藤宮先生

 簡単に話をまとめよう。


 俺の許婚が、担任の先生だった。


 以上だ。


 どうして許婚の相手が先生だと知らなかったのかと不思議に思うかもしれないが、それに関しては言い訳させてほしい。


 許婚に関する情報を、事前にもらっていなかったのだ。


 直接会った時に色々聞け、と親父に言われていたし、変な先入観は持ちたくなかった。


 だから、藤宮先生の登場は完全に予想外だった。


 もはや、許婚がどうこうどころではないのだが。


 俺の親父も、先生のお父さんも、「なんだお前ら先生と生徒だったのか」「こりゃ運命感じますね、わははは」とまるで気にしていなかった。


 それどころか、「お互い知ってるなら都合がいい、邪魔者たちは退散しようか」「そうですね」と阿吽の呼吸でこの場から立ち去る始末。倫理観をどこかに捨ててきたらしい。


 そんなわけで、高級レストランで二人きりになった俺と先生は、しばらくの間無言だった。


 何を言い出せばいいか分からない。‥‥‥でもこのまま沈黙を続ける訳にはいかないよな。


 よしっ、ここは男として、俺から話を切り出──


「一ノ宮くん、私が許婚の相手だって知らなかったの?」


 ──そうとしたところで、藤宮先生が控えめに尋ねてきた。


 俺はピシッと居住まいを正して。


「は、はい知りませんでした。だから、ちょっとまだ頭が混乱してて‥‥‥そういう先生は知ってたんですか? 許婚が俺だってこと」


 俺はいまだに頭の整理が追いついてないが、藤宮先生の方は割と落ち着いている。


 緊張はしている様だが、許婚相手が俺だってことに驚く素振りは見せていない。


「うん、知ってたよ。というか君があんなこと言うから引き受けたんだけどな‥‥‥。むしろ、一ノ宮くんが知らなかったことがビックリだよ」


 藤宮先生は、チラッと俺の目を見る。


「あんなこと?」


「え、覚えてないの⁉︎ 一学期の終業式の日のことだよ。職員室でいきなりプロポーズしてきたじゃん!」


 藤宮先生は勢いよく立ち上がると、高級レストランにそぐわない声量をあげる。


 近くの客から注目を集めていることに気づくと、ぺこりと頭を下げしずしずと椅子に座り直していた。


 一学期の終業式‥‥‥。そういわれて、俺の脳裏に鮮明な記憶が蘇る。急速に体温が上がる感覚を覚えた。


 あの日、俺はなぜか勢い余って藤宮先生に結婚を提案した。すぐに自分の失言に気がつき、発言自体を有耶無耶にしたが。


 ダメだ、今思い返しても恥ずかしい。


「あ、あれは、なんかつい口から溢れたというかなんというか、そんなプロポーズみたいな大それたもんじゃなくて」


「そうだったの⁉︎ てっきり、許婚としてこれからよろしくお願いします的な意味だと思ったんだけど!」


 なるほど。そういうことか。


 半ば勢いに任せていたとはいえ俺がプロポーズしたことで、抵抗感が薄れ許婚を引き受けることにしたのか。


「すみません」


 俺は誤解を招いてしまったことを謝罪する。


 すると藤宮先生は、ムッと唇を尖らせてきた。



「‥‥‥返して」



「え?」


「不覚にも、あの時ドキッとした私の気持ち返して! もう勝手に喜んだ私馬鹿みたいじゃん。あー、もう、すっごい恥ずかしい!」


 藤宮先生はリンゴのように顔を赤くして、テーブルに顔を俯かせる。


 俺は俺で、先生のことを直視できなくなり、熱くなった顔を隠すように視線を逸らした。


「喜んでくれてたんですか」


「そ、それはまぁ‥‥‥。お父さん結婚しろってうるさいし。貰ってくれるなら、一ノ宮くんみたいな人がいいなって思ってたから」


 藤宮先生は、顔を伏せた状態でチラッとだけ俺に視線を向けると、再度顔を赤くする。


 俺はいよいよ目を合わせられなくなった。


 だが、ここはキチンと言っておくべきだろう。


 俺は照れくさい気持ちを抑え込み、藤宮先生を真剣に見つめる。


「先生‥‥‥好きです」


「え、い、いいよ気を遣わなくて。私が勝手に勘違いしてただけだし、許婚の件は私の方から白紙に戻してもらうから安心してよ、あはは」


「気を遣ってなんかないです。俺、ホントに先生のことが好きなんです。‥‥‥先生が許婚だって知ったときビックリしましたけど、それ以上に嬉しくて──だから、先生さえよければ、このまま許婚続けてくれませんか」


 藤宮先生は、クリッとした大きな目を更に見開く。


「で、でも私歳上だよ? ホントにいいの? もっと若い子の方が──」


「歳なんて関係ないです」


 藤宮先生は、どこに視線を合わせていいのか分からないのかキョロキョロと視線を泳がす。


「一ノ宮くんが私で良いなら、その、‥‥‥不束者ですがこれからよろしくお願いします」


「は、はい。こちらこそお願いします。先生」


 俺は反射的に拳を握りガッツポーズを決める。


 なんだこれ夢か? いや、さっきから太ももをつねってるが、この痛覚は本物だ。つまり、夢じゃない。


 親父ありがとう。いきなり許婚なんて言い出した時は、どうしようかと思ったけど、ありがとう。ホントありがとう。


 俺が緩みそうになる頬を堪えていると。


「先生はもうなしだよ。許婚なんだし」


 と、藤宮先生が指摘してくる。


「じゃあ、‥‥‥琴弓さん」


「け、結構照れるね。やっぱり先生のままでいいかな‥‥‥」


「自分で言い出して怖気付かないで下さい」


「ごめん、そうだよね」


「次は琴弓さんの番ですよ」


「え、私も?」


「当たり前です。なんで俺だけ名字で呼ばれるんですか」


「うっ、えと‥‥‥」


「あ、俺の名前は──」


「大丈夫。ちゃんとわかってるから‥‥‥ゆ、裕太くん」


 俺の心臓が早鐘を打つ。


 好きな人に名前で呼んでもらえるとか、最高かよ許婚。


 とはいえ、気恥ずかしさが尋常じゃないので、俺は体温が上がって死ぬ前に話を逸らす。


「‥‥‥それで、どうしましょうこれから」


「どうって、許婚なんだし一蓮托生してくしか」


「それはそうなんですけど、‥‥‥学校が」


「‥‥‥あ、うっ‥‥‥ 」


 俺たちは許婚である以前に、生徒と教師なのだ。


 それはつまり、学校に行けば必然的に顔を合わせることになる。


「取り敢えず、色々と決め事しときませんか。じゃないと、学校生活がままならないと思うんで」


「うん、わかった。もし、何かの拍子で私たちの関係バレたらヤバいもんね」


 俺は神妙な面持ちで首を縦に下ろす。


 かくして、許婚として出会った一日目の今日、俺たちは学校内におけるルールを制定していた。

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