(82) 待っている

「今度こそ戻ってこないかもしれない。

 でも俺、待ちたいんだ」

 帰宅した恭一は今ヶ瀬の灰皿を洗いテーブルに置くと、今ヶ瀬の居場所だったハイチェアに腰かけ、満足そうに灰皿を眺めます。

 恭一がここに座るのは初めてですね。ここで今ヶ瀬を待つと決めたんですね。


 思えば今ヶ瀬は、いつも待っている存在でした。恭一と何の進展もなく卒業していくのを見送る。その後、また会えるかどうか? 会えない時間も、待っている時間になるのでしょうか。

 偶然のチャンスで恭一と会えた今ヶ瀬、半同棲にこぎつけますが、やはり待つことに変わりはなく。

 マンションの敷地まで戻ってきたところで瑠璃子に呼び出され、恭一はほいほい出向いて遅くなる。

「食べだんでしょ」と不機嫌そうにソファでタバコを吸う今ヶ瀬。

 夏生にしてやられた夜は、やはりソファで「オルフェ」を見ながら待っている。ファンデの件で、たまきとの仲を疑い尾行した後は。「遅かったですね」と、やはりソファで待っている。耳かきしたり髪を撫でられたりワインをもらったり、ソファでは心弾むシーンも展開されますが、待つだけの苦しい場面もあるのが辛いところです。


 ハイチェアでの姿が印象的な今ヶ瀬ですが、実は、この場所で待っていたのは、恭一が夏生と会った時だけ。他の二回は白いシャツでベッドの恭一を見つめています。この場面だけが黒いシャツにズボンで、恭一のシンボルであるグレーの部屋着はベッドの上にありますが。そちらを見もしません。この時がいちばん苦しかったかと。

 夏生が恭一を送ってきて、数年ぶりの再会のはずだった今ヶ瀬と同棲していることを知り怒り心頭、恥をかかされリベンジに燃えたことは間違いない。このデートでベッドインしていても不思議はありません。

 釣り堀で夏生の電話を受け、「会うことになった」。

 恭一の言葉に、今ヶ瀬の反応は、そっけないものでした。恭一が「平気なの?」と確認するほどに。「どうぞ」と応じた今ヶ瀬は、本心は平静ではいられなかったはずですが。嫉妬深いと思われたくなかったのかな。不安いっぱいの今ヶ瀬は恭一の部屋着を着て恭一に包まれている気持ちになりたかったのかなあ。

 帰宅した恭一に「早かったですね」とは、まだ寝てはいない、とほっとしたのか、でも直後にキスを拒まれ、夏生を呼び出す決意をするのです。


 でもやっぱり、別れにつながった夜がいちばん苦しいですよね。夏生と会った夜は「早かったですね」が、「遅かったですね」になってしまっている。よりを戻したとはいえ、何度見ても悲しくなってしまいます。

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