第14話 ドンブラコ

 道行く人の視線が刺さりつつも、学校内とは違って知らない人ばかりなので一瞬一瞬を耐えればそこで終わりなのがせめてもの救いだった。


 里奈りなさんみたいな目を引く美人の近くに僕みたいな冴えない男が立つと、里奈りなさんよりてるいて、僕はよりくすんで見えるに違いない。


 それは仕方ないにしても、ただすれ違っただけの人に殺意に似た感情を向けられるのは心臓に悪かった。


「あー……僕は外で待ってるよ。うん」


「ノーブラのあたしをここに放り込む気? てるくんってばちょっとS?」


 耳元で妖しく微笑む里奈りなさんの方がよっぽどSだと思う。

 SかMかなんて一筋縄で決められないものだと実感した。


「本当に男が入っても平気なの? 通報されない?」


「あたしと一緒なら怪しまれないから大丈夫。それの、ほら」


 彼女が指差した先に一組のカップルが居た。

 大学生くらいで、はしゃぐ彼女とそれを呆れながらもちょっと楽しそうに見守る彼氏。


 本来は場違いであるはずの男性なのにここに存在するのが当然みたいな余裕を感じさせる。


 たぶん、お互いの裸を知っているからあんな余裕が生まれるんだ。下着くらいじゃもう動じないぜみたいな。


里奈りなさん」


「なあに?」


「僕らはまだ付き合って一週間も経ってないわけだし、さすがにあの雰囲気はレベルが高すぎる」


「大丈夫! てるくんならできるよ!」


 根拠のない自信を満面の笑みで突き付けられてしまうと、彼氏としてはそれに応えざるを得ない。


「絶対に離れないでね」


「もちろん」


 なぜか僕が乙女っぽいセリフを言ってしまった。


「……あたしだって恥ずかしいし」


 ボソッと漏れ出て里奈りなさんの本音に僕の中にいる乙女が吹き飛ばされた。

 そうだ。僕は里奈りなさんの貞操を守るために下着を買いに来たんだ。

 

「おおう……」


 色とりどりの下着が花のように咲いていて、エロさよりも美しさが勝っていた。

 美しさが勝っているだけでエロくないわけではない。

 

さすがに乳首の部分に穴が開いた下着は売ってないものの、なかなかに布面積が少なくて防御力が低そうな商品も並んでいた。

 僕の決意は入店した瞬間に崩れ去った。

 

「あたしのサイズはあっちかな」


 背中に隠れる彼女が指差す方に向かうと、明らかに他と一線を画す大きさの下着が並んでいた。

 つまり、里奈りなさんのおっぱいはこの大きさではないと収まらないというわけだ。


 思わずごくりと唾を飲んで、背中に当たる感触と目から入るサイズ感を脳内で統合して想像を補完した。


てるくん、あたしのおっぱい想像しちゃった?」


「し、してないよ?」


 自分でも驚くくらい声が裏返っていて誰が聞いてもウソだとバレバレだ。

 今もなお背中に密着している物体のことを考えないなんて無理に決まっている。


「どれにしようかな~。じゃなかった。てるくん選んで選んで」


「そんなこと言われてもな」


 フリルが付いていたり本当に乳首を隠せるのか心配になるデザインのものがあったり、とにかく初めてで目移りしてしまう。


 色もパステルカラーからシックな黒まで様々で、どちらの方向性でも里奈りなさんに似合いそうだから余計に迷う。


「初めての下着選びはどう?」


「全然わかんない。やっぱり里奈りなさんが自分で……って、え゛え゛!?」


「しーっ。店員さんがこっち見てる」


「見られてなくてもダメでしょ」


 右手を掴まれるとそのままおっぱいへといざなわれた。

 力強く拒否すればこんな状態にはならないのに、おっぱいを触れるチャンスに心が負けてしまった結果がこれだ。


「あたしだって、ドキドキしてるんだよ?」


「う、うん」


 たぶん僕の方が里奈りなさんよりもドキドキしてるからね!

 第三者が見たら絶対に僕が悪者扱いされるに決まってるんだから。


「このおっぱいを他の人に見られてもいいの?」


 里奈りなさんのおっぱいは里奈りなさんのもので僕の所有物ではない。

 でも、彼氏としては独占したいという気持ちがないわけじゃない。


 その立派なお胸からは母性が溢れる。しかし里奈りなさんが人を惹きつける理由はそれだけではない。


 バスケ部で活躍する時に揺れるおっぱい……だけでなく、単純にプレイスタイルがカッコいい。

 初めはみんな、ばいんばいんと上下左右に動くおっぱいに目が行くけど、だんだんとその攻め攻めなバスケに魅了される。


 もし何か特殊な道具で性転換しても里奈りなさんはイケメンとして高嶺の花になると思う。

初めての下着屋でおどおどキョロキョロしてしまう僕にとって里奈りなさんは最高に頼れる存在だ。


そんな里奈りなさんがしおらしく僕に質問を投げかけてきた。


 僕にだけが知っている彼女の弱い一面を見せられて逃げるほど情けなくない。


「これなんてどうかな」


 パッと視界に入った黒いレースの下着を指差す。

 ちょっと背伸びし過ぎなくらいのセクシーさが里奈りなさんに似合うと思った。


 オトナな下着と子供っぽい弱さ。

 そのギャップが彼女の魅力をより一層引き立てるはずだ。


「……意外と大胆」


「ダメだった?」


「ううん。嬉しい。あとはサイズだけだね。試着しよう」


「行ってらっしゃい」


「え? てるくんも一緒だよ? それとも、あたしが試着室に入ってる間、一人でお店の空気に耐える自信があるのかな?」


「…………」


 このカラフルな女性の聖域に童貞がポツンと一人。

 明らかに場違いだし、あまりいい気分のする存在ではいないと秒でわかる。


「じゃあ試着室の前で待ってるよ」


「盗撮の疑いを掛けられない自信はある?」


「うっ……」


 世の中は非モテに厳しい。こういう場所では特に。

 里奈りなさんが弁護してくれたとしても、男子高校生がこういうお店にいることが学校や親に知られるのは嬉しくない。


「だからって一緒に試着室に入るのも問題では?」


「それはそうだけど、あたしさえ黙ってれば安心なんだよ?」


「そう……なのか」


 彼女の言うことが正しい気もするし、間違った方向に進んでいる気もする。

 どの選択肢が正解なのか自分でわからなくなっていた。


「あたしを信じるか、他のお客さんや店員さんを信じるか、だよ」


 その二択はズルい。彼女を信じるしかないんだもの。


「わかった。里奈りなさん、試着以外の変なことはしないように」


「しないよ。試着室に彼氏を連れ込んだってバレたらあたしだって怒られるし」


「怒られてもうまくかわすのが里奈りなさんじゃないか」


「あたしってそんな不良のイメージ?」


「逆かな。優等生をうまく活用してるって感じ」


「えへへ。褒められちゃった」


 これは褒めたうちに入るのか? まあ、彼女が喜んでるならいいか。

 彼女が嬉しいなら僕も嬉しい。恋人っていうのはきっとそういうものだ。


「さ、入ろ入ろ」


 幸いにも試着室の周りには僕らしかいない。

 念のため周囲をもう一度確認してカーテンを開けると二人で入るには少し手狭な個室があった。


 不完全なプライベート空間。しかも店内には人もいる。

 そんな場所に二人きり、しかも相手はこれからブラを試着する。


 頑張れ僕の理性! ここで問題を起こしたら素敵な彼氏どころか少年Aになってしまう。

 自然と大きくなる股間に向けて意識的に脳から命令を送っても、その効果は全く現れなかった。

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