第16話 不倫の映画

 彼女との幸せな時間を噛み締めたのも束の間、映画館の前で現実に引き戻されていた。


「あたし、これが見たい」


 キラキラと純粋な子供のような目でお願いされては彼氏としては断れない。

 本当はめちゃくちゃ断りたいんだけど、彼女の真っ直ぐな気持ちを曲げられるほど自分が見たい映画もなかった。


「えっと、これだよね? 隣にある名探偵のやつじゃなくて」


「そっちも捨てがたい。捨てがたい……けど、あたしとてるくんならこれかなって」


「……まあ、里奈りなさんがそこまで推すなら」


 里奈りなさんが見たがっている映画はドロドロの不倫劇で話題になっているものだった。R-15指定もされているだけあってだいぶ過激なシーンもあるらしい。


 R-18じゃないし、僕らは二人とも16歳。年齢制限には引っ掛かっていない。この年齢なら堂々と見てもいいよと太鼓判を押されているも同然だ。


 それなのにチケットを買うのに妙な緊張感を抱くのは僕だけだろうか。

 里奈りなさんは映画が楽しみで仕方ないといった様子で満面の笑みを浮かべていた。


「不倫かあ。取られた方はどんな気持ちなんだろ」


「嬉しくはないんじゃないかな」


「だよねだよね。幸せな家庭が崩壊した時の喪失感、味わってみないと自分がどうなっちゃうかなんて想像できない」


「味わわないで済むならそれに越したことはないんだよ?」


「ダメだよ。あたしが体験できる挫折ってそれくらいだし。例えばわざとテストを全部白紙で出したり、バスケの試合で寝たとするじゃない?」


「うん」


「みんな、あたしに何かあったんじゃないかと心配して、追試なりなんなり手を差し伸べてくれると思うんだよね」


「ああ、うん。そうかも」


 勉強や部活でトップを取るのは大変だけど、意図的にビリになるのは簡単だ。

 でも、それが元トップで、明らかに手を抜いた結果だとしたら?


「勉強も部活も手を抜くつもりはない。たぶん高校の間はあたしが学年1位だと思う。大学じゃわかんないけど」


 笑顔でそう語る里奈りなさんは全然イヤミっぽくなく、学年トップのまま高校を卒業してほしいと思った。

 それと仁奈さんを応援するのは全然別の話だし、僕が里奈りなさんと並ぶ成績を目指すのだって諦めたわけじゃない。


「だから、決まった答えがない恋愛で挫折を味わってみたいのかも。仁奈にてるくんを取られたら、うーん……ちょっと悲しいかな」


「ちょっとなんだ」


「うん。残念ながら。だから、これからもっともっとお互いを知って、最愛の恋人になっていこうね」


「最終的に寝取られるのが目的じゃなければ最高に嬉しい言葉なんだけどなあ」


「いいじゃん。それがあたしとてるくんの関係なんだしさ」


 繋いだ手はそのままに里奈りなさんが体を近付ける。

 ブラジャーによってしっかりと支えられているはずのおっぱいもそのサイズに若干耐えきれておらず、体の動きに合わせてたゆんと波打った。


 右腕におっぱいが当たるか当たらないかが気になって、つい視線が里奈りなさんの胸元に行ってしまう。


 僕は体目的で付き合っているわけじゃないと言い張っても誰も信じてくれないだろう。

 仕方がない。これが男子高校生の悲しいさがなんだ。


「すみません。高校生2枚ください」


「あ、カップルです。カップル割でお願いします」


「かしこまりました。高校生2名様。カップル割ご利用ですね」


「ちょ、里奈りなさん」


「むしろこれでカップルじゃない方がおかしいって。お姉さんも気を遣わせちゃうよ?」


「まあ……そっか」


 向こうから『カップル割をご利用ですか?』なんてなかなか聞きずらいよな。

 空気を読まずに大胆な行動をするように見えて、実は周りをしっかり観察してフォローする。里奈りなさんが高嶺の花として崇拝される理由の一つを垣間見た。


「お待たせしました。3階の7番シアターです。どうぞごゆっくりご鑑賞ください」


「ありがとうございます」


 二人分のチケットを受ける時、お姉さんの口元がゆるでいることに気付いた。

 里奈りなさんと二人で歩いている時に殺意を向けられることはあっても、こうして微笑ましく見送ってもらえたのは初めてだ。


 きっとあのお姉さんには素敵な彼氏がいて、他人の恋愛を妬む気持ちなんてこれっぽちも生まれないんだろう。


 思い返せば、これまではシコ太郎から他人の恋愛事情を聞くと邪悪な感情が芽生えていたけど、たぶん今なら笑顔で聞き流せる。


 自分が幸せじゃないと他人の幸せを喜べない。

 大切なことを里奈りなさんと付き合って学んだかもしれない。


「どうしたのてるくん?」


「いや、幸せだなって」


「彼女の前でのろけるの~? かわいい」


「り……里奈りなさんの方が」


 可愛いよ。と言いたいのに喉仏のあたりで言葉が渋滞を起こした。

 こういう時にサラっと褒められないと本当に大事な時にも失敗しちゃうだろ。

 頑張れ僕の喉!


「かわいい?」


「う、うん」


「ありがと。今度はてるくんの口から聞かせてね?」


 お姫様のように煌びやかで王子様のようにカッコいい僕の彼女は、情けない童貞彼氏の意図を汲んでアシストを出してくれた。


 これが先輩ならともかく、同級生なんだから余計に自分が情けなくなる。


「あたしも初めての彼氏だからよくわかんないんだけどさ」


「うん」


「初めてがてるくんみたいなかわいい彼氏で、あたしは嬉しいよ」


「っ!?」


 僕をからかっているのか甘やかしているのかあるいは本心か。

 そんな風に真っすぐ言われてしまうとどんな意図であっても嬉しいと同時に、やっぱりかわいいよりもカッコいい彼氏になりたいと強く思った。


 里奈りなさんくらいの素敵な彼女なら、僕以外の男を選ぶことだってできるんだから。

 僕は彼女を寝取られるなんて絶対イヤだぞ!


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