六話:決意の別れ

 数日後。


 中央、拠点ゾーナ。


 北国との境界線になる小さな村だが、中央軍の拠点として軍事的には活発だ。首都リゼルトほどではないが賑やかで人や物資の流通も速い。

 天気は曇りひとつない蒼天。真夏ほどではないが日差しはほんのりと暖かく、そんな中で二人は膝下以上の黒のローブにフードを顔まで深く被る。


 国と国との境界線は城の城壁ほど高くはないがとても頑丈だと言われている。レフィシアが生まれる前、協定上こうなったらしいが、詳しくは分からない。

  城壁とは違う頑丈さの違いは魔力耐性が高い点だ。しかも、壁から半径百メートル以上は移動魔法が使用ができない代物。

 当然扉など作られていない。中央軍は北国に侵略する際には上空からワイバーン部隊や、上空飛行の出来る召喚獣と契約している召喚士を連れていくのが必須である。


 ワイバーンはこの拠点ゾーナにおいても厳重に管理されていており、勿論奪う手はある。だがこの拠点ゾーナはリゼルトほど広くない上に監視の眼が行き届いているのでは難しい。ワイバーンを奪い更にはそれで上空を通過する。二度手間がかかるばかりだ。

 レフィシアは石の椅子に座り、近くの屋台で購入した少し硬めのパンとほんのり生温い水で腹を満たしながら思考を巡らせる。



「(俺に、あの壁を……壊す力があるのだろうか)」



 正直な所やった事がないものあり自信が無い。魔力を込めた斬撃は魔力判定されるだろうから、恐らく魔力耐性で半減される。

 それでも、自分がやるしかないのだと、今までの犠牲を思い出して下唇をギリギリと噛んだ。



 ——首都リゼルトで起きた一軒の宿の悲劇。


 背後から聞こえた高い断末魔の叫びは心を握り潰すくらいに痛く感じる。



 犠牲の先を、果たして見出す事が出来るのだろうか?


 首が悄然として俯く。



「……私も」



 不意に、隣に座っていた王女——リシェルティア・セアン・キャローレンがレフィシアの右手の甲を覆うように左手を添えた。リシェルティアの手から伝わる温度は、レフィシアの心を元の場所に引き戻す。



「大丈夫。諦めないで。それを私に教えてくれたのは貴方だから」


「……ごめん。まさか君に励まされるなんてね」


「……あ……もしかして、不敬だったり……」


「しないよ。気にしてない。それに俺はもう裏切り者だから、ただのレフィシアだ」


「……貴方も一緒に来てくれるんだよね……?」


 


 リシェルティアの問いに、頷く——。

 


「いや、俺が一緒に居られるのは、国境までだ。君を奪い返し、俺を排除しようと敵がやってくる。俺が向こう側に行けば敵も乗じて流れ込んでくるだろう。それじゃあ駄目なんだ」



 ——事は、叶わない。



「だから俺は、敵を食い止める」



 レフィシアがロヴィエドに提示した内容のうちの一つだ。北国が自らの意志で彼女を迎え入れたとなれば、それは北国にも被害が出てしまうという意味となる。

  ただ、レフィシア個人の問題であれば、どんなに手段を選ばない中央軍でも北国に対する当たりは極小になるだろう。

 国王陛下であるアリュヴェージュがこれを思いどう動くかまでの完全な思考までは読みきれない。だがアリュヴェージュは恐らく中央四将を使ったとしても大軍までは動かさない。

 一軍の将として、アリュヴェージュの弟としての予測と勘に過ぎないが、ここまできたらやるしかない。

  どうやらレフィシアの顔つきが相当強張っていたようで、リシェルティアもつられて目が引きつった。



「心配は要らないよ。余程の事がなければね。数千以上の兵力を連携させなければ俺を突破して君の所に追いつく事は出来ない。紅みたいに俺と同じくらい強い相手がいれば、別だろうけど」



 これは緊張が移ってしまったな、と反省してレフィシアは軽く両脚を伸ばして肩を下ろす。



「……ねえ。全部が終わったその時は……私と、一緒に…………生きてくれない、かな……」



 どうにかしてリラックスを終えたばかりのレフィシアに、リシェルティアは約束というよりもお願いをするかのように甘い声を発した。


 ——ああ。やっぱりな。


 目が合った瞬間にそれも逃れたくないものだと、レフィシアは確信を得た。確信してしまったものはもう認めざるを得ない。今度はレフィシアが自らの左手をリシェルティアの左手の甲に添える。



「……うん。分かった。俺のやるべき事。やらなければならない事。全部終わったその時は……」



 緩く吹く風が互いの髪を小さく靡かせながら、レフィシアが両手でリシェルティアの左手を優しく取って、口元まで寄せる。


 しかし、そこで止まった。



「俺は君と共に生きて、そして眠りにつこう」





 *





 数キロにも木霊するであろう大きな爆発音と、国境線を区切る壁の一部が粉砕して崩れ落ちる音。警備の眼を盗んで、レフィシアが剣撃を六発ほど入れ、よくやく人一人分通れる穴が出来上がった。

  同時に兵士達が駆けつけてくる足音が聞こえてきて、レフィシアは深く息を吐く。


 ここから先は、本気で足止めをしなければならない。ただそれはリシェルティアが完全に国境を越えてから。本気で殺し合う自分の豹変した姿を彼女に見せたくないという、恐怖から生まれた感情からだ。


 まだ剣を片手に構えるも、リシェルティアに向けての表情は優しく、穏やかにふわりと笑みを浮かべた。



「俺も出来るだけ頑張るから、君も頑張って。必ず、生きて会おう」


「……レフィシアッ!」


「また、何処かで。………リシェルティア」



 レフィシアの想いを、それまでに起きた犠牲も、無駄にはしたくない、出来ない。リシェルティアはその想いを自らの心に叩きつけて、レフィシアに背を向け全力で走る。国境線とはいえ雪の地面。だがもろともしない。ただただ、必死に走っていく。


 レフィシアはリシェルティアの背が見えなくなって行くのをしっかりと目視してから、ようやく問題事に眼を向けた。レフィシアはその人柄故にアリュヴェージュよりも兵士や市民からの人気は高いので、今こうして取り囲んでいる兵士達の目はまだ俄かに信じ難い顔つきの者が多い。

 その中にはレフィシアも会話した事がある人物も沢山いる。


 すらり、と剣先を前に出し、静かに構えると兵士達は一歩引き下がった。誰もがレフィシアの実力を知っての反応だ。


  しかしそんな中取り囲む兵士達がまるで避けるように一つの通り道を作った。



「ここまでだ、レフィシア」


「キアーか……」


「アリュヴェージュから直接命を受けてさ。珍しく紅がすっっっごい怒っていたけど、日光を浴びすぎたのもあって情緒不安定すぎたから、代わりにアルフィルネを連れてきた」


「ご機嫌よう、レフィシア」



 アルフィルネ。本物の水のように透けた水色で、毛先がウェーブがかった綺麗なロングヘアー。瞳は釣り上がった金色の瞳をした少女。いや、少女と呼んでいいか不明であるが本人がそうしろと周囲に呼びかけているらしい。

 彼女は水魔法を中心とした優れた魔法士で、転移魔法も使える貴重な人材だ。普段は面倒くさがって水槽から出てこないが、そんなアルフィルネまで駆り出したとなれば向こう側も本気なのだと伺える。



「さて、僕もアルフィルネも出来るなら近接戦闘最強のレフィシアとは戦いたく無いんだけど、頼むから降参してくれない?」


「しない、と言ったら?」


「あっはは! 分かってる癖に。そんなの、力づくに決まってるって」

 


 キアーは腰に差していたレイピアを抜き、ぎらりと剣先を向ける。一方のアルフィルネも羽ペンを杖代わりのように扱って、周囲に複数の水の泡が発生した。曰くこれは初級の水の魔法に過ぎないらしいが、詠唱破棄した上複雑に操る事ができる魔法士は多くない。



「で、キアー。威力はどうするの? 上級魔法で派手に流そうかしら?」


「いや、それは良くない。君が本気を出したらここ一帯が巨大な湖になる。観光にはいいが、拠点としては向いていない。攻撃範囲が狭いならいいけど」


「ふうん。そういうものなのね。でもまあ、私は元より水の中に居ないと本気になれないのだけれど。分かったわ」



 少し不服そうに頬を膨らましながら納得したアルフィルネは首を縦に頷く。静かにじりじりと緊迫した空気に包まれていった。


 レフィシアはもう既に、自分はこの二人には勝てないと理解していた。戦闘スタイルが違うとはいえ総合的に同程度の実力をもつ人物が二人。うち一人が本気を出せない環境だとしても、圧倒的不利な状況には変わりないだろう。



 ——それでも、諦めはしない。



 アリュヴェージュを止める事も、リシェルティアのお願いも。


 それを一つでも膝を折ってしまったら、心が無くなったように穴が空いてしまうから。



 レフィシアはひとつ、息を吸う。


  息を吐いたと同時に、眼を瞑る。



 そして——開かれたラベンダーの瞳の雰囲気は、ぎらりと豹変した。リシェルティアに向ける甘く優しいものでも、以前のキアーに向ける友人的信頼のものでもない。


 邪魔する者を全て切り捨てる——瞬光、レフィシアの鋭く尖った殺意だ。


  それはレフィシアの兄、アリュヴェージュにとても瓜二つで、キアーは気に入らないという目つきで眼を細めて舌打ちをする。


 まず仕掛けたのはレフィシア。一気に両脚に魔力を集中させ、勢いよく地面を蹴る。光速の世界の剣先はアルフィルネを捉えようとして——隙間からキアーの横槍が入る。

 予測していたのだろう。剣先は僅かにアルフィルネには届かず、キアーのレイピアが押さえつけている。

 ギリギリと金属音を鳴らしながらの鍔迫り合いが発生して、両者共に体重をかけて押し合った。


 レフィシアはキアーの戦い方はレフィシアもよく知っている。逆も然りだが、戦においての軍師的役割を担っていただけあってかキアーの予測は上手い。


 追いつけないなら通り道に剣を置いておく、と言った所だろうか。先にアルフィルネを片付けておきたいレフィシアの剣を幾度とまで防ぎ切るが、逆を言えばキアーは防戦一方になっている。キアーは魔法も使う事が出来るが、魔法を使う隙も与えずにレフィシアの剣技を喰らわないように流すのが精一杯だ。反撃の糸口はまだ見えず、攻撃をどうにか予測で捌きながら後方のアルフィルネに横目をやる。


 見兼ねたアルフィルネが、自らの周囲に浮遊する複数の水の泡をキアーの背後を壁としてレフィシアを取り囲む。流石の反応速度だ。向かってきた水の泡全てを避け、剣撃で割るとそれは風船のように水が飛び散った。


 ——だが、それだけではない。


 飛び散った水は今度は集合体となって剣の形を生成した。それがまた先程より数が多い。これも初級の水魔法だが、アルフィルネはなんて事はないという顔で詠唱破棄をしたように見える。


 向かってくる水の剣をレフィシアは更に自らの剣で弾き返す。


 


「晦冥の中、咽び泣き——膝を折りて、沈め! 〝ドゥルゲルグラビティ〟」



 レフィシアはがくんと片膝と右腕を地面についた。いや、身体が重過ぎて自然とそうなったのだ。闇魔法は基本的に攻撃的な魔法が多いと聞く。その中で重力系の魔法も存在はするとは聞いていたが、キアーが今までそれを使っていたところなど見た事がなかった。



「いつかこうなると予想して手の内を全部明かさなくて良かったよ。——アルフィルネ!」

 

「やっと捕まえたのね。遅いわよ……!」



 上級の水魔法も安易に詠唱破棄を行ったアルフィルネは、右に持つ羽ペンを大きく左に振るう。レフィシアの周囲に水の泡が複数。泡から泡を繋ぐように水で圧縮された糸が発生して、レフィシアの身体を貫通。普段のレフィシアであれば余裕で捌ききれたが、今回はそれを封じられてしまった。並の重力魔法、並の上級魔法であれば問題なかったが、流石に同程度の実力を持つ者の重力系の魔法と詠唱破棄した上級魔法には敵わない。


 貫かれたのは両脚、腹部数ヶ所と両腕、右手。水の糸を伝って、じわりと血が滲み始める。次第にそれは滲むだけでは物足りないと言わんばかりに血が吹き出た。

 まるで身体に杭が打ち込まれたかのような激痛に、痛みを踏み留まる力も無い。握力も失って右手に持っていた剣もからんと音を立て地面に落ちる。

  今にも油断したら飛びそうな意識だけはどうにか保てたが、止めと言わんばかりにキアーがレイピアの剣先をレフィシアの喉元に突き立てた。


 唾を飲む、ただその動きだけでもその剣先は貫きそうでレフィシアはピタリと抵抗を止める。



「さて。殺す前に一つだけ聞こっか。レフィシア・リゼルト・シェレイ。君は本気でアリュヴェージュを裏切ったのか?」


「……そうなる」


「へえ。言い訳も否定もしないんだ」



 驚きで目を見張ったキアーだが、レフィシアも一国の王族であり将なのだから当然だ。



「確かに俺は兄さんを、中央を裏切った。だけど、兄さんのやってる事は、間違ってる」



 ——しかし、この言葉はキアーの奥底に眠る嫉妬心を大きく駆り立てる事になる。


 知らない、いや、知らされていないとは分かっていても怒りは激しい波のようにキアーの全身に拡がっていく。少しずつ腹立ち始めているのが表面に現れてきて、その眼を鋭く尖らせた。



「……これだから、何も知らない奴は困るんだ。アリュヴェージュが何で君に本当の事を話さないか、分かっているのか?」


「……答えてくれなかったのは兄さんだよ」


「……昔から。君のそういう、割り切れているつもりに振る舞って、全然割り切れていない姿が、大嫌いだ!」



 自分がどれだけアリュヴェージュに大切にされているか。


 どれだけアリュヴェージュにとって特別な存在か。



 全ては〝セカイ〟と〝君の為〟だというのに——。

 


 アリュヴェージュから全てを聞かされて動いているキアーだからこそより一層強い嫉妬が渦巻いて、そのまま怒りへ変わる。

 とはいえキアーも今は子供ではなく、一国の将の一人であるのを自覚している。怒りは抑えきれぬがそれに流されるままも良くないと、心を落ち着かせる為の深呼吸をひとつ。



「昔からの付き合いだ。せめてボクが君の首を撥ねる」



 一気に首を撥ねる勢いをつけたい為、キアーは一旦レイピアを引く。だが、その矛先は変わらない。


 このまま行けば確実に死を迎えるだろう。



「——だとしても。ま、だ……死ねない……理由が……あるん、だよ!」



 最後の意地だ。


 瞬間、レフィシアの身体が金色の光の粒を帯び始めた。



「……これは……!」


「キアー。こいつ、本気よ! 分かっているでしょう? これをまともに喰らえば私も貴方も生きて帰れるか——」




 キアーだけではない。アルフィルネでさえも焦りの色を隠せていない。


 アレからは逃げられないと直ぐ様反応したアルフィルネだが、転移魔法を詠唱している時間もない。そもそも、距離が遠ければ遠い程、詠唱が長いのでとてもではないが間に合わない。



 最後の最後で策を見出したアルフィルネはキアーに「借しをつくってあげるわ」と言い残した。





 金色の光の粒と共鳴する淡い色の光は、拠点ゾーナ全体を包み込む——。

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