第5話 矢谷森林はファッションブランドの社長である


「皆、私を殺しに来よう」


くい、と人差し指を曲げて倉庫の中にいる人間に宣言する。

電気もつけずに月明りが差し込む中、人影が十ほど戸惑うように動く。

ここに集められた殺し屋たちは、雇用主の依頼を受け、仕事を遂行する事を目的としている。だが、誰もが戸惑った。耳を疑った。

ブランド会社の社長である若いスーツ姿の男が、ポケットに手を突っ込んだまま、自分を殺せと言うのだ。

殺し屋たちは顔を見合わせる。冗談か。

忠誠心を計る嘘なのか。

提示された金額は破格のものだった。どんな相手を殺せと言われるのかと思えば


「アンタ、オリーブの社長さんだろ? それなりの人生経験があるだろうに、分からないのか?」


ひとりの殺し屋が、ナイフを取り出し、軽く投げて遊んでいる。

誰一人笑みを浮かべず、死んだような淀んだ目をして暗闇に溶け込んでいる。

銀色のナイフが月明りを反射してきらきらと輝く。それを薄らと笑みを浮かべたままの若社長が眺めている。


「娘が年頃でな。よくアンタのブランドの服を着てるんだ」

「それはありがたい。中学生? 高校生? 今後の目的は子供の頃から着ているブランドを、そのまま二十代三十代向けのブランドを今後だして、死ぬまで私の会社の服を着続けてもらいたいという野望がある。是非買い続けてほしい」

「そんな少女たちの未来までも求めている社長が、何故殺し屋が必要なんだ? しかも死に急いで」

「よくぞ聞いてくれました!」


社長は手を叩き、まるで自慢のカブトムシを指差して「どこでとってきたの?」と、話しかけられたような反応を見せ、殺し屋たちは一歩退いた。


「そう! 今、私のいる場所はとても安全! 毎日スーツを着てビルを渡り歩き、車に乗って移動する! 朝昼夜と満足のいく食事が用意されていて、貯金額もぷよぷよのように増え続けている!」

「ぷよぷよは消えるだろ」

「つまり! 退屈なんですよ! 私は! このまま順当にいけば、私は世の女性たちの衣服の王になることができる! つまり、日本の女性すべてがこの私のものになるということ!」

「それは違うだろ」

「私には命の価値が分からないのです。だから、こうして自分の命の重みを知りたい。私が生きるに相応しい運命を持つ人間なのか……ああ、私が死んだら、この倉庫の外にある車の中にある鞄に金が入っている。成功者はそれを持って行ってくれ!」


大仰に腕を広げて叫ぶ社長に、殺し屋たちは戸惑いながらも、殺意を育てていく。

金を持ち、会社を経営し、見た目もいい男。殺してもいいと言うのなら、殺しても構わないだろう。

常に人の命を消し、消される可能性を孕んでいる自分達にとって、この男のやっている事は馬鹿としか言いようがない。


「命の価値なんて、金より軽いに決まってんだろ」

「私もそう思います」


殺し屋の一人の言葉に、心底同意すると言わんばかりに大きく頷く。

これから、命よりも重い金を稼ぐために殺しを生業としているプロ十人に狙われている男は、腕を組みぼんやりと立っている。

自分達を殺し返せる自信があるのかと思ったが、あまりにもその立ち姿は素人同然で、殺気も何もあったものじゃない。


「お金の為なら、私を殺す事も厭わない。私を殺してお金を手に入れて、オリーブの服を娘さんに買ってあげてください」

「社長の鏡だな」

「お客様はお客様なので」


一人が賞賛の声を上げた瞬間、一人は拳銃を、一人はナイフを、一人は一歩踏み出しだした。ロープ、素手、様々な武器と殺し方。

殺し屋に囲まれても尚、微動だにしない社長の首に全員が殺意を向ける。


「あっ」

「がっ」

「あ?」


全員があと一息で殺せると思った瞬間、全てが終わった。

ナイフを持った腕が切り落とされ、弾丸は何かにぶつかり社長に届かない。

落ちたナイフは何者かに蹴り上げられ、遠くから拳銃で狙っていた男の喉に刺さった。

一瞬の出来事だった。雨粒が地面に落ちてはじけるように、一斉に血の噴水が出来上がり、倉庫の中で生きているのは社長のみとなった。

血の海に磨かれた靴を踏み込ませ、血まみれになったナイフを拾い上げた。


「こうして、私は生きている事に感謝して、そして、ボディーガードの実力を計っている……今年も契約更新させてもらいます。よろしくお願い致します、メイコさん」


ナイフの切っ先を指先で突きながら、背後の暗闇に向けて笑顔を向ける。

そこにはメイド服を着た妙齢の女性が立っていた。

彼女は表情を変えず、殺し屋十人を殺したとは思えない程、慇懃に頭を下げた。

その両手には包丁が握られており、血がしたたり落ちている。


「彼らにも家族がいて、彼らが殺した人にも家族がいる。なんて儚いんだろう、人間ってものは……私もいずれ、こうして死ぬんだろうな……」

「諸行無常でございます」

「死にたくないという感情は、どの生物にも共通して持っている野望だと思う」


ナイフを背後のメイコに向かって投げると、お辞儀をしたまま簡単に指で摘んでエプロンのポケットの中に隠した。


「オリーブと共に私も長く生き続け、私の服を着ている人間を見続けたい……全人類が私の服を身にまとって生活している。それは、世界征服と同じなんじゃないか?」

「制服と征服をかけているのですね」

「いや、普段着を……ああ、制服もいいな。いずれオリーブでも作りたいな。まずは幼稚園から、次に小学生」

「矢谷様、これよりモデルたちによる食事会があります」

「ああ、そうそう。行かないとね。私の服を着て宣伝してくれるマネキンを、しっかり吟味しておかないと……」

「気を抜かないでください。言葉が雑になっています」

「ああ、ありがとう。おほんっ! さて、私のかわいい服を着てくれる麗しいモデルたちと友好関係を深めないと……行こうか、メイコさん」

「はい、ご主人様」


慇懃に頭を下げたメイコは、外に止めてある車の後部座席を開け、矢谷を乗せた後、運転席に乗り込み車を発進させた。その先には都内の人工的な光で染まる街があった。


倉庫に残された血の海に沈んだ死体は、月明りに晒され続けた。

その中の一人の頭に、何かが動いていた。

カサカサ、と、ゴキブリが這っていた。

だが、すぐに段ボールと段ボールの隙間に逃げ込んだ。

その場所に更に足の多い虫が這っていた。背中には一つ目がついたゲジゲジが、死体の口に入り込んだ。

それを死体すべてに繰り返した後、ゲジゲジは倉庫を後にして車の発進方向と同じ方角へ向かっていた。

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