32.甘い時間

既に雇い入れられている人たちの面談も、一日目は問題なく終了した。

寧ろ、面談が終わった人たちからは以前のような奇異の目、畏怖の目で見られることがなくなり、その人たちから伝搬したのか、他の使用人からもあまり見られることがなくなり、屋敷内を歩くのが随分と快適になった。


迎えに来てくれたジェイクと並んで歩きながら、今日一日を振り返って、ふっと息を吐く。

「今日は顔色は悪くないけど、身体は大丈夫か?」


ジェイクはいつも本当に心配して、優しく声をかけてくれる。

それが凄く嬉しくて、いつも彼が迎えに来てくれるこの時間は凄く幸せな気持ちになれる。

「ええ。大丈夫よ。ありがとうジェイク」


顔の筋肉が緩むのを抑えきれず、だらしない笑顔を浮かべてしまっているに違いない。

ふと恥ずかしくなって、頬に手をあてると、不意にその手を取られる。

驚いてジェイクを見ると、優しい笑顔で私を見つめ、手を握り歩き出す。


途端に背後から「こほんっ」と咳払いが聞こえ、振り返るとエマが僅か頬を染めながらこちらを見ていた。

「ルイーズ様。私は先にお宿の方へ戻らせていただきます。明日は休みですし、ルイーズ様はどうぞごゆっくりなさってください」

そう言って一礼すると、私たちの言葉は待たず、エマはその場を去っていった。

彼女の後ろ姿を見送り、恥ずかしさで顔に熱が上るのを感じながら、ジェイクへと視線を向けると、彼も僅かに頬を赤く染め、指先で頬を掻くような仕草を見せていた。


「…えっと。じゃあ、少し遠回りして帰ろうか」

「ええ」

ここずっと張りつめていた緊張感からも解放され、久しぶりにジェイクとゆっくり一緒にいられる。

そう思うと、たまらなく嬉しくなって、私は彼の手を握る手にきゅっと力をこめた。

それに応えるように、彼も握る手に僅か力を込め握り返してくれる。


いつも通る道からそれて、川沿いを景色を楽しみながらゆっくりと歩く。

日本にあった、枝垂桜のような木が立ち並び、綺麗な花を咲かせている。

流れる川も渓流域のような澄んだ綺麗な川で、綺麗な景色の中、好きな人と並んでいられることが、本当に幸せで堪らなくなる。


「ルイーズ。明日はどこか出かけないか?」

自然に見惚れながら歩く私に、ジェイクが静かに声をかけてくる。

「ええ。ぜひ」


自然に見惚れうっとりとした表情のまま返事を返すと、ジェイクが一瞬息を呑んで固まる。

どうかしたのかと思って「ジェイク?」と問いかければ、勢いよく顔を掌で覆い背けてしまった。


「あの?どうかした?」

「いや。何でもない」


良くわからないまま、暫くすると「すまない。帰ろうか」といつも通りの調子で声をかけられ、そのまま宿へと足を向けた。






翌日は私の希望でまたノーフォークへ行くことになった。

前回行った時には行けなかった、海へも行ってみたいと言ったらジェイクは快諾してくれた。


両親が生きていた頃には夏になれば海水浴へ連れて行ってもらったことを思い出す。

叔母夫婦に引き取られてからは、一緒に連れて行ってはくれるけれど、いつも浜辺で荷物番をさせられていた。

それでも、海を眺めるのは好きで、波が押し寄せる様はいつまで見ていても飽きなかった。


この世界の海はやはり日本と比べると凄く澄んでいて綺麗で、テレビや写真で見ていた海外の海みたいで言葉を失くしてしまう。


「…きれい…」

浜辺に辿り着いた時にそう発した以外、本当に言葉が出てこなかった。

ジェイクはそんな私の隣に座り、私の手に、手を重ねたままただ黙って傍にいてくれた。



どのくらいそうしていたのか、少し風がきつくなり、波も高くなってきたところで、私たちは海からこの前行った市場へと移動した。


「また何か見てみるか?」

市場の中を歩きながら、ジェイクが私に訊いてくれる。

私はくるくるとあちこち視線をやりながら、うーんと考えを巡らせる。

そしてふと目についた物を見て、ジェイクの方へ顔を向けた。


「この間、ユージン隊長にもケネス隊長にも助けてもらったから、これお礼にどうかしら?」


私が手に取った物を見て、ジェイクの顔色がさっと変わる。

「ダメだ。ルイーズ」

ガシッと私の手を掴み、持っていた品を戻させる。

私がなぜダメなのかと彼を見上げると、彼は額に指をあてながら唸るように言葉を紡ぐ。


「あのな、ルイーズ。この国では騎士である男性にガーネットをあしらった物を贈るのは…愛の告白を意味するんだ」


言われた言葉が、すぐには意味が理解できず暫し無言で彼を見上げる。

そして、彼の首元から覗く皮ひもに目がいき、一気に顔に熱が上る。

「…えっ?…あのっ。そ…なの?…私、知らなくて…」

「…………分かってる」


慌てる私の言葉に、たっぷりの間をおいてジェイクが答える。


「あの…でもっ…その……」

そう思ってくれても…という言葉を続けられず、私は上気した顔を俯けた。


暫くすると俯いてしまった私の頭に、ぽんっと大きな手が置かれる。

「どうしても贈りたいなら、食い物くらいでいいよ。あの人たちには」

言われた言葉に頷きながら、私はふと先ほどの品に目を向ける。



…あれ?そういえば確か──。



私が考え込んでしまっていると、ふと首筋に冷たいものが触れる。

「ひゃっ!?」


思わず声を上げ顔だけ振り向けるとすぐ後ろにジェイクが立っていた。

何かと思って、首元に触れてみれば鎖が手に触れる。

先を辿って見れば、鎖の先にはティアドロップのアメジストがある。


「ルイーズの瞳の色と似てるだろ」


上から降ってくる声に、首を捻り彼を見上げる。

優しい笑顔で私を見下ろす彼は、『愛の守護石』『真実の愛を守りぬく石』と呼ばれるこの石の意味を知っているのだろうか…。


私はぶんぶんと頭を振る。

私だってさっき聞くまで知らなかったことがあるんだから、ジェイクだって分かってなくてやってるのかも。

…期待しちゃダメ!


いきなりぶんぶんと頭を振る私にジェイクが「どうした?」と首をかしげる。

「私もジェイクに何か贈りたいわ。何か希望はある?」


私の言葉に、彼は暫し黙り込む。

何を考えたのか、口元を手で覆い俯く。

「どうかした…?」


私が問いかけると、彼は慌てて顔を上げ「いや、何でもない!」と、ぶんぶんと首を振った。

そしてまた暫く考え込み、思いついたように顔を上げると、優しい笑みを浮かべて口を開いた。


「次の休みに、ルイーズの作った料理を持ってどこか出かけたい。叶えてくれるか?」

彼の言葉に胸の奥が甘く疼く。

こんな嬉しいことを望まれて断るはずがない。

私はアメジストのペンダントトップを握りしめ、満面の笑みで彼に返した。

「もちろん」


こんな幸せな時間が、この次の休みにも約束されている。

そう思うと、当分甘い胸の疼きがおさまりそうになかった──。

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