(77)不要なシーン

 ゲイバーのシーンは要らない、という意見を散見します。

 他には、瑠璃子との性愛シーン。屋上でいちゃつく場面も特典映像でいい、と仰る方がいます。

 130分に収めるため、カットされたシーンもありますが、それでも削らなかった。やはり必然性があってのことと解釈しています。

 というわけで、なぜ不要でなないのか、を書いてみます。


 まず瑠璃子との場面。

 ここは大倉忠義ファンにはショックでありましょう。受け入れるまでに時間がかかりそう、との意見も。半面「ベストアクト」と絶賛するファンもいます。以前は彼に注目してなかったのですが、私は今回の演技で完全にファンになりましたから。大人のファンは彼の成長を喜んであげてほしい。

 今ヶ瀬とのベッドシーン同様、体を張っての演技、たいした決意です。

 ヘテロとして、もてる男として女を抱けて当然。期待される人間像、なんて大昔にありましたが、期待される男性像として、求められたら応えねば、そんな悲哀すら漂ってきます。今ヶ瀬との性愛をあそこまで描いた以上、女ともしっかりできることを描く必要があったと思います。


 屋上の場面は、シナリオには「屋上にいる」だけだったらしい。例のゲームが考案され、なんじゃこりゃ、と思いつつ楽しく見ました。

 あの場面だけは大倉忠義そのものだった、らしいです。監督も二人ともほとんど素だった、と。男同士っていいなあ、と思ったそうですね。男と男は一緒にいる時が心地よいのだ、ということが伝わってきます。

 ポテチを食べるシーンと合わせて、数少ない楽しそうな場面、やはり入れて正解だったのでは。次には夏生が登場しますからね。


 最大の問題は、やはりゲイバーでしょう。

 何故行ったのか、今ヶ瀬と別れ、ヘテロの世界に戻ったというのに。

 脚本の堀泉さんによれば、理由は「わかりません」と。でも、人間、すべての行動を頭で理解してするわけではない。どうしてあんな言動をしちゃったのか、と戸惑ったり後悔したり、はよくあることです。恭一も何かを求めて二丁目に赴いたわけですよね。その「何か」はわからないままに。


 あの店がステレオタイプだとか選択ミス、という方もいますが。初心者の恭一が、適切な店を選べますか?

 一度、二丁目に行ったことがありますが、固く扉を閉ざした、会員制か、と思わせる店ばかりでした。大昔なので今は違うかもしれませんが、一人では到底入れない雰囲気。この時は友人がレズビアンバーに誘ってくれたのです。変な男が声をかけてこなくて安全、とのことで。実際、静かな雰囲気で落ちついて飲めました。

 あのようなオープンで音楽をガンガン流している店は、恭一には入りやすかったでしょう。


 なんで二丁目に行くのか、今ヶ瀬のことが振り切れていないのか。

 その疑問を見る者に抱かせるだけでも、あのシーンは意味があったのではないか。

 ここをカットしてしまうと、たまきと問題なくスムーズに進展していく印象になるし、後に今ヶ瀬が再登場することが唐突に思えてしまうかと。

 理由は不明でも、見る者が違和感を感じる、それが重要なファクターだったのかもしれません。


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