第10話 誰も知らないこと

「「「「ありがとうございました!!!」」」」


 声と姿勢を揃えて一斉に礼をする。

 今日の稽古が終わったと実感できる最高の瞬間だ。


 結局、僕と仁奈になさんが保健室に行っている間に通常のかかり稽古が行われて、復活した僕はそれに混ざる形になった。


 ただし、部長をはじめみんな殺気立っていたのは言うまでもない。

 いつもより強い打ち込みに成す術なくボコボコにされた。


「あ~~~疲れた」


「ひひひ。モテる男は辛いねえ」


「シコ太郎まだいたのか」


「いやあ今日の剣道部は気合が入っててよかったよ。人間の力を引き出すのは怒りなんだね」


「怒りの力は最後には負けるけどな」


「フィクションの世界では、な。ここはリアル。最高のおっぱいを手に入れた純浦すみうらに対する怒りが剣道部を強くした」


「そのまんま新聞の記事にはしないだろうな?」


「校内新聞でおっぱいなんて書いたら呼び出しくらうわ。俺はその辺のさじ加減はわかってるつもりだぜ」


 犯罪まがいの撮影を繰り返しながらも写真部のエースであり新聞部からも頼りにされているのは先生からの信頼が厚いからだ。


 里奈りなさんと同じで先生に取り入るのがうまい。頭の中はゲスゲスなくせに。


「で、純浦すみうらよ」


「うん?」


「お前が保健室から戻るのが遅いのはわかる。さすがにあれは結構な事故だったから。さすがの俺も肝を冷やした」


「ああ、心配してくれてありがとな」


「んなことはどうでもいい。なんで双海妹も戻るのが遅かったんだ? ヤッたのか? 保健室でヤッたのか?」


「ヤッてねーよ!」


 まだ体育館に残っている剣道部員とバスケ部員の視線が一斉に僕に向けられた。

 たしかにちょっと大きな声を出してしまったけど、そんなに僕の動向に注目しなくてもいいじゃないか。


「行動が大胆な姉ならともかく、わりと奥手な感じの妹と純浦すみうらじゃそんな大それたことはしねーか」


「保健室でヤるなんてそれこそフィクションだろ」


「事実は小説よりも奇なりとも言うぜ? 姉と付き合い始めた翌日に妹との浮気エッチをスクープできれ俺の名は伝説になれるのになあ。今からでも遅くないからヤらないか?


 左手の親指と人差し指で輪を作り、そこに右手の人差し指を出し入れする最低のジェスチャーをしながらシコ太郎はゲス笑いを浮かべた。


「まったく、今まではお前の話をおもしろおかしく聞いてたけど当事者になるとたまったもんじゃねえな」


「ひひひ。ようやく理解したか俺の恐ろしさを」


「女子から敬遠される理由を実感したよ」


 この手の恋愛話のあれこれは女子の大好物だと思う。

 それなのにシコ太郎が敬遠されるのはシモに全振りしているからだ。

 まあ僕もその下ネタが大好きだから強くは批判できないんだけどさ。


「それは褒め言葉として受け取っとくわ。さてさて、彼氏にボールを当ててしまった彼女はどう動くかねえ」


 そう言えば里奈りなさんの姿が見当たらない。

 僕が倒れたショックで早退するようなメンタルの持ち主ではないだろうし、むしろこういうトラブルこそ彼女が好みそうな展開だ。


 嵐の前の静けさ。あれだけグイグイ来た里奈りなさんが何もしてこないのは逆に恐い。


 恐怖に震える僕に興味はないのかシコ太郎は満足気な顔で体育館から去っていった。


「僕も帰るか」


 里奈りなさんが今どうしているのかは気になる。

 ただ、クラスも部活も違うのでLINEを知らないのだ。

 いろいろな過程をすっ飛ばしたカップルだから仕方がない。


純浦すみうらくん」


仁奈になさん。さっきはありがとね」


「ううん。お姉ちゃんがしでかしたことだから」


「あー、そのお姉さんのことなんだけどさ」


「校門の前で待ってるって。まさか付き合ってるのにLINE交換してないなんて思わなかった」


「ごめん。連絡係にしちゃって」


「二人のお邪魔したら悪いからわたしはこれで。また明日」


「うん。また明日」


 保健室での出来事がウソだったみたいに素っ気ない態度で連絡事項だけを伝えてくれた。

 人前で仲良くしてると変な噂が立ちそうだからありがたいと言えばありがたい。でも、同時に寂しくもある。


 彼女がいる男子でも女友達がいる。クラスも部活も同じなんだから友達として付き合いがあってもいいじゃないか。


「あれ? 仁奈になさんどうしたの」


 そそくさと帰ったはずの仁奈になさんが駆け足で戻ってきた。

 忘れ物かな? 


純浦すみうらくん。まずはわたしとLINE交換しよう」


「えっと、いい、けど」


 心の中でガッツポーズを決めて、それを顔に出さないよう必死に表情筋を硬直させる。

 クラスや剣道部のグループでどんなアイコンかは知っているけど、個人的なIDの交換はしていない。


 と、いうか仁奈になさんはどの男子とも個人的なIDの交換はしていないという噂だ。

 真っ先に告白した綾瀬くんですら交換してないんだからきっと本当なんだろう。

 

 みんなLINEを交換しない状態で告白して撃沈している。


 裏を返せば、みんな直接告白するか古のラブレターで想いを伝えるしかない。

 そのハードルを乗り越えて多くの男子が告白しているのだから仁奈になさんの人気が恐ろしい。


「そのあとにお姉ちゃんのIDを送るから連絡してあげて」


「なんかごめん」


純浦すみうらくんが謝ることじゃないよ。まったく。ボールを当てちゃって気まずいからって」


 里奈りなさんが気まずい、か。それはたぶんウソだ。

 むしろこの状況を利用して僕と仁奈になさんにLINEの交換をさせている。


 もともとはカッコよくボールを投げ返す作戦だったのが何ひとつ作戦通りにいかず、それなのに仁奈になさんとの距離が僕視点では縮まっている。


 里奈りなさんは自分の思い通りに世界を動かす能力でも持ってるんじゃないかと疑うレベルだ。


「お姉ちゃんで困ったことがあったら遠慮なく言ってね」


「ありがとう。助かるよ」


「わたしも、男子のことで相談できたら嬉しいし」


「あ、はい」


 男子のことって好きな男のことでしょうか?

 ちょっとほっぺも赤くなってるし。


 つまり彼女持ち、しかもその彼女が自分のお姉さんだから安心して恋愛相談できると思ってらっしゃる?


 うん。姉から彼氏を寝取るよりもはるかにまともな考えだ!


「で、これがお姉ちゃんのID。校門で待ってるって言ったけど、たぶん移動してるよ。純浦すみうらくん、LINEで聞いてみね。それじゃ、今度こそわたしは本当に」


 ばいばいと小さく手を振りながら去っていく。

 その背中に一切の未練はなく、役目を終えてスッキリしたという印象さえ受ける。


「恋愛相談しているうちに好きになるってパターンもあるよな」


 いくら姉への対抗心があるとは言っても、あの仁奈になさんが僕を寝取るという発想に至るとは到底思えないけど……。


 昨日までの自分よりかは確実に仁奈になさんとの距離は縮まっている。

 ただ、仁奈になさんが僕に恋愛感情を抱く可能性はどんどん薄まっていくのも同時に感じていた。

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