第4話 黒川カラスは食事をすることができない
『もう死ぬかもしれない』
「いや、そんな事ないって。アレは……最悪なんか、スマホから鳴ったとか、ポケットに入れてたら急に動画アプリ開いて、広告が再生されたとか色々言い訳できるでしょ。そんな気を落とさないでよ」
『お腹空いた』
「えっ」
『全部食べられた』
「……ま、まさか、食事もコイツが食ってんの?」
カラスは柩に入れられた死体のように、仰向けに倒れ指を胸の上で絡めながら静かに頷いた。
ぱたり、と傍に置かれたメモ帳を他所に、紅はカラスの顎に指をかけて口を開けるように促す。
歯医者の治療を受ける患者のように、目を閉じて口を開ける。
「手旗信号やめて」
「……いや、太ってはない……もしかして、夜ごはんも朝ごはんも昼ごはんも食べられてないの?」
こくり。
「お腹空いてんの?」
こくり。
もう一度メモ帳を拾い『もう死ぬかもしれない』という文字を紅に見せた。
「確かに、それはまずい……何とかしないと、餓死しちゃう」
『もしかしてこうやって殺す殺人機械なんじゃ?』
「その可能性はある。それにしても、むごすぎるでしょ。食事をしてもお腹に入らないし、人に助けを求めようとしてもアニメの声やら変な言葉を発して……って、これはアンタの自業自得だわ」
『そんな』
「せめてニュースとか見てたらこんな事にはならなかったんじゃないの?」
紅の呆れたような声に、カラスはすっと目を閉じてメモ帳も傍に置いた。言い返す言葉もありませんと言いたげな安らかな様子に、紅はこのまま寝かし続けたらどうなんだろうと思わず放棄しそうになる。
「……うーん、これはマズいわ。見た所食べた分だけ大きくなっているわけではないから、このゲジゲジみたいなやつが成長して膨らんでアンタの口を破裂させるとかそういう事ではないみたいだけど」
『もう死ぬかもしれない』
「これ、ダイエットに苦しんでいる人につけたらめちゃくちゃ売れるんじゃない?」
『商売しようとすな』
「人に移せないのかな。このゲジゲジを求めている人もいると思うんだけど……ああ、でも音声案内の声がちょっと……」
『何を案内するって言うの』
「それは確かに」
「手旗信号やめて」
「これくらいしか使える音声ないしね」
まったく汎用性がない音声だが、ルルちゃんよりましだろう。
「とりあえず、あの、ぎゅうって絞るゼリーあるでしょ? あれ買ってくるから、私が直接喉の奥にぶちこむから、それで何とかお腹にためられないかやってみるわね」
『ありがと』
「手旗信号やめて」
学校から飛び出てインゼリーを買ってきた。屋上の中央で仰向けに寝転がっているカラスは、遠目から見てもう死んでいるのではと紅は焦りながら駆け寄ると、すやすやと気持ちよさそうに寝ていた。コイツ、今、睡眠不足を補おうとしてやがる。
「おら! 起きろ!」
必死にコンビニまで走って買ってきたというのに、呑気にしているカラスの脇腹を蹴る。
「口を開けて」
今度は拷問器具を入れられる前の憐れな罪人のような怯えた目で紅を見つめ、口を開ける。
「発射!」
舌のゲジゲジが何か言う前に、紅がカラスの喉の奥に向かってゼリーを噴射した。
テニスの球を打ち返すように、剛速球をバットで打ち返したように、気管に入って咽たカラスの口から、見事に紅の顔に全てが跳ね返された。
「うぎゃあああああ! 目に! 目に入ったぁぁぁ!」
「手旗信号やめて」
『ゴ・メ・ン』
「手旗信号やめて! 見えないから! 何言ってんのか分かんないから!」
バッバッと、腕を動かす音だけが暗闇の中で聞こえるが、それが何を言いたいのか、伝えたいのか紅には分からない。今はこの先の見えない現状を打破しなければならないと、床に這いつくばって手を伸ばす。
「くっ……! なんで私は水を買ってこなかったのか……! 素直にゼリーしか買ってこなかった……!」
屋上には自動販売機もなく、声を出せない同級生がいるだけだ。
ぺら、とメモを捲る音がするが分からない。手旗信号も分からない。
「ご主人様大丈夫にゅ~?」
「コイツ……!」
心配げな甘ったるい声に、暗闇の中で生まれる怒り。
地面に這いつくばりながら、目に入ったゼリーを取ろうとする紅。その横で、メモを捲り、文字を書き、手旗信号をして何とか意思疎通を図ろうとするカラス。
「手旗信号やめて」
「絶対に、絶対にソイツをとってやる! 私が! この私が!」
「ご主人様だぁいすきぃ~」
何度も地面を叩き、地獄の底から這いあがって来たような声音で紅が宣言する。
カラスの舌に向けられた怒りの感情は、燃え上がる炎のように強く紅の閉じられた瞳の奥で輝いていた。
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