七話:雪華の祈りは届かない

 国王陛下、クラウディオ・リゼルト・シェレイ。


 その王妃、シャルロッテ・リゼルト・シェレイ。


 二人が亡くなったのはほぼ同時期。シャルロッテが四の春二十。クラウディオが五の春三。

 偶然にしては出来すぎている、などと当時は暗殺疑惑が持たれていたが、所詮は噂に過ぎない。


 本当に、原因不明のまま亡くなったのだ。


 母であるシャルロッテに続き、父のクラウディオもこの世を去った。葬儀を終えた後の二人の足取りは酷く重い。

 当時、レフィシアは十歳、そして兄のアリュヴェージュは十四歳。アリュヴェージュにはともかく、レフィシアにとって両親との別れはあまりにも早すぎる。



「何で、人は死ぬの?」



 不意に、レフィシアは涙を手で拭いながらアリュヴェージュに問う。死の概念こそ理解している。人も魔物も、生き物全てにはそれがある。しかし両親が原因不明の死を迎えたのがアリュヴェージュの想像以上にレフィシアの頭の思考を狂わせた。結果、この問いが生まれた。



「……そういう仕組みなんだ」


「仕組み?」


「そうだね……うーん。消耗品と同じさ。使い過ぎればガタが出るだろう? 新品のように新しくピカピカでも、長年使っていれば破片が壊れたり、摩擦ですり減ったりして調子が出なくなったりする。レフィシアが新品なら……」


「……母様や、父様も似たようなものなの?」



 矢継ぎに飛び交うレフィシアの疑問。最後の言葉にアリュヴェージュは足を止めた。



「レフィシア。僕はこの〝セカイ〟も、お前も守るよ」


「せかい、と、俺……?」


「その為なら……」




 一度、口を閉じて。




「どんな事だって、自分が憎まれようとも、手段は選ばない」



 


 それからだ。新たな国王陛下——アリュヴェージュが暴虐と称されるようになったのは。

 税の高さに民は嘆いているが、よく考えれば理にかなう所はある。やりすぎだと思っていても正論をぶつけられた。それでもアリュヴェージュを信じた。例え自分がそうではないだろうと血が滲むほどに拳を握りつぶす程に我慢しても。



 かつての兄の、優しい顔を知っていたから——。




 *




 貫かれた箇所からぽつぽつと雨のように血が雪の地面に流れる。右手には剣を持ち、身体を支える杖代わりにした。

左手は樹木の表面に触れていたが、薄れゆく意識の中で視界はぼやけている。


 ここまで来れば大丈夫であろう。


 レフィシアは樹木を背にして座り込んだ。樹木の表面にレフィシアの血がずるりとつく。

 右手の握力が無くなり力なく剣は手から離れれば、今度は脳から記憶が消えていく痛みがレフィシアを襲う。ただでさえ外傷が酷く瀕死であったのに、あの力を使った代償は更にレフィシアの死亡率を高まらせてゆく。


 頭を抱え込む力すらなく、座ったまま横に倒れる。



 記憶が、無くなってゆく。



 色が、白黒に、そして燃えてゆくように消失。



 今日の事。



 昨日の事。



 ——————。




「だい、じょうぶ……君を、まも、る……身体は、まだ……残って、るから……」




 あの力は膨大な力と引き換えに自らの何かを犠牲にしなければならない。身体の一部でもよかったが、レフィシアにとって四肢の欠損はあまりにも痛手だった。



「君を、守る……為、に……俺、は……君との、記憶を……無くすよ……」




 瞼に涙を滲ませながら、仰向けの姿勢に戻す。何も掴めないのを分かっていて、どうにか動く左腕を願うように空に伸ばす。

 何も掴めない。ただただ、天より小さく降る雪が、レフィシアの手の温度に溶けた。


 設定したのはおおよそ一年程度の記憶の消失。四肢を犠牲にするよりも遙かに威力は劣るが、今後彼女を守る為には四肢は必要なのだ。


 ……もう既にこの時、レフィシアは彼女の名前も、顔すらも忘れている。ただ、まだ誰かを守る為という思いは残っているがそれも後に消え去るだろう。




 何げなく過ごし、何も知らずにただ兄を信じて時の流れに身を任せてきた。


 ——その結果がこれだ。


 もっと自分に抗う力と意志があれば、何かが変わっていただろうか?



 悔しさと後悔の念に心は押し潰された。



 後は、きっとやってくれる。





 レフィシアの意識はそこで途切れた。





 *





「ロヴィエド様。お言葉ですが……本当に来るのでしょうか?」


「彼が嘘をつくとは、私には思えなかったからな。不満か?」


「いえ。貴方様がそこまで仰るならば」




 振り続ける雪の中、北国の小隊は待ち続ける。


 もう後十キロも歩けば国境が見えて来る頃合い、だがそれ以上近づく事は許されない。


 北国の軍総大将、ロヴィエド・シーズィは老将、アドルフォン・ヤルナッハ含む百の精鋭を連れてやってきた。レフィシアの手紙の内容を確認し、この日のためにできる限りを尽くしてきた。

 しかし事実が本当だとして、監禁していた国の王弟殿下、それに自国の兵士達を殺害し甚大なる被害をもたらした彼を、何故この総大将は信じているのだろうか?

 疑念は今もなお兵士達の心残りとなっている。勿論アドルフォンも例外ではない。

 彼の怪訝な顔色は治らないままに、ロヴィエドは構わずその場に立ち続ける。不意にごそごそと自らの懐を探って、改めて渡された封筒の中にある手紙を取り出した。



 北国の王女、リシェルティア・セアン・キャローレンは中央国の地下室に監禁されている。

 これより数日後に王女を逃し、必ず北国に送り届ける。

 首都リゼルトから拠点ゾーナまで移動魔法を使わなければおおよそ四日前後。

 迎えはそこから見積もって待っていてくれ。君なら出来るだろう。


 最後に————。



 と、ロヴィエドがここまで目で追って読んでいた最中で茂みが音を鳴らす。誰かがこちらに向かってきている証拠だろう。味方である保証もないので全員が今にも腰に挿す剣に手をかけようと構えた。


 所がその警戒は解かれる。


 見覚えと聞き覚えのある特徴にロヴィエドは小走りで駆け寄った。


 間違いない。リシェルティア・セアン・キャローレンだ。特徴が一致している。



「大丈夫か?」


「あ、の……」


「私はロヴィエド・シーズィ。君の事はレフィシアから聞いている。彼は何処に?」


「そ、れ、は……」



 リシェルティアの周囲を見渡すが、レフィシアの姿は見当たらないのに気づく。先程大規模な衝撃波と爆発音が響いてきた事と関係していると判断して、後ろに控える小隊の方に首を向ける。



「セリッド様」


「ええ。瞬光の生体反応は感知してます。すぐに移動できます」



 セリッド・アーフェルファルタ。


 亜麻色より少し濃い茶の髪を腰までストレートに流して、ブルーグレーの瞳は常に垂れ気味だが、それは生まれつきだ。

 彼女は聖天魔法士という称号を持ち、現時点で魔の全てを知り得て理解していると噂される魔法士。

 ロヴィエドは東国、魔法士の里ルーベルグに赴き彼女に頭を下げてまで協力を仰いだ。幸いにも東国の了承は得られたし、ルーベルグの魔法士達は賛否両論だったが本人は快く頷いてくれた。ロヴィエドはレフィシアの頼みに応えるには聖天魔法士であるセリッドの力が必要不可欠と考えたのだ。

 セリッドは移動魔法も使える他、生物の魔力を感知してそこにピンポイントに移動魔法を使える。これ以上頼もしい事はない。



「——大丈夫だ。すぐ戻る。アドルフォン。指揮は頼んだ」


「はっ!」



 セリッドの感知により幸いにも北国の国境を越えて他の中央四将は居ないと分かっている。それでもまだ油断はならないのだからリシェルティアを国境から可能な限り離しておくべきだと考えた。

 リシェルティアをアドルフォンに預けて、ロヴィエドはセリッドの転移魔法の範囲内に入る。淡い薄黄緑の光の粒が身体全体を風のように緩く纏うと、瞬間的に視界に変化が見られた。


 雪一面の銀世界というのは変わらないが、先程待機していた平地ではなくそこは森林の中。

 死体かと思えるほどにぐったりと力なく倒れ血を雪に染み込ませているレフィシアを見て、短い距離を急いで小走りした。


 脈の確認。小さいが、まだ脈はある。生きている。



「……酷い傷だな」


「一番損傷が酷いのは両脚と腹部ですね」


「治せるか?」


「応急処置程度なら。祈りの恩寵、福音の恵。癒しを——〝グレイス〟」



 セリッドが詠唱を唱え終わると、レフィシアの身体全体が白く発色する。

 〝グレイス〟は内外部の損傷の回復を可能とした回復魔法だ。上級の回復魔法ならば損傷だけでなく体内の輸血も可能とするが、セリッドはそれを使えない。


 理由はただ一つ。医学に秀でていないからだ。


 魔法と言っても唱えれば誰でも使える奇跡の力という訳ではない。魔法の内容が複雑であればあるほど理解とイメージが求められる。

 特に回復魔法は医学の知識が必須とされているが、セリッド自身の記憶力は人並み程度。日頃読書で知識を忘れないように努力こそしているが、忘れてしまうものは勿論あるのだ。


 その上魔法という力は厄介な事に、ものによって才能を要求してくるのだから困る。



「聖天魔導士でも出来ない事があるのだな」



「その名は、全ての魔法が扱えるという意味では無いのです。私とて、回復魔法は中級程度が限度なのですから。もしかしたら、私の息子の方が回復魔法については上かも知れませんね。お連れしておけばよかったのですが……何せ外の世界を知らない本の虫のような子ですから」



 反抗期の息子を頭の中で思い出して、強張った顔つきが少しだけ緩まった。

 グレイスの効力が途切れたのを確認できて改めて確認。優れた魔法士のみが感知できる、特定個人の魔力の流れ方。セリッドが感知したレフィシアのそれは練り上げられても無ければ体内を巡ってもいない。体内の魔力同士がぶつかり合って反発しているような感覚だ。正常でなければ死のリスクがある知識を持ち合わせているからこそ、セリッドは黙りこくった。


 傷口を塞いだとはいえ出血過多で血が足りない。それに魔力が正常でないならばまだ余談を許さない状況に変わりはない。

 魔力を正常に戻す事はセリッドにとってそこまで難しいものではないが、どうも思う所があって眼を細めた。



「……彼の場合、魔力と呼んでいいか分かりませんが」


「どういう事だ?」


「無駄話をしている暇はありませんよ。応急処置だけでは助かりません。元の場所に移動しましょう」




 セリッドに促され、レフィシアを横抱きにして持ち上げたロヴィエド。その視線だけはセリッドに向けられていた。


  話を逸らされたその意図を探り猜疑心に満ちた鋭い目つきである。

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