7-1.得体の知れない恐怖
「あ、あの…ジーンさんは…?」
馬車へ促されるも、逆に一歩イアンから遠ざかって、リアム様に縋るように訊ねる。
家を特定されたくないのは勿論だが、それ以前にできるなら、イアンと一緒に馬車になど乗りたくはない。
しかしリアム様から返ってきた言葉は私の微かな希望を打ち砕くものだった。
「ジーンは今別の用事で出払っています。イアンは若年ですが、ジーンと同じく非常に優秀な侍従です。ご心配なさらずとも、ルイーズ嬢を安全にお宅までお送り致しますよ」
リアム様の言葉に、顔が引きつってしまわないように気を付けながら、何とか辞退する方法はないかと言い訳を羅列してみる。
「いえ、あの…。帰りに友人に会いに…。そう友人に会いに騎士の宿舎に寄りたいので!宿舎までの道だけ教えていただければ、歩いて行きますし、そこからは友人が家まで送ってくれますから!」
「いえ、でしたら途中で宿舎に寄らせますし、用事が終わられるのを待って家まで送らせましょう」
どうあっても譲ってくれないリアム様に、手を引かれ、馬車へと促される。
これはもう、宿舎に寄って、そこでイアンに全力で辞退を申し出るしかない。
私は諦めて馬車へと乗り込んだ──。
私の斜め向かいに、控えるように乗り込んだイアンは、特に何かを話すでもなく大人しく、本当に大人しく控えているだけだった。
けれど、モーティマー邸からそう遠くない騎士の宿舎に着くまで、私は恐怖心を拭えないまま、只々早く宿舎に着くようにと祈るように過ごすしかできなかった。
宿舎に着くと、イアンが先に降り、私に手を差し伸べてくれる。
一瞬躊躇ったが、そっと手を乗せエスコートしてもらい、無事馬車を降りると私はイアンに向き直り、勇気を振り絞ってイアンに語り掛けた。
「あ、あの。もう本当にここで結構です。用事が済んだら友人に送ってもらいますので」
けれど、そんな私の言葉も、イアンには簡単に叩き切られてしまった。
「いえ、そういう訳にはまいりません。主人にお宅まで安全にお送りするよう申しつかっておりますので」
「…わ、分かりました」
イアンの言葉に、もうどうしていいか分からず、とりあえず、とにかくイアンから離れようと私は宿舎の門へと足を向けた。
門番にジェイクがいれば呼んで欲しいと声をかけると、門番の1人が宿舎の中へと駆けて行った。
いなかったらどうしよう。どうやって逃げようと考えながら待っていると、宿舎の中から見慣れた人影が走ってくるのが見えた。
息を切らせながら走ってきたジェイクは私の前まで来ると勢いよく私の肩を掴んできた。
「どうしたルイーズ!?何かあったのか!?」
随分慌てて来てくれたのか、普段では見られない程に息が乱れ、額から汗が流れてきている。
「…あ…ごめんなさい。まだお仕事の時間よね?」
今更になって気付いたことに、申し訳なくなって俯いてしまう。
「休憩をもらってきた。30分くらいなら平気だ。それよりどうした?顔色が悪いぞ」
俯いてしまった私の顔を覗き込みながら、言葉を返してくれるジェイクの存在に安堵したのか突然震えが襲ってくる。
カタカタと小刻みに震えだす体を自分で腕を交差させて抱きしめるが、とても治まりそうにない。
そんな私の様子に気付いたジェイクは、ふと私の後方に気付いたように目を向ける。
私の後方には、勿論、ここまで乗ってきたモーティマー公爵家の家紋の入った馬車と…たぶん傍に控えたイアンがいるはずだ。
視線を戻すと、ジェイクは肩を掴んでいた手を放し、今度は肩を抱いて私を抱き寄せると「少し歩こう」と静かに声をかけ、私へ歩を促した。
宿舎からほんの少し先には小川があり、そこに架けられた橋を渡れば貴族屋敷の立ち並ぶ地区へと入る。
その小川の側の小道まで歩いて行くと、少し木の茂った方へ向かい、どうやら馬車から死角になるところへと導いてくれたようだった。
「ここなら、他からあまり見えないだろう。大丈夫かルイーズ?何があったんだ?」
木陰に入り、私の肩を抱いていた手がそっと放されるのを感じ、私は思わずジェイクの胸に飛び込んだ。
「…ジェイク!…ジェイクっ!ジェイクっ!」
胸に飛び込み、彼の団服を掴み、ただ繰り返し彼の名前を呼び続けた。
怖かった──。
ただひたすらに怖かった。
この世界でただ一人、信頼できる人の名を呼び続け…いつの間にか、頬に涙が伝っていた──。
只々自分の名を呼び、震え、胸に縋りつく私の背にそっと手を添え、ジェイクは優しく私を抱きしめてくれた。
私が落ち着くのを待ってくれているのか、黙ったまま抱きしめ、背を擦ってくれる。
どれくらいそうしていただろうか。
随分と震えも治まり、私はジェイクの胸を手で押し、彼と少し距離を取ると、手の甲で涙を拭って彼を見上げた。
「…ごめんなさい。もう大丈夫。忙しい時間に押しかけてきてしまって本当にごめんなさい。…おかげで少し落ち着いたわ。ありがとうジェイク」
本当はジェイクに送ってもらうことを言い訳にして、イアンから逃げたかった。
けれど、ジェイクが仕事時間中である以上、彼にこれ以上迷惑をかける訳にはいかない。
精一杯強がってそう言うと、まだ私の背にあてられているジェイクの手が放れるよう、私は更にジェイクから距離を取ろうと足を引いた。
けれど、その目的は叶わず、再度ジェイクに強く抱き寄せられてしまった。
「どこが大丈夫なんだ。酷い顔色をしてるぞ」
そう言って、片方の手で私の頭を優しく撫でてくれる。
そして、一度空を仰ぐように顔を上げると、俯き、私の顔を伺うようにして、酷く優しい声がかけられた。
「少し、門前で待っていられるか?許可を貰って、家まで送ってやるよ」
──嬉しい。
正直な気持ち、ジェイクの優しさに縋りたい。
けれど、私は小さくフルフルと首を横に振った。
幾ら他に頼れる人がいないからと言って、これ以上ジェイクに迷惑はかけられない。
幸い、馬車からは死角になる場所まで連れてきてもらった。
ここから、馬車の通れない小道を通って家に帰ればいい。
私はもう一度ジェイクの胸を押し、距離をとりながら「大丈夫」と口にする。
自分自身に言い聞かせる意味も含めて。
それでも私の両腕にかけた手を放さないジェイクの胸を思い切り押し、私は顔を上げ、ハッキリと告げる。
「ここで少しだけ休んだら、馬車で送ってもらうから。ジェイクはもう戻って」
けれど彼は納得がいかない様子で私を見つめ続ける。
その彼に笑顔をつくってお礼を述べた。
「心配してくれてありがとう。こんなすぐに貴方に頼ることになると思ってなかったけれど、この世界で最初に、優しい貴方に出逢えて良かったわ。ありがとうジェイク」
「……」
私が紡ぐ言葉をただ黙って聞きながら、ジェイクは探るように私の瞳を見つめ続けている。
最後にぎこちない笑みにならないよう気をつけてニッコリと微笑むと、ジェイクは静かに私から手を放した。
「分かった。俺は戻るから、ルイーズも気をつけて帰るんだぞ」
そう言うと、最後に「じゃあな」と言って、私の頭をポンっと撫でるように叩いた。
そして踵を返し、去っていく後ろを姿を眺め、私は深くため息を吐いた。
早くこの場を去ろう。
ジェイクはきっと気付いている。
そして、イアンにもすぐに気づかれてしまう。
私は向きを変え、急いでその場を駆け出した──。
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