第15話 ブランコ

 シャーーーーーーッ


 カーテンを閉めると僕と里奈りなさんだけの空間になった。

 と言っても僕らと外の世界を遮るのは厚い壁ではなくヒラヒラと揺れる1枚の布。

 防音効果なんて一切期待できない。


「僕は後ろ向いてるから。どうぞご自由に」


 すぐに試着室の壁を向いて目を瞑る。

 声もできるだけ潜めて、この空間から自分の存在を消すように心掛ける。


「ご自由にてるくんで遊んでいいの?」


「僕を気にせず試着してねって意味だから」


 つい大声が出そうになるのをグッと堪えた。さっきまで背中に感じていたおっぱいはもう離れているのに、目を瞑っているせいか神経が過敏になっている。


 僕の背後に立っているはずの里奈りなさんの存在がじりじりと伝ってくる。


「あ、あたしだってさすがに恥ずかしいから。あっち向くね」


「う、うん」


 彼女の言葉を素直に受け取るなら、里奈りなさんは僕と反対側を向いて試着するようだ。万が一、僕がうっかり振り返って目を開けてもギリギリのところで里奈りなさんの生乳は守られる。


 でも、里奈りなさんのことだ。そうやって油断させて……みたいな可能性は捨てきれない。


 念には念を入れて改めてギュッとまぶたを固く閉じた。


 シュルル……シュッ……


 かすかに聞こえる衣擦れの音が妄想をかき立てる。

 目を瞑ったのは失敗だったかもしれない。

 ただ黙って壁を向いていればここまで聴覚も過敏にならなかった。


 でも、今から目を開けるのも違う気がする。

 いつの間にか目の前におっぱい丸出しの里奈りなさんがいる可能性もゼロじゃないんだから。


「ちょっと小さいかも。あ、でも……ねえてるくん」


「手伝わないよ?」


 エロの力でフル回転している僕の脳みそは一瞬で答えを導き出した。

 ちょっとブラのサイズが小さいけどうまくおっぱいを詰めればピッタリとハマる。だから僕に手伝ってほしい。


 里奈りなさんはそう言い出すはずだ。だから先手を打って断っておいた。

 さすがに彼氏でもここまでする人は少ないはず。ブラ着用の手伝いをしなかったとしても彼氏ランクは下がらないはずだ。


「え~ん。彼氏が冷たい」


里奈りなさん、あんまり大きな声出さないで」


「ふえ~ん。彼氏が高圧的~」


「ああ、もうっ。どうすればいいの?」


「えへへ。てるくんってば優しい」


 試着室は基本的には一人で入る場所だ。外で待つ人に声を掛けることはあるかもだけど、中で会話するのはおかしい。


 さっきは試着室の周りに誰もいなかったのでバレてないはず。僕にできるのは希望的観測と祈ることくらいだ。


「ちょっとだけおっぱいを詰めるから、その間、てるくんにブラを支えててほしいの」


「あ……そっち」


「そっち……? ああ、なるほど。逆でもいいよ?」


「いいえ。最初のプランでいきましょう」


 ブラと生乳ならまだブラの方が罪悪感が薄い。

 下着とは言え無機質な布だ。しかもさっき僕が自分で選んだもの。

 色もデザインもハッキリと覚えている。


 あの布にもう一度触れるだけだ。なんてことはない。

 自分にそう言い聞かせてゆっくりとまぶたを上げた。


里奈りなさん、そっち向いていい?」


 目の前に広がる壁を見ながら背後に立っている彼女に声を掛ける。

 本音を言えば今すぐ振り返りたい。

 

 顔を埋めたこともあるあのおっぱいを生で見たい!

 服の上からではわからない谷間を拝みたい!

 できるなら本当は揉みたいし吸いたい!


 溢れ出る欲望を必死に理性で押さえながら里奈りなさんの回答を待つ。


「うん。いいよ」


「念のため確認するけどさ」


「うん」


「実はブラを着けてないってことはないよね?」


「あはは。さすがのあたしもそれは恥ずかしいって」


「絶対だね?」


てるくん」


「うん?」


「声大きいよ?」


「っ!?」


 反射的に両手で口を覆った。

 自分では声のボリュームを落としているつもりだったのに、頭の中がおっぱいでいっぱいになった結果声の調節機能がバグったらしい。


 幸い、試着室に向かってくる足音は聞こえない。

 おそらくまだ誰にも二人で試着室に入っていることに気付かれてないんだろう。


 スーッと深呼吸をすると、甘い香りが鼻孔を突いた。

 里奈りなさんの香り!


 あかん。これはあかんって。落ち着け僕。


 本能の僕と理性の僕が行ったり来たりして頭が爆発しそうだ。


てるくん、早く」


「うっす」


 まずは振り返らないと何も始まらない。

 むしろ、いつまでも試着室に二人で居る方がリスクが高まっていく。


「おぉ……」


「そのリアクション、ちょっと恥ずかしいかも」


「ごめん」


 視界に飛び込んできた雄大な谷間に思わず感嘆の息が漏れた。

 エロい、芸術的、神秘的、そしてやっぱりエロい。


 ブラによって美しく形を整えられたとしても、男子高校生は最終的にエロに戻ってくる。


 おっぱいとはそういうものだと一瞬で学んだ。


「ピッタリのように見えるんだけど」


「うーん。もうちょっとなんだよね。この部分がどうにかできれば」


「っ!?」


 ブラからわずかにはみ出た白いお肉。いや、脂肪?

 メインのおっぱいではないにも関わらず、ひょこっと遠慮がちに飛び出すその姿はいじらしくて愛おしい。


てるくんは肩の辺りを押さえてもらえばいいから。あとは自分で」


「は、はい」


 ブラの肩紐を押さえて僕は再び目を瞑った。

 ちゃんと押さえているとはいえ、うっかりポロリすればたぶん僕は雄たけびをあげるだろう。

 

事故を防ぐために絶景を我慢して彼女の要求に応える。

これは素敵な彼氏に近付いているんじゃないだろうか。


「ありがと。どう、かな?」


「見ていいの?」


「だって、彼氏だもん」


 ああ、絶対ニヤけてる。

 脳内に住む理性の僕に全身全霊で働いてもらっているけど、こういう不意打ちみたいな乙女の里奈りなさんにはめっぽう弱い。


 下手すればエロよりも乙女の方が僕には効くかもしれない。


「いい? 本当に開けるよ?」


「早くしてよ。あたしだって恥ずかしいんだから」


 教室でおっぱいに抱き寄せるのは平気で二人きりで下着姿を見られる方が恥ずかしいらしい。


 里奈りなさんの羞恥の基準はよくわからないけど、女の子が恥じらう様子というのはやはり心にグッとくる。


 そんな可愛い彼女の姿を見るべく、ゆっくりと目を開けた。


「似合ってる、かな?」


「うん」


 彼女の肩を押さえて見つめ合う。

 あれ? これってキスをする時の体勢では?


 おっぱいに気を取られてそこまで考えが回っていなかった。

 ほんの少し、僕が前に出れば唇と唇が触れ合う。


 初デート、しかも試着室でなんてアリなのか?


 僕にとって、そして里奈りなさんにとってもたぶん初めてのキスがこんな形で本当にいいのか?


 今度は、キスしたい感情とより良い思い出にしたい感情が脳内でバトルを始めた。


「も、もう出ようか。サイズはこれでピッタリだし。これでてるくんも安心でしょ?」


「そそそそそうだね」


「あたしが先に出て様子を見るから、合図したらスって出てきて」


「よろしくお願いします」


 里奈りなさんの仲裁によりバトルは一時中断。実質、より良い思い出にする軍の勝利となった。


「って、お会計まだだから一度ハズさなきゃ」


「っ!?」


 何の躊躇いもなくブラを外そうとする里奈りなさん。

 僕は人生で一番の反射神経でくるりと壁の方に向きかえった。


「剣道部ってやっぱり動きが機敏だね」


「それほどでも」


「もう少し鈍臭ければあたしの生おっぱい見られたのに、惜しいなあ」


「……早く着替えて」


「はあい」


 僕をからかうのが楽しくて堪らないと言わんばかりの挑発的で明るい返事に、心のざわつきがおさまらない。

 

 服を脱いで無防備状態になっているのは里奈りなさんなのに、なぜか追い詰められているのは僕の方だ。

 そして、このドキドキな状況を楽しんでいる自分もいる。


 ちょっとずつ、里奈りなさんとの付き合い方がわかってきた。


「あ、てるくん平気だよ」


「うん」


 セクシーな黒下着に包まれた巨乳を見ればただのカラフルな布切れなんてどうってことはない。

 ……なんてことはなく、店内に咲き誇る色とりどりの下着は童貞に刺激が強すぎる。


「ぎゅっ」


「ああ、今は着けてないんだもんね」


てるくんがノーブラおっぱいとのお別れを惜しんでるかなって」


「惜しん……でなくはないけど、やっぱり里奈りなさんがちゃんと守られてるのが僕にとって一番嬉しいから」


てるくんってさ」


「うん」


「理性が吹き飛んだら激しそう」


「どんなイメージ!?」


 明確に否定はできないのが悔しいところではあるけども……。でも、元はと言えば僕の理性を揺さぶる里奈りなさんが悪い。

 彼氏と彼女なんだし、いずれはそういうことになってもおかしくはない。今はまだ早いってだけで。


「あとで下着をちゃんと着けたらさ」


「うん」


「手、繋がない? 恋人っぽく」


「うん!」


 僕が今振り絞れる勇気は手を繋ぐところまで。

 同じ高校生の中にはすでに経験済みの人もいて、その人達からすれば子供みたいな恋愛なんだと思う。


 それでも、僕の勇気に笑顔で応えてくれる彼女の存在が、今一番の幸せなんだ。

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