十四話:北国の賑わい
「昨晩はよく分からなかったけど、改めて見るとやっぱり首都なだけあって活気付いてるね」
珍しく空より舞い降りる雪は無く、誰しもが傘をささずに街中活気で埋め尽くされた。
広場では不必要な雪は除雪。除雪された雪達を深い鋼で覆われた穴場にせっせと手際よく入れ込んでいた。作業しているのは屈強な男達が八割程度を占めており、女性は極めて少ない。
「北国の水は凄くおいしいよね」
「ああやって除雪した雪を火魔法が付与された鋼の穴場に入れて水として溶かした後、除水場に行くの。そこで細かなゴミとか、菌とか細かく取り除かれる……らしいわ」
あえて、らしい、と返したのは専門外なので細かな質問をされないようにあえてそう返した。流石王弟殿下だけあって、他国の生活事情にはとても興味を示しているよう。レフィシアの眼がそこから離れずにいると、二人に気づいた作業員の男性がひょこひょことした足取りでやってきた。顎に細かな髭を生やした四十半ばと思われる。安全を考慮して鉄の帽子を頭に被っていた。
「兄ちゃん! そこの育ちの良さそうな兄ちゃん!」
「え、俺ですか?」
「あんた、他国のヤツだろ?」
「ええ、まあ」
「おう、そりゃあ、きょろきょろしてるしな! どうだ? 少し、やってみるか? オレァ、ここの責任者だから問題ねぇよ! 何なら給金も出す!」
「せっかくだし……少しやってみたら?」
「そうだね」
明らかに平民としか見えない作業員の男性からも、育ちの良さそうなという言葉がすぐに出てきた事からレフィシアの容姿は目立つ。剣を所持しているだけならそう珍しくもないが、顔立ちや気品が他の比ではない。ここに来るまでの道中、すれ違う度に年頃の若い女の子からご婦人まで黄色い声を上げていた。中には話しかけてくる人達も多く、レフィシアは流すように返事を返していたが当の本人はあまり目立ちたくないので大人しくしたいと小言を漏らしていた。
リシェントもレフィシアにつられて除雪作業を手伝う中で様子を伺っていたが、レフィシアの瞳はまるで初めて出来たと言わんばかりの子供のようにきらきら輝いている。普段の淡く優しいものでも、敵に向ける恐ろしい位までの静けさでもない。
それにしても——。
上手い。
リシェントは自分から見ても一般の成人男性以上に力があるのでたまに感覚麻痺のように感じているが、雪は水を吸って重くなる。積り始めたばかりの雪ならまだしも下手をしたら人一人以上に重くてとてもではないが運べる筈がない。除雪した雪を荷車に乗せる時点で骨が折れるが、レフィシアは何てことないと雪かきでせっせと雪を荷車に放り込んでいる。
すると、思い当たる事が一つあって、まさかと思いひたすら没頭しているレフィシアの方に駆け寄った。
「ねえ、シア。重くない?」
「大丈夫だよ。日頃ちゃんと鍛えてるんだし、後はまあ、裏技というか……全身に魔力を込めて……ちょっと、ね。それよりそろそろこっちの荷車がいっぱいになるんだ。引くの、手伝ってくれないかな」
やはりそうか……と、レフィシアが中央四将の中でも近接戦最強と謳われているのを改めて思い出した。ただし、そんなレフィシアも山盛りの雪を積み込んだ荷車を一人で引くのは出来ない。首を縦に振ってから、二人で荷車を引き始める。最初こそ重いが、荷車の車輪が動いてしまえばこっちのものだ。一気に引いて、鋼の穴場まで移動。荷車の棒を離すと一気に開放感に満たされてた。
「お疲れさん! ほい、給金はちょっとになっちまうけど、後はこれだな!」
先程声をかけてきた作業員の男性の右手には給金袋が入ったベージュの布袋。左手はコップがふたつ乗ったトレー。先に給金を渡されて、その後レフィシアとリシェントは男性から何やら飲み物が入ったコップを手渡しされた。流石に毒はないだろうが念の為を思いレフィシアら疑いながら僅かな匂いを嗅ぎ分ける。
「お酒……?」
「酒に北国名産の氷を入れて更にその水で割ったんだ! 特別サービス! 悪いね! そこそこ強い酒しかなくてなあ」
「はい、ありがとうございます」
「……」
十六で成人ならば飲めるだろうと言うあくまで男性の厚意によるものだが、リシェントは酒を飲んだ事がなかった。いくら水で割っているとはいえ飲めるだろうかと渋るが、酒も決して安くはない代物。それを厚意で手渡されたら、とてもではないが無下に出来ない。両手でコップを受け取ると、想像通りひんやりと冷たい。中身といえば色こそ水と大差がないが、何となく違いがあるのが分かる程度だ。
いざ少し口をつけて含んでみると、荒々しい苦味が一気に口の中に広がり顔をしかめる。酒を飲んだのはこれがはじめてだったリシェントは自分は酒が苦手なんだなと改めて反省をして、コップから口を離した。
胃の中に火がついたような熱さが走る中で、リシェントがぼうっとしている中——。
「へえ。おいしいですね」
「お! 兄ちゃん、酒が好きなのか?」
「好んでは飲まないのですが……よく兄に連れられて、その、集まりとかで飲まされるから耐性がついた、といいますか」
レフィシアは平然とコップに水割りされた酒を既に飲み干している。王弟殿下として様々な交流の場に引っ張りだこにされたレフィシアは、度数の高い酒も次第に飲めるようになっていたのだ。そんなレフィシアがまだ一口しか飲み進めていないリシェントの様子を見て、空いた左手を開く。
「貸して」
ただその一言。
理解が追いつかないままに、リシェントは両手に持っていたコップをレフィシアに手渡す。何をするつもりかと不安になり窺って顔を覗き込もうとする仕草を見せた瞬間、リシェントから手渡されたコップに口をつけて飲み進めてなかった酒を一気に干した。
確かに安くはない代物で厚意で渡されたものを無下にするのは心苦しいものがあったが、今問題視されるのはそこではない。
「ん……やっぱおいしいですね。お酒自体もいいものを——リシェント?」
「……兄ちゃん、無自覚でやってるならタチが悪ィな」
「……すみません。ようやく気づき、まし、た」
リシェントの顔の赤さは酒が強かったからだとばかり思っていたレフィシアは作業員の男性の一声でハッと我に帰る。如何に恥じらいのない言動をしてしまい、流石のレフィシアも一気に顔を赤く染めた。「おっと! デートだったんなら働かせて済まなかったな! じゃあ、お邪魔者は退散すらぁ!」とやたらにニヤニヤと口元を緩ませながら、作業員の男性はコップを回収しながら自分の持ち場に戻っていく。
「……そ、そういえば、シア……って、婚約者とか居ないの?」
身分の事を完全に忘れていたが、レフィシアは中央国の王弟殿下。成人しているのだから婚約者の一人や二人、居てもおかしくはない。
先程の出来事を不敬に思っていつもより顔色を伺うように質問を投げると、レフィシアは特に酔った様子も見せずにいつも通りの声で答えた。
「婚約者か。確かにものすごい数の申込が来たけど、全部断ったよ。大体が権力と身分にすり寄って来る人達だ。御令嬢達も俺の容姿を見る人ばかりだから疲れちゃった」
「ア……えと、お兄さんは?」
「兄さんが一番婚約の申込は来たし、周囲からも促されていたけど、全部断ってた」
「そうなの? 何でかしら」
「うーん……」
レフィシアは過去の記憶を掘り起こす。あれは、確かアリュヴェージュが成人し、婚約の申込が山のように舞い込んできた頃だ。
*
「兄さん。断るの大変なんだけど、何で婚約者を選ばないの?」
山のように積み上げられた封筒の中身は全て共通してアリュヴェージュへの婚約話だ。若くも国王陛下となり成人したアリュヴェージュ。身分よし、顔よし、頭よし、おまけに魔法士としてもとても優秀。レフィシアでさえ婚約話をこれでもかと舞い込んでくるが、アリュヴェージュにはその倍以上。彼の婚約話の手紙を届け出るのはレフィシアかキアーの仕事だが、あまりにも多いので流石に疲れてきた。
「好きな子がいるんだよ」
アリュヴェージュは答えに悩むことなく、さらっと答えながら政治関係の書類に判子を叩き続ける。聞くに、当時はとても泣き虫の甘えたがり。銀髪に毛先が青がかっており、笑う時はまるで夜空のような深い群青の眼を満点の星のようにきらきらと輝かせる。一方で、時には月の淡い光のように誰かを優しく包み込む包容力がある……とアリュヴェージュはつらつら長く語り始めた。
アリュヴェージュもどちらかといえばレフィシアと似て、女性との交流に積極的では無い。そんなアリュヴェージュがここまで褒め称え、何より、心からその女性を愛おしく想う気持ちが顔に現れている気がした。ただし、それは単なる愛情だけではない。懐かしむように優しく眼を瞑り、小さく息をひとつ。
「彼女と出逢ったのは、数年前。もう一人の、十は離れた彼と一緒に、ボク達三人は出逢った。もう、それから会えていない。今の僕の力では、会いに行けないほど、遠い。でも……必ず、会いに行く。行かなくちゃいけないんだ」
窓から差し込む光で、ほんの僅かに眼が開かれる。今までになく、華やかとは程遠い深刻な闇を抱えた紫の瞳は小さく揺らいでいた。
「それがあの二人との〝約束〟で、このセ——」
「兄、さん……?」
「……ごめんね。こっから先は秘密だ」
喋りすぎた、とアリュヴェージュは付け足して、椅子から立ち上がった。息抜きをするから後は頼むと言い残して執務室から出てゆく背中は、どこか虚しい。
*
「……って、言ってたよ」
レフィシアの話を聞く限り、どうもアリュヴェージュ・リゼルト・シェレイはただ悪い人という訳ではないらしい。どのみち中央討伐軍に身を寄せるのであればいずれは出会うのだろうから自分から見てアリュヴェージュの人柄を判断しようと考え込んでいると、レフィシアの姿が見当たらなくなった。
いつの間に、と探すように左右に首を回していると、左手前側の屋台店の方に姿を見掛けて小走りで駆け寄る。
「すみません。こちらは?」
「とっ、当店は女性向けのアクセサリーを販売しております! あっ、貴方のような素敵な殿方にお目に止まるとは、か、感激です!」
レフィシアが顔を覗き込むように伺うと茶髪のロングヘアーの二十半ばの女性が、かしこまったように背筋を整えた。ずらりと机に並ぶのは、女性向けに作られたアクセサリーの数々だ。丁寧に手作りされて思わず魅入ったが、リシェントはただそれだけで興味はない。自分は着飾った事はないし、そもそも合わないと自覚しているからだ。
「で、どうですか? 是非、そちらの彼女に何かお贈りされては!」
「そうだね」
茶髪の女性店員がリシェントに眼を向けてから、改めて両手の平をあわせてレフィシアに商売人の明るい笑顔を出す。
商売人としては当たり前の接客だが、それに応えるレフィシアもレフィシアである。
「で、でも、私はこういうのに疎くて……」
「そう? なら俺が選んでもいいかな」
「でもお金が」
「大丈夫だよ。貰う側はそんな事気にしなくて」
レフィシアはそのまま商品達にひとつひとつ目を置いておく。止めようとしたが、茶髪の女性店員がひょっこりリシェントの横に並び「貰えるのは、貰っておくべき!」と耳打ちしてきた。先程もそうだが、厚意は素直に受け取っておくものだろうと考えたらすんと収まる。
——一点一点確認していった中でレフィシアが気になったそれは、東国の〝サクラ〟をイメージした薄桃色の飾り紐に、金で型取りされたサクラの花。その中央には小さな白の宝石。それを手に取っては、試しにリシェントの方を向いて髪に触れる程度に当ててみた。
「——うん」
レフィシアはそれはまるで美しい夢をみるように、うっとりした眼で眺めていた。酒を飲んだ直後なのか、いつもより表情が緩やかで熱っぽさを感じる。それとなく眼が合って、リシェントは切なさに胸が突き上げられた。
どうしてこれが〝切なさ〟なのかはまだ分からないが、ただ、今確信、そして確実なのは——。
「(私が、シアの事が……前から……好き、だった……? でも、それは何時の話なの?)」
出逢いはたった数日前だというのに、こんなにも切なく、愛しく彼を想う気持ちはどう足掻いてもおかしい。だからといって、それ以前に出会ったと言っても分からない。
——思い出せそうで、記憶の〝扉〟は頑なに閉じられてしまっている。
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