十五話:〝鍵〟と〝錠〟
「はい! お待たせしました! こちらで如何ですか?」
「……い、意味、分かってやってる……?」
「えー? あったり前じゃないですかー! こちとらこれで商売してるんですよー?」
ぼうっとしていたら、レフィシアは既に購入まで進んでいたようだ。どうやら茶髪の女性店員が何かをしたみたいで、レフィシアは分かりやすく動揺を見せる。外箱はアクセサリーに合わせて、薄桃色の小さな箱に仕舞われていた。一体何をしたのかと流石のリシェントもそわそわと気になってしまう。
「……まあ、でも、これだと値段が張り上がる。正当な金額はちゃんと払うよ」
「流石おにーさん! そのままサービスにしようと思ったのに、見抜いていらしたんですね?」
「うん。でも女性への贈り物にそんな事はできないでしょ?」
「……うっわ、性格も良……まあ、だったらお言葉に甘えて、追加料金頂きますね〜!」
先程の給金にプラスして自前で金銭の支払いを終えたレフィシアは、その飾り紐が入った外箱をリシェントに手渡した。誰かからのプレゼントというのが初めてであるが為に、リシェントはどのように反応したらいいか分からずに呆然と立ち尽くす。
「無理につけなくていいから、たまにつけてくれたら嬉しいな」とほんのりと顔を赤く染めたレフィシアの微笑みは、リシェントの心を弾ませた。
慣れずに頷いて二人してその場を後にしようとすると「またご贔屓に〜!」と元気よく手を振って女性店員が見送る。
時刻は既に昼を迎えようとしていた中で、普段一人で歩き回るよりも遥かに多くの店や人に出会い、会話をした。その度にレフィシアは躊躇う事なく初対面の人物達と日常会話を繰り広げている。横目で自分より背の高いレフィシアを見上げていると、やはり——見覚えのあるようで、ないような。
歯痒く感じてそわそわしてしまったのがつい顔に出てしまったのか、時折レフィシアがリシェントを気にかけるように振り返ってくるようになった頃。
「何でシアは、私にばかりこうしてくれるの?」
「……何でだろうね。でも俺の基本方針は、自分がこうするべきだと思った事からは、逃げたくないって事だけは確か。上手く伝えられないんだけど……まあ、不思議だよね。つい最近会ったばかりなのに」
疑問はまだ、晴れはしない。
*
——城内、執務室。
全体を通して雪のように純白な壁と床。その一室は本棚も机に置かれた書類達もまっすぐと整理整頓されている。ロヴィエドがまず濃灰のソファーに座り、テーブルを挟み、その真正面にノエアもソファーに腰を下ろした。
「さて、ノエア殿。話を聞こう」
「二年前、母さん……セリッド・アーフェルファルタを北国に呼んだそうだな」
——流石に誤魔化せないか。
ロヴィエドは肯定するように首を縦に一回。
「攫われた北国の王女を助ける為だ、とか何とか聞いたが」
「ああ。真実だ」
「そうか。なら、辻褄が合う。リシェントの事だろ、北国の王女ってのは」
「ほう? だがそれはあくまで君の予測に過ぎないだろう?」
「ルーベルグの魔法士を舐めんなよ、大将」
あくまで悟られまいと感情を殺し淡々と返していたが、ノエアの言葉によってロヴィエドの整った眼鏡が少しだけ斜めにずれかかる。つるの部分をつまんで直す様は、一瞬のうちに真実を外部に漏らしてしまった仕草である。勿論、ノエアは見逃さなかった。
高度な魔力探知ができる魔法士は記憶操作されているかされていないか、その痕跡を辿れるらしい。ならばノエアはリシェントと出会ったその時既に彼女に記憶操作がかかっているのを見抜いていた事なる。
——やはり、聖天魔法士の息子なだけあると、ロヴィエドはごくりと小さく唾を飲み込んだ。
「あんた、記憶操作の魔法について詳しく知らねーだろ。教えておいてやるよ」
記憶操作。
高密度な魔力の扱いに長け、尚且つ魔力量の多い者、そして他者の身体の中の魔力の流れの法則を理解できる者だけが体得できる魔法。魔法士の里ルーベルグでもこれを使用できる魔法士はセリッド本人しか居なかった。
ここで注目すべき事は、記憶自体が無くなった訳ではない、点だ。
使用された当人達やこれを知らぬ魔法士達から見れば、記憶を消して新たな記憶を作って埋めるという割と単純明快な禁術魔法に見えるだろう。ロヴィエドすら、そこまでの知識しか無い。
「記憶操作は、魔法士が独自の仕組みを施した魔力の〝鍵〟と〝錠〟で記憶を〝封印〟し、空いた穴にピッタリ収まるように新しい記憶を生成。埋め込み、前後の記憶調整。医学で例えるなら移植に近いな。記憶操作は通常、使用した魔法士の死亡と共に着々と緩っていく。ちなみに母さんが亡くなったのはルーベルグのあの事件だ」
「いつ緩まってもおかしくはないと?」
「いや、俺の見立てでは後五十年以上は持つ」
独自の仕組みを施した魔力の鍵と錠に、更に〝契約〟の魔法を加える事で魔法士が死亡しても記憶操作の効力は緩まず失われない。その契約内容は通常施した魔法士や対象人物しか知り得ないものである。
ノエアのようなとても優秀な魔法士になってくるとリシェントを目視しただけで理解できるのだという。記憶操作の仕組み——契約の魔法は〝セリッド・アーフェルファルタ死亡時、この魔法の使用者を自動的にノエア・アーフェルファルタに移動する〟ものだと。
ノエアは過去、少しずつ外部から魔力が抜けてく感覚を覚えていた。微量故にそこまで気には留めていなかったが、リシェントと出逢い確信と的を得た。あれはノエアの魔力と同調する為に契約がノエアの魔力を吸ったようなものなのだと説明を施す。長く専門外の説明をされ、思わずロヴィエドは足を組んだ。
「つまり、事実上リシェント……いや、リシェルティア様は君が死ななければ記憶は戻らないという訳だな」
「それが、もしかしたらそうとも限らないんじゃないか?」
「……どういう意味だ。セリッド様といい、君といい、何か隠しているだろう」
否定はしない。隠しているのは紛れもない事実だが、ノエアとて全知全能には程遠いただの人である。さて何処から話せばいいのやらと困ったように頭を悩ませて、大きな溜め息が生まれた。
——これを話してしまえば、魔法と魔力の常識を一気に覆してしまう。それを危惧していて、口から言葉は紡がれる事はない。
確信を得ている部分も少なく、ノエアの方針その一の〝確信の持てない事は言わないし、言いたくもない〟に反する。
「頼む。教えてくれ」
ノエアが躊躇いのあまり顔を曇らせていると、ロヴィエドが勢い良く頭を下げてきた。慌てて静止をするべきだが、呆気に取られたノエアにそこまでの思考能力はない。
「私は、リシェルティア様をお守りする事が出来ない処か、紅に殺されかけ、同期の仲間も殺された」
過去、あの場に遭遇していたまだ幼きロヴィエドは中央四将——紅を前に呆気ない末路を辿った。いち北国の兵士として勇敢に武器を手に取り、魔法も使いこなして見せた。
……のだが、足元にも及ばず敵う事はなく、アレの境地に辿り着くことなど到底有り得ない。鋭利な爪の攻撃を受けて、背から張り裂けるような血飛沫が噴水のように溢れ出た。
熱い。痛い。
それでも這い上がった。
が、意識は朦朧とする中で怒りを込めて手を伸ばしても守れるものは何一つとして無かった。
今でも思い出せば唇から血を生み出すくらいには歯を食いしばり悔やむ。
「私は、レフィシアや紅……他の中央四将のような圧倒的戦闘能力はない、だがら、守れる手段があるかも知れないなら、知っておきたい」
「……そうか」
その気持ち、分からなくもない。
ノエアも己や他人の身を守る為にルーベルグ魔法士大量殺戮事件以降、一層魔法や魔力のあらゆるものを調べて身につけてきた。回復魔法の基礎となる医学の勉強も日々怠る事もしない。
そうやって自分の出来る事全てを続けているのは、何も出来ず周りが殺されていく様を見てしまったから。
何もできない悔しさと怒りは誰だって同じだから。
「……いいだろう。だが、後悔するかも知れないぞ。これは……人が知るには理解が追いつかない代物、だからな。その覚悟がアンタにあるのか」
「あるからこそ、私はこの地位にいる」
下げていた頭を戻して、ロヴィエドはまっすぐと向き直した。軍人とはいえここまでハッキリと覚悟があると物申せる人物は稀だろう。逆にいえば、目の前の軍人よりノエアの方が会話の内容をどう説明しようかと心の重心の置き場がなくなっている。
「……分かった。話す」
ノエアはロヴィエドの覚悟を真実のものだと見極めて、無残なほど痛ましい想いを込めて語り始める。
*
「……そうか」
「まあ、分からないモンは変に考え込む必要ねーよ。とりあえず、記憶は戻させない方向でいいんだよな。意図なく戻っちまった場合は別として」
「ああ。重い任を託してしまい、申し訳ない」
「別に。まあ確かに責任重大な所はあるけどよ。お前らの事情は分からなくもねーしな」
——知り得る事の全てを語り尽くした。
ノエアは誰にも言う事が出来ずにいたのもあってか、顔色に清々しさが生まれる。ロヴィエドも決して表面上で悲しみ狂う事はない。静かに、それでも未だに信じられないと言わんばかりに緑の瞳は一層に大きく開かれたままだ。
「じゃあオレはそろそろ行く。一旦合流しとかねーと」
「合流し、昼食を取ったら城に来るよう伝えてくれ」
「ああ」
転移魔法で執務室から姿を消していったノエアを見送ってから、ロヴィエドは大きく長い息をつく。眼鏡を外してテーブルに置き、両手の平を顔に当ててると、一気に自責の念に襲われた。
彼の言う通りだった、と。精神的疲弊に襲われて、静かにその眼を伏せる。
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