第33話 悶々とする

 子供の頃に来た水族館は自分達と同じような親子連れが多い印象だった。それが

数年の時を経て訪れるとカップルが非常に多い。


 当時は目の前に広がる海や川に似た施設で活き活きと泳ぎ回る魚に興味津々だったのもあるだろうけど、この薄暗い空間がデートスポットであることを実感させられる。


「なあ、やっぱりここは二人で」


「ダメダメ。せっかくのダブルデートなんだから4人で回るの」


「双海さんがそう言うなら」


「あと、あたしも仁奈も双海さんだから名前で呼んでほしいな」


「えーっと、じゃあ、里奈りなさん?」


「呼び捨てにはしてくれないの?」


「そういうのはもっと仲良くなってからっていうか、彼氏の特権だろ」


「だって、てる


「だんだん呼び捨てにする範囲が広がっていく……」


 二人きりの時に呼び捨てという話が、もう完全に仁奈さんと爽井さわいくんの前でも呼び捨てにする流れになってしまった。

 どさくさに紛れて今日はさん付けで押し通す計画は実行前に崩れ去ってしまった。

 こうやって少しずつ学校でもお互いに呼び捨てになるのかな。嫉妬の炎に油を注がなきゃいいけど……。


「ほらほら、我が妹のことも名前で呼んであげて。双海さんって呼んだらあたしは毎回全力で応えるからね」


「に……仁奈さん」


「……うん」


 お互いに赤面した爽井さわいくんと仁奈さんがもじもじしながら見つめ合う。

 なんだこの初々しさは。


 二人がラブコメの登場人物なら『早くくっつけ!』と応援のような檄を飛ばしたいたところだ。


「いいねいいね。ダブルデートらしくなってきた」


里奈りな、ちょっと」


「およ?」


 仁奈さん達が二人の世界に入っている隙に里奈りなを熱帯魚水槽の裏へと連れ込んだ。


「まさかここでキス? 展開が早すぎて心の準備が」


 ほっぺを両手で押さえてくねくねと体を動かす姿からはキスをされる緊張感は伝わってこない。

 僕の言いたいことをわかった上でふざけるんだから、ある意味でよき理解者だとは思う。


里奈りなはあの二人を応援してるの?」


「うん。どっちもまんざらじゃないみたいだし」


「……裏はないんだよね?」


「あたしは妹の幸せを願ってるだけだよ?」


「じゃあ、僕が仁奈さんに寝取られるのは」


「諦めてない」


「どういうこっちゃ」


 仁奈さんに彼氏ができれば僕を寝取る可能性はますます低くなる。ゼロに近いと言っても過言ではない。


 だって客観的に見て、悔しいけど僕と爽井さわいくんなら爽井さわいくんの方が絶対に素敵な彼氏だ。

 なんなら里奈りなが妹から彼氏を奪う展開になってもおかしくない。


「お姉ちゃんとしては妹の初彼氏が寝取ってゲットしたっていうのは心配なんだよ」


「その配慮ができるなら妹に彼氏を寝取られたいっていう発想をやめればいいのに」


「それはダーメ。あたしが本気で好きになったてるを仁奈が寝取ってくれる。ああ、あたしはどうなっちゃうんだろう」


 水槽に反射して映る里奈りなの表情はとても恍惚で高校生らしからぬ色気を放っている。

 そんな彼女に胸の高鳴りが止まない僕も大概だ。


「ほらほら。仁奈達のところも戻ろう。あー、でも、意外と二人で……」


「あの二人のことだからきっと待ってくれてるよ。変に気を遣ってなければ」


 小走りで入口に戻ると仁奈さんと爽井さわいくんは気まずそうに立ち尽くしていた。

 二人で出掛けたり勉強会を計画する仲なのにこんな風になったのは絶対に里奈りなが強引に名前を呼ばせたからだ。


 彼女が迷惑を掛けたのなら、それをフォローするのが彼氏の役目。


「ごめんごめん。急にお腹が痛くなっちゃって」


「え? 大丈夫?」


「うん。里奈りなが何かやらかすんじゃないかと想像すると胃に来るからさ」


「あたしのせいなの!?」


「ダメだよお姉ちゃん。彼氏に迷惑かけたら」


「ははは。双海姉妹ってプライベートだとこんな感じなんだ」


 里奈りなをだしに使ったのは申し訳ないと心の中で謝りつつ、おかげで緊張感が漂っていた爽井さわいくんに笑顔が戻った。

 勉強も運動も段違いで近寄りがたい空気を作っていたのは僕らの方で、実際に話してみればノリも良いしイジりがいもある。


 ムードメーカー的な側面も持っているのが双海里奈りなという女の子だ。


 って、改めて考えると完璧すぎて自分にはもったいない彼女だと思う。また一段と彼女とのレベルの差を実感してしまった。


「そうそう。実は仁奈の方がお姉ちゃんっぽいんだけど、やっぱり妹なんだよね~」


「たしかに。仁奈さんの方がしっかりしてるかも」


「少なくとも学校ではなね。でも、ほら」


 彼女が指差した先には食らいつくように水槽を見つける仁奈さんの姿があった。

 ガラスには手を触れないでくださいと注意書きが貼ってあるにも関わらず、子供のように両手を付いてじっくりと魚達を観察している。


「まるで子供でしょ? 家ではあたしに服をちゃんと着ろとか注意するくせに、触るなって書いてあるガラスにべったり触っちゃって」


「えーっと、一応注意した方がいいのかな?」


「そ・れ・は、未来の彼氏の役目かな。ね?」


「え?」


 ニヤけ面の里奈りなに話を振られた爽井さわいくんは目を丸くして驚いている。

 そりゃ未来の彼氏なんて身内から言われたらそんな顔にもなる。


 どうやら里奈りなは本当に爽井さわいくんと仁奈さんをカップルにするつもりらしい。


 昔好きだった、正確には今でもちょっと恋心が残っていなくはない女の子が他の男子と付き合うのは正直ちょっと複雑な心境だ。


 でも、僕のわがままで仁奈さんの幸せを妨げるのは絶対に違う。


 仁奈さんと爽井さわいくんがお互いに好きならその気持ちを尊重したい。

 それが里奈りなの彼氏として、将来の義理の兄としての責任なんじゃないだろうか。


「そうだね。爽井さわいくん、さりげなくお願い」


「マジか……」


「女の子はね、意外と自分の間違った行動を叱ってくれる人が好きなんだよ」


「なるほど。里奈りなが僕を好きなのはそういう」


「あたしは何も間違ってないし」


「そういうとこだぞ」


「えへへ」


 里奈りなとのこういうやりとりは慣れたものだ。おっぱいを押し付けてきたり、耳元でささやかれたりしなければどうってことはない。

 エッチな武器さえ使われなければ僕と里奈りなは対等に戦える。


「わかったわかった。俺が言ってくるから、二人はあんまり恥ずかしくない感じで待っててくれ」


「大丈夫。僕が里奈りなのストッパーだから」


「はは。純浦すみうら達を見てると羨ましなって思うよ」


「でしょでしょ? なら爽井さわいくんは仁奈と」


「ちょっと待っててくれ」


 里奈りなの言葉を遮るように爽井さわいくんは仁奈さんの元へと走っていった。

 たったそれだけのことなのにすごく絵になるからイケメンはズルい。


「うんうん。順調でなにより」


「楽しそうでなによりだよ」


「ねえ? キスしようか?」


「ふえっ!?」


「ふふ。かわいい」


「からかうなよ。爽井さわいくんにも恥ずかしくない感じで待ってるように言われただろ」


「彼女からのキスのお誘いよりも男友達との約束を守るんだ?」


「僕は意外と友情に熱いタイプなんだ」


「わあ、意外」


 水族館に入ってから十分近く経っているのに僕らはまだ入り口付近にいる。

 最初から熱帯魚がお出迎えしてくれるのでそういうお客さんも多くて、つまりここにはたくさんの人が居るというわけだ。


「それに」


「それに?」


「初めてのキスは二人きりの思い出にしたい」


 童貞の気持ち悪いこだわりなんて思われたら恥ずかしくて、つい彼女から目を逸らしてしまった。

 こんなだから里奈りなにかわいいとイジられると頭ではわかっていても、すぐに行動を変えられるほど中身がイケメンじゃない。


「よかった。あたしもホントはそうしたかった。てるはあたしの気持ちをよくわかってくれる」


「そりゃ、彼氏だし……」


 爽井さわいくんが大きく手を振ったかと思えば手招きしている。

 我に返ったらしい仁奈さんは申し訳なさそうに体を縮こまらせてその横でうつむいていた。


 僕と里奈りながそうであるように、仁奈さんと爽井さわいくんの関係がずっとこんな感じだったように感じる。


 それぞれが新しい恋に進んでいるはずなのに、ちょっとだけ胸がチクりとした。

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