八話:三年後、第五次スフェルセ大陸戦争にて

「アドルフォン。医療班をかき集めろ」


「ロヴィエド様、セリッド様と……レフィシア・リゼルト・シェレイ!?」



 セリッドの転移魔法で瞬時に戻ってきたロヴィエドは、ぐったりと意識を失っているレフィシアを背に乗せていた。

 レフィシアの存在を確認するや殺意を剥き出しにロヴィエドが小さく首を横に振る。

 我に帰ったアドルフォンは落ち着けと自分の心に鞭を叩いてから、ロヴィエドの背に乗るレフィシアを預かった。



「セリッド様の中級回復魔法で大体の応急処置は終わっている。それでも油断は出来ない。魔法で治癒できない分はどんな手段を使っても治療して生かせ」


「は、はッッ!」



 アドルフォンはすぐに小隊の中の医療班を呼び出し、彼らにレフィシアを託す。

 医療班の中に必ず一人は転移魔法の付与がされた結晶を所持していて、転移先の首都セアンの城内にすぐ様転移できる。

 残念ながらこの天候と手持ちの装備だけではレフィシアの治療には向かない。しっかりと設備の整った場所で治療すべきだと判断された。

 アドルフォンの隣に居たリシェルティアがレフィシアの様子を覗き伺っていたのに構わず、医療班はレフィシアと共に転移していく。


 少しの沈黙の後にセリッドが少しばかり膝を折って、リシェルティアの目線より下を取ってリシェルティアの顔つきを確認。


 やや顔が青ざめているのが分かった。


 寒さが原因ではないだろうが理由を口で言わせるのはあまりにも酷だろうと思って、セリッドは問わない。



「貴女が例の子ね。ロヴィエド殿。次はこの子の記憶を操作すればいいのね?」


「レフィシアが寄越してきた手紙に書かれていた内容に沿い、女王陛下にもお許しを得た。宜しく頼む」



 禁術魔法、記憶操作。


 高密度な魔力の扱いに長け、尚且つ魔力量の多い者、そして他者の身体の中の魔力の流れの法則を理解できる者だけが体得できる高等魔法。


 セリッドの故郷、魔法士の里ルーベルグでもこれを使用できる魔法士はセリッド本人しかいない。


 何故リシェルティアの記憶を操作しなければならないか。


 それは中央国との関わりを断つ為に、彼女には北国の王族としての身分を失ってもらう事が一番であるからだ。中央国が王女を攫ったというなら、そもそも王女など存在しなかった、若くは王女は死亡したと偽ればいい。その信憑性を高めさせる為の手段がこれである。


 レフィシアは北国が中央国に責められるのを予め予想をしておいたからこそ、手紙に書き記した。

 



「……この度の策をお伝えした際に賜った、君の母君——メルターネージュ・セアン・キャローレン女王陛下のお言葉を伝えよう」



 少し斜めにずれかかった眼鏡の丁番を手にかけピンと整えてから、ロヴィエドは思い出していた。

 陰湿なものが漂いはじめそうな雰囲気になるだろうと予測していたそれは、メルターネージュの一言で打ち砕かれた。

 知らぬ者が聞けば可哀想などと哀れむだろう。だが、ロヴィエドは違った。二人の事情を知り尚且つメルターネージュの人柄を理解しているロヴィエドこそ、早朝の蒼く透明な空気の中にいるような、澄んだ空気に包まれたのだ。




「例え君が偽物の記憶を埋め込まれたとして、そのまま生涯を過ごしたとしても。レフィシア本人も君を忘れたとしても。魂が何れ引き寄せ合う」


「たましい……」


「私は信じ難いがな。魔法を使う者としてもそうではないか?」



 ロヴィエドは魔法よりも剣術を好んで使う為、同意を隣にいるセリッドに問う。ブルーグレーの瞳は確信を得て頷く。




「〝いいえ〟。貴方達なら、また出逢える日が来ます」



 セリッドとロヴィエドに促されて、リシェルティアは一度俯く。寂しいという気持ちが無くはない。本当は失いたくないと涙ぐみそうになる。




 ——俺も出来るだけ頑張るから、君も頑張って。必ず、生きて会おう。



 ——また、何処かで。………リシェルティア。




 脳裏にフラッシュバックした、優しさに隠れた愛惜と悲壮の声の色。

 レフィシアは何よりもリシェルティアに生きて欲しいと願った。であれば、リシェルティアの望みは、ただ一つ。




「お願いします」





 *





「終わりましたね」


「いいや、まだ始まりに過ぎない。そうだろう?」


「ええ。よくご存知、で……」



 記憶操作を行った副作用で体力と魔力を消費したセリッドは壮大な疲労感に襲われている。身体が鉄棒のように重く、倒れそうになった所をロヴィエドに支えられた。

 聖天魔法士である彼女ですらこのリスクを負わなければならない禁術魔法はやはり並の魔法士は無理だと思わせる。

 とにかくこれにて一時は落ち着いたが、これはまだ序の口でしかない。



 現在……というよりも、つい数日前の話に遡る。



 北国と西国の同盟が秘密裏に成立した。


 メルターネージュ・セアン・キャローレン女王陛下に対し、西国の女王陛下が言伝をした。


 西国の女王陛下——名を桜花姫。本名は伏せられているが、それは彼女だけの問題ではなく西国の王族関係者は全て本名ではない。代わりに〝通り名〟を与えられる。

 西国の王族関係者は代々予言魔法を扱い未来を天啓してきた。西国が他の国よりも一般教養が成り立っているのは、恐らくこの予言魔法が関係されると言われている。逆を言えばこの予言魔法は西国の王族関係者にしか遺伝しない。遺伝しても使えるかどうかは別問題で、予言魔法の質も違ってくる。


 桜花姫は歴代の西国の王の中でも予言魔法の質に優れた魔法士。


 そんな桜花姫が予言魔法にて見た内容を、ロヴィエドは布で眼鏡についた雪を拭き取りながらセリッドに語る。




 三年後。


 第五次と名付けるに相応しい——大規模な戦が起こる。


 その渦の中心に、レフィシアとリシェルティア、アリュヴェージュ。正体不明の謎の力。



  この先は、破滅。




 これだけ聞けば三年後には歴史にも刻まれる戦が起こる事に間違いはない。ただそれよりもロヴィエドは一番気になっている事を、不審の眉を寄せながらセリッドに問う。




「セリッド様。私の眼は誤魔化せません。貴女、もしかして正体不明の力とやらを知っているのでは?」


「はい。知っていますよ。言いませんが」




 迷いのない即答。セリッドはまるで何かを嘲笑い、皮肉混じりに小さく笑う。


 ロヴィエドはこれ以上責めなかった。


 きっとこれは人が安易に踏み込んでいいものではないのかも知れない。ごくりと唾を呑んでから、眉を顰めた。




 *





 一方。


 中央、首都リゼルトの執務室。



「そうか」


「驚かないのですねえ!」


「レフィシアと僕は、根本的に考えが違うから。いつかこうなるとは思っていた。流石に早いとは思ったけど」



 一席に座るは若き国王陛下——アリュヴェージュ・リゼルト・シェレイ。暖かみのある橙の髪を鎖骨程度まで伸ばして、左のもみあげ部分の髪は耳にかけている。ラベンダーの花のように美しい瞳は伏せられていた。そして、金の髪のショートボブを持つ、見た目十三ほどの少女は報告に上がっている。

 少女はアリュヴェージュの閑寂そうにしている様を見て目を丸くする。国王陛下が王弟殿下に溺愛している事は知る者こそ知る話。少女もそれを知っているが、だからこそレフィシアの裏切りに悲しむのではないかと予想していた。


 実際にはいつも通りの落ち着きようで振る舞っているのを見て、少女は安堵の息を漏らす。幼い子供の無心さと変わるところの無いを、改めてアリュヴェージュに向けた。



「所で、どうするんです? 王女、実験途中だったんですよねぇ?」


「王女の実験データから作成する」


「王女自身は連れ戻さないんです? 力の濃さは強さに値するのですよ?」


「それは出来ない」



 レフィシアの裏切り、キアーとアルフィルネの負傷。紅もまだ精神的に安定していない。中央四将が欠けた状態で北国とは争いたくはないのか本音だ。幾らアリュヴェージュ自らも優れた魔法士だとしても、国王陛下自ら戦場に赴く事は基本的に許されない。

 自分と同程度の対応が出来るキアーが居たら別問題だが、回復魔法を使える魔法士の少なさには口を閉じるしかなくなった。


 レフィシアの力に巻き込まれたキアーとアルフィルネといえば、アルフィルネのお陰で二人ともその場は凌いだ。だがそれでも瀕死に近い状態であったのをこの少女が助けに入り、現在はベッドに伏せっている。



「キアーさんもアルフィルネさんも、どーにか助けられて良かったのですよ!」


「ふふっ、君のお陰だ。ありがとう、トルテ」



 小さく笑みを浮かべるアリュヴェージュは、右肘を机につく。少女、トルテ・エレーゼリーンによればキアーとアルフィルネは全治一年。完全に現場復帰にも半年以上。

 しかも二人の怪我は並の回復魔法では治癒しないのが難点だ。トルテ・エレーゼリーンの力に頼り、尚且つ自然治癒を待つしかない。



「うーん、天空の巫女のわたしの力でも本物には勝てませんねえ、あ……ごめんなさいなのですよ。そんなつもりじゃなくて、そのっ」


「いいよ。事実だ」



 慌てふためき、削れて消えそうな声で謝罪の意を示すトルテ。叱る訳でもなく、ただ淡々とアリュヴェージュは肯定する。

 トルテは尖った耳をぴくりと引きつらせて、白い光の粒を凝縮させた六枚の翼を背に現した。

 トルテはエンジェルと呼称されているスカイルに住む希少個体種。通常個体は白き鳥のような翼を持っているが、特に個体値の高いエンジェルの翼はトルテのように白い光の粒を凝縮させた六枚の翼であり、出し入れが可能になっている。

 エルフのように耳が尖っているので、翼さえなければエルフと間違えられる。耳も隠せば人間にしか見えない容姿だ。

 エンジェルは地上には住んでおらず、〝スカイル〟と呼ばれる通称天空の世界、またの名を管理の国に移住している。おおよそスフェルセ大陸の真上に位置し、エンジェル特有の能力で空中に浮かんでいるらしい。

 スカイルのエンジェル達はこの大陸の管理者であり、監視者であり、傍観者である。他の大陸や国に干渉する事は無いが〝天空の巫女〟に選ばれたものだけが地上に降り立つ事を許される。


 その〝天空の巫女〟こそが今アリュヴェージュの目の前に居る可憐なる少女——トルテ・エレーゼリーンだ。


 では何故監視者であり傍観者なる者が地上の人間と手を組むような会話をしているのか?



 それはアリュヴェージュとスカイルのエンジェル達の利害の一致、つまり協力関係。以前より手を組んでいたならこのような会話は当たり前だ。



「これがあれば……殺せる」

 


 掌を拳に作り替えて、強く握りしめた。何年と待ちわびた事か。

 今までになく静かなアリュヴェージュの殺気は執務室全体の空気を異様なまでに充満させた。その重さにトルテもびくりと身体を跳ね上がらせる。




「キアーとアルフィルネが完全復帰するまで、不要無用な戦は避けて大人しくしてるさ。全ては——三年後に備えるために。僕はセカイを救う。そして……」



〝あの日〟から七年。


 十四というまだ幼いアリュヴェージュの夢の中に、それは気まぐれで現れた。


 思い出すだけで腹立たしい、人の形をした人ならざる者。


 清らかな白い身体に、発光するエメラルドグリーンの線は血液のように全身に巡る。人の血のように赤黒い右眼と、悔しい事に自分と同じラベンダーのように華やかな紫の左眼を持つオッドアイ。

 髪は毛先だけが黄色く発光し、他は暗闇の如く真っ黒。


 ふわふわと宙に浮いて、その身長差でアリュヴェージュを見下ろす者。


 アリュヴェージュも幼き頃より魔法士としての才能を見出されていた、故に、感じ取れた。



 これは人ではない。


 魔物でもない。


 ハーフでもない。


 希少個体種でもない。




 その者は、幼きアリュヴェージュに言葉を授けた。





「〝クリュー〟を殺す。その化身たる力も、何もかも。真の人の世界とする為に」




 アリュヴェージュと〝クリュー〟。



 全てはこの出会いと、伝えられた真実から始まった。



 だがそれを他の人々が知るには、まだ早い。


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