37.望んでいたもの

「──という訳で、ふた月後にある王宮でのパーティーにルイーズ嬢にも出席してもらうことになりました」


唐突に告げられた難題に、思わずぽかんと開いた口が塞がらない。

一瞬の放心の後に、慌てて拒否を申し出る。


「む、無理です!私はただの平民で、しかもこちらに来てまだ月日も経っていません。パーティーなんてもの出たこともなければ、マナーも存じません。こればかりはどうかお許しください」


今までにない勢いで拒否の意を伝える。

けれど私にそれを告げたリアム様は、申し訳なさそうに以前のケネス隊長のように私の退路を断つ。

「申し訳ありませんルイーズ嬢。これは王太子殿下のお申し出で、既に決定事項なのです」


そして愕然とする私に、更に追い打ちをかける。

「ですので、こちらとしても最低限ルイーズ嬢が困られないよう手筈は整えさせていただきました。ふた月後のパーティーまでに、ジーンがマナーの手解きをさせていただきます。ダンスについては誰かに誘われてもお断りいただいて結構です。当日のエスコートはケネスにさせます。ケネスは伯爵家の子息ですので問題なくエスコートしてくれます。勿論警護は騎士団が万全を期してくれますのでご安心ください」


……違う。

安心を与えるべきはそこではないのです、リアム様。


私はどうにも立ち直れないまま助けを求めて、リアム様の後ろに控える2人を見上げる。

ユージン隊長は困ったような笑顔を浮かべ、ケネス隊長は無表情で視線を返してくる。


仕事の早いリアム様に、夕刻にまた騎士宿舎へと呼び出され、早々に聞かされた言葉がこれだった。

この後ジェイクが迎えに来てくれることにはなっているけれど、この場には私とリアム様、それに隊長方お2人しかいない。

決定者が王太子殿下である以上、誰がいたところで私に味方がいないことくらいは分かる。


けれど、本当に助けてほしい。

…もう嫌だ。


そんな場所に出席するような立場を望むくらいなら、最初から転写される時にそれなりの地位や家柄を希望している。


泣きそうになりながら2人を見つめる私を見ないように、リアム様は更に言葉を続ける。

「残りの面談が済み次第、日程を組ませていただきますのでよろしくお願いします」

リアム様がそう言い終わった瞬間、扉をノックする音が響く。

「失礼します」

そう言って、部屋へ入ってきたのはジェイクだった。


彼は入ってきた瞬間、まだ話が終わっていないと判断して、扉横へ控えるように立つ。

その彼と視線を合わせた瞬間、私は堪えられずに顔を両手で覆って俯いた。

手のひらから溢れて、涙が頬を伝う。


「無理……もう無理…」


頑張ったと思う。

日本にいた時にはずっと逃げることしかできなかった私が。

怖いなりに、人と係わりを持って。

ちゃんと自分と、他人ひとと、と向き合う決心をして。

怖い思いをしても、助けてくれる人がいるからと。


でも、もう無理。


「…ルイーズ嬢」

泣き出してしまった私に、困ったようにリアム様が呼びかける。


皆を困らせるだけだということは分かっている。

それでも涙を止めることができなかった。


が起こるだろうことが分かっている場所に、わざわざ知りもしないマナーを身に着けてまで、なぜ参加しなければいけないのか。

今涙を流している、さえなければ…。


泣き続ける私に誰も声も、手もかけない。

流石にこの面子で話していた中で、ジェイクも好き勝手には動けないだろう。

そう思ったのに──。


不意に後ろから包むように肩を抱かれる。

驚いて顔を上げ振り返ると、そこにはジェイクの困り顔があった。


「ルイーズ。帰ろう」


それだけを言って、ソファの後ろから私の体を支え、立たせる。

促されて、私はハンカチで涙を拭いながら3人に頭だけ下げた。

肩を抱かれ扉へと歩く。

ジェイクが3人に「失礼します」と言って頭を下げ、私と彼は部屋を出た。

部屋を出るまで、3人は咎めることもせず、何も言葉を発しなかった。




部屋を出て、門に向かう途中で敷石の敷かれた道から逸れて、少し脇にある木陰へ連れて行かれる。

先程よりは幾分落ち着いて、涙を拭いながらジェイクと向き合う形で立ち止まる。

そっと彼を見上げようとした瞬間、ふわっと優しく抱きしめられた。

黙って優しく背を撫でられる。


きっと、誰にもどうすることもできない。

私が諦めるしかない。

分かっているけれど、怖いし、辛いし、嫌だ。

もう逃げ出したい。


ジェイクの服を掴み、彼の胸に身を寄せる。

同い年とは思えない逞しい身体に触れて安心を覚える。

私は暫くそのまま彼に身を預けていた。






宿へ戻った私は、食欲もなく、お風呂を済ますとベッドへと体を横たえた。


今日聞かされた話を思い返してみる。

どう考えても、この先言われるように事を進めれば、イアンだけでなく複数の人間が事を起こす、その場に居合わせなければならなくなる。


不意打ちでもなく、頼れる騎士団もいる。

未然に防げるだろうとは思うけれど、もしも誰かが目の前で傷つくことになったら…。

自分が襲われる側になったら…。


考えれば考えるほどに不安が募る。

また涙が溢れそうになるのを堪えていると、ノックの音が響きジェイクの声がかけられた。


「ルイーズ、入ってもいいか?」


今日は以前のように遠慮した様子がない。

「ええ」と短く返事を返し、横たえていた体を起こす。

扉が開き、部屋へ入ってきたジェイクは片手に果物を盛った皿を持っていた。


「食べないと体に悪い。果物だけでも食えないか?」


サイドテーブルに皿を置き、私の顔を覗き込む。

「ありがとう」そう答えるけれど、視線も顔も上げることができなかった。


黙ったまま動く様子もない私に、ジェイクは膝をついて向かい合い、手を取り優しく包み込まれる。


「ルイーズごめん。俺では何の力にもなってやれなくて…。けど、絶対お前のことは護るし、辛い時は傍にいるから」


彼の優しい言葉にも返す言葉が出てこない。

私は黙ったまま跪く彼の肩に顔を埋めた。

彼はそんな私の背に手を回し、優しく支えてくれる。


「泣いてもいいぞ。ルイーズ」

背中に回っていた手が優しく頭を撫でる。

どうしてこの人はいつもこんなに優しいのだろう…。


「…ん。大丈夫」

それだけ言って、私はそっと上体を起こす。

それに合わせて、彼は私の背に回していた手をそっと放してくれた。


「…ジェイク。もう少しだけ傍にいてくれる?」

そう問うと彼は「ルイーズが望むなら幾らでも」と答え、隣に腰掛けてもいいかと訊いてくる。

私が頷くと、彼は隣に腰掛け、脚の上に置かれた私の手に手を重ね優しく握り込んだ。

私はその手を見つめ、ゆっくりと口を開く。


「私ね。日本で生きていた時はずっと色々なことから逃げてきたの」

彼は話し始めた私の言葉を黙って聴いてくれる。

「暴力を振るわれたり、暴言を吐かれたり、意地悪をされたり…。両親と妹が死んでから、私には、私のことを愛してくれる人が誰もいなくて。辛くて…」

思い出された感情に、脚の上で手をぐっと握りしめる。


「…だからね。こちらに来て、幸せな人生を生きようって思ってたの。他人ひとと係わるのも怖かったけど、ジェイクに出逢えて良くしてもらって、私も誰かのためになれるならって思えて…」

だからリアム様に声をかけた。


「怖い目にあっても、いつもジェイクやセレス。それにユージン隊長やケネス隊長が助けてくださったし。…だからちゃんと色んなことと向き合って、頑張ろうって…。でもね」

言って私は目を閉じる。


「本当は、普通に勉強したり、仕事したりして、普通に恋して、愛してくれる人に出逢って、結婚して家族をつくって…そんな平凡で平穏な人生を望んでいたの」

ゆっくりと開いた目から涙が落ちた。

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