れなかった。
人通りが増えたということは自分自身が他人に紛れやすくはなるものの、逆に尾行相手を見失う危険性も高まるということだ。駅に近づくにつれ、どんどんと行き交う人が増えてくる。あっと言う間に、瑞枝を目視するのも難しくなった。
(もっと近づかないと)
蒼は結花の手を引き、前の通行人を足早に追い抜き、瑞枝との間合いを詰めようとした。しかし、さらに人波は激しさを増し、なかなか思うに任せない。しかも、結花の手を引いている。このままでは見失ってしまう。蒼は焦りを感じた。
駅近くまで来ると瑞枝は地下道への階段を下り始めた。尾行を開始して初めて、瑞枝の姿が完全に視界から消えてしまった。遅れること数秒、蒼たちも地下道への階段入口に到達したが、もう瑞枝の姿は確認できなかった。
二人は一気に階段下まで駆け下りた。しかし、地下道は人々でごった返しており、皆思い思いの方向へと歩みを進めていた。右、左、正面と視線を移して探すが見つからない。ついに瑞枝を完全に見失ってしまったのだ。
「くっそ!」
蒼は結花とつないでいた手を放し、両手で頭をかきむしった。
「随分、荒れてるわね」
突然背後から聞き覚えのある声がした。
「こんばんは。七瀬君だったわね。それに、結花お嬢様。こんなところで会うなんて奇遇ですね。それとも偶然じゃないのかしら?」
その口ぶりから、瑞枝が蒼の尾行に気付いていたのは明らかだった。
「えーと……」
蒼が驚いて口ごもっていると、結花がニコニコしながら言った。
「あはは、バレちゃった? きっと、これから瑞枝さんはデートだから、彼氏の顔を見てみたいなぁって私が言ったの。そしたら、蒼が後を尾けてみようって言い出して」
瑞枝はその言葉の真否を確かめるように目の前にいる二人の顔を交互に見た。そして、少し考えてから言葉を続けた。
「人を尾けるなんて、あまり良い趣味とは言えませんね、お嬢様」
「ごめんね、瑞枝さん。もうしないから許して」
瑞枝は軽く会釈をして雑踏へと消えていった。もちろん、これ以上追いかけることは出来ない。こうして蒼の探偵としてのデビュー戦は惨敗に終わったのだった。
結花は家でおとなしくしていなかったことを蒼に詫びた。反省しきりの結花をこれ以上責めても仕方ない。蒼はまた何か方法を考えるからと結花に伝え、二人は今日のところはここで別れることにしたのだった。
[次話へと続く]
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