38.不変の存在

私の手に重ねられていたジェイクの手に力がこもる。


「無責任だと思うけど、でも『どうして私がマナーを身に着けてまで、そんな所に行かないといけないの?』って思ってしまう。今も逃げ出したくて仕方ないの」


ジェイクは重ねていた私の手を取り、反対の手ですくい上げるようにして、優しく挟み込んだ。

そして隣に座る私の方へ体が向くよう座り直す。


「ルイーズは無責任なんかじゃない。本当ならルイーズが思ってたような人生を送っていいはずなんだ。だから。お前は怒ってもいいし、泣いてもいい。俺が全部受け止めてやるよ」

「…ありがとうジェイク。いつも甘えてばかりでごめんね」

彼の優しい言葉に、申し訳ない気持ちでいっぱいになって、情けない笑顔を浮かべてしまう。

けれど彼は、そんな私の頭を彼の胸に抱え込み、更に優しい言葉をくれる。

「むしろもっと甘えてくれ」


嬉しい。彼の優しさがすごく嬉しい。けれど…。

「…そんな訳には…」

呟くように言うと、彼は私の頭を更に強く引き寄せてきた。


「…今、俺はお前に何をしてやれる?どうしたらお前の心を護ってやれる?」

彼の優しい言葉が心に沁みる。

「その言葉だけで十分だよ。ありがとう。…もう少し…頑張ってみる」

貴方がいてくれるから。


私がそう言うと、それでも暫くそのまま私の頭を抱き寄せていた彼が、すっと体を放し優しく頭を撫でてくれた。

「無理はしなくてもいい。…俺は部屋に戻るから。少しでも食べてから眠るんだぞ」

そう言って彼は部屋を出ていった。


苦しかった気持ちが、随分と軽くなっている。

不本意だけれど、それでもジェイクが傍にいてくれる。

彼がこんなに優しくしてくれるのに、私一人逃げ出す訳にはいかない。

彼が持ってきてくれた皿を眺めて、私は苦い笑みをこぼした。


これが終わったら、今度こそ、もう放っておいてもらえるのかな…。






雇用済みの使用人たちの面談は2日後には全て終了し、休みが明けたらマナーの手解きに移ることになった。

この休みにはジェイクとお弁当を持って出かけることになっていたけれど、彼の方がパーティーの警護の打合せや、勤務体制の変更で、お出かけは延期になった。

一日空いてしまった休みをどう過ごそうかとソファに腰かけて考えていると、扉をノックする音が響く。

私が「どうぞ」と返せば「失礼します」と言って、部屋へ入ってきた人物に、私は目をみはった。


「…え?あの…?」

私が戸惑うように言葉を漏らすと、部屋へ入ってきた人物は困ったように視線を逸らしながら口を開いた。

「今日はジェイクがどうしても外せませんので、代わりに本日休暇の私が夜までルイーズ嬢を警護することになりました」

いつも見かける騎士の隊服ではなく、ラフな格好をしたケネス隊長の言葉に、目を数度瞬く。


「え、あの?今日は休日ですし…。ケネス隊長も休暇日なのですよね?あの。私一人でも…」

困惑しながらなんとか紡ぎだす言葉に、彼は「いえ。そういう訳にはいきませんので」と私の言葉を遮る。


「隊服では目立ちますので、このような格好で失礼します」

そう言うと、彼は扉の横に立ち控える。

それはつまり、部屋にいる間はそこに立ち、控え、部屋を出る際にはついてくる…ということなのだろう。

確かに、外出するのに隊服でついてこられたら目立ってしかたない。


…これって、部屋にいても、外に出てもどうしたらいいのか分からないのだけれど。

ああ。でもこのまま部屋にいたら窒息しそう。


「あの…。外出してもよろしいですか?」

「はい。お供します」

遠慮がちに問いかけた言葉に返ってきた即答に私は苦い笑いが浮かぶ。


うわぁ。どこ行こう…。


衝撃と戸惑いが凄すぎて、先日の悩みもどこへやら。

新たな悩みが私の頭を占めた。



あてもなく歩く私の後ろを、数歩離れてケネス隊長がついてくる。

いつもジェイクといる時は、警護されているというより、一緒にお出かけしているという感じだったから、この状況が物凄く違和感があってしかたない。


これ…夕方までもちそうもない…。


私は諦めて公園のベンチに腰掛けた。

ケネス隊長はベンチから二歩ほどだけ離れた場所に立つ。


「…あの」

私は勇気を振り絞って、離れて立つケネス隊長に声をかけた。

「はい」


初めて逢った時の印象はもう上書きされていて、彼が優しい人だというのは分かっている。

それでも、ユージン隊長とは違って、必要最低限といった話し方に怯んでしまいそうになる。


「少し、話相手になってくださいますか?」

「………」

私の問いかけに、どう言葉を返すべきか戸惑っているように彼は私へ視線を向けてくる。

返事を待とうかと思ったけれど、嫌なら答えなければいいか、と思い直し、私は彼へと言葉を続けた。


「ケネス隊長も、ユージン隊長も伯爵家のご子息だと伺いました。お2人はどうして騎士になられたんですか?」

私には貴族というものに対する知識はあまりない。

けれど、普通そういう残していかないといけない家柄というものがあれば、日本と同じように長男とかが家を継ぐものではないのだろうかと思う。

お2人のことはよく知らないので、他に家を継ぐ人がいるのかもしれないけれど、貴族の人がわざわざ命の危険もある騎士になるというのがよく分からない。

親しくもない人間にこんなことを訊かれても困るかな?と思いながらも口をついてでた問いに、彼の表情を伺うように見れば、彼は特に気にしたふうもなく答えてくれた。


「私は伯爵家の生まれといっても次男です。家は兄が継ぎますから、私には兄を支えられるような仕事をするか、家を出るかの選択しかありませんでしたから」

言ってから、彼は「ただ…」と言葉を続ける。

「ユージンは、あいつは嫡男ですから、本来なら家を継ぐべきだったんです」

そう言う彼の目は、どこか遠くを見ているようにまっすぐに前を見つめ、僅か細められる。


「ではどうしてユージン隊長は騎士に?」

訊いて良いものかと思いながらも、好奇心に勝てず訊ねると、彼はふと視線を下におろす。


「…なぜ…でしょうね。なぜ家督を譲ってまで騎士を目指すのかと、何度も訊いたのですが、返ってきた言葉は『お前が騎士になるなら、俺も騎士になる』。そればかりで。余程幼馴染である私が騎士になるには頼りなく映ったのでしょうか。あいつは何をやらせても優秀ですから」


もう何度も2人が一緒にいるところを目にしているけれど、こういう話を聴くと、幼馴染という存在がとても羨ましく感じる。

何かを打ち合わせている時でも、いつも息ぴったりで、本当に永い時を一緒に過ごしてきたのだなと感じる。


幼馴染でなくても、こんなふうに分かり合える人が私にもできるだろうか…。


「羨ましいです」

思わず漏れた言葉に、ケネス隊長が私の方を見る。


「あ、ごめんなさい。私、ここへ来る前も、来た後もそんなふうに分かり合える人って傍にいなかったから」

変な意味にとられては困ると、慌ててそう続けると、彼は数度瞬きをして不思議そうに口を開いた。

「貴方にとって、ジェイクは分かり合える相手ではないのですか?」

「…え…?。あ…」

問われた瞬間脳裏にジェイクの顔が浮かび、頬にかーっと熱が上る。


確かにジェイクは私のことをよく理解してくれて、優しくしてくれて、いつも傍にいてくれる。

けれど、それを"分かり合える人"と言って良いのか…。

ずっと傍にいてくれると思って良いのか。

…そんな存在になれたら嬉しいけれど…。


「あ、あの。お昼ご飯一緒に食べませんか?」

顔が赤くなっているだろうことが恥ずかしくて、私は誤魔化すように少し大きな声をあげ、ケネス隊長を見る。

すると彼は口元を軽く手で隠し、今まで見たこともないような顔で、くすりと笑ってから答えてくれた。


「はい。ではご一緒しましょう」

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