第4話


 夜から雨が降り出した。

 冷たい大きな雨粒が慎吾を打ちつける。

「開けろっ。誰もいないのかっ」

 土砂降りの雨を気にする様子もなく、慎吾は再び訪れた奇妙な店の扉を強く叩いた。

 あの日とは違い、建物に明かりが灯っていなければ、看板も出ていない。扉には鍵がかけられ、まるで何年も放置されたような静かさを纏う店の前に立っていた。



 時は遡り、数時間前。

 自身の受賞作品、『走馬灯夢列車』を手に取り、ページを捲った。

 最後まで読み切ったところで気付く。

「これは俺の書いたものじゃない」

 内容や構成は慎吾が練ったものと相違なかったのだが、文章自体は全くの別人が書いたものだと感じた。

 安藤の言う通り、慎吾の書いた小説よりも遥かに優れた文体。

 繊細に描かれた情景と、冒頭から読者を引き込む無駄のない構成。思わず感情移入してしまうセリフの数々。

 それらは慎吾が新人賞で落選してきた中で、何度も指摘されたことのある課題だった。

 そしてこの作品を書いた暗ヶ崎シンゴは、それらの課題を克服し、大賞という肩書きに相応しいものを創り上げていた。

「なんだよ、これ。くそっ」

 慎吾は勢いよく家を飛び出し、記憶を頼りに走った。


 途中で雨が降り出したが、気にもせず、慎吾はあの奇妙な店、リアルドリームに辿り着いたのだった。


「なんで出てこないんだよっ。九条博兎、聞きたいことがあるっ。早く出てこいっ」

 怒鳴り散らす慎吾に対して、店は沈黙を続ける。

 扉を叩くのをやめ、もたれ掛かるようにして地面に膝を突いた。

「どうなってるんだよ。俺が求めていたのは、こんな世界だったのか」

 夢が叶った後の世界ですら認めてもらえない。

 自分のものではない作品で認められた屈辱と悔しさ。

 頬を伝っていく水滴が雨なのか、慎吾には分からなかった。


「おい。いつまでそこに居んだよ?風邪引いても知らねーぞ」

 俯く慎吾の背後から声がした。

 聞き覚えのある若い男の声。振り返った先に立っていたのは、この店に入った時の不良のような青年だった。

「いつまでそうしてるつもりか知らねぇが、どれだけ待ってもここは開かねーよ」

 ビニール傘を片手にタバコを咥え、ライターで火を付ける。

 副流煙が慎吾の方に流れる。

「君はあの時の。ここが開かないってどういうことだ?」

「あ?言葉の通りだよ。その様子じゃ、テメェも大金を払って望みを叶えてもらったんだろ?多いんだよなぁ。そうやって金で得た立場に見合わず文句を言いに来る輩が」

「お前は何を知っているんだ?ここは何なんだ」

「それはテメェが一番分かってるんだろ?ここは金で名声が買える店。ただそれだけだ」

 青年は呆れたような、可哀そうな者を見る目で慎吾を見下ろす。

 対して慎吾は怒りを込めた瞳で睨む。

「何も知らないくせに。俺がどれだけ悩んで諦めて、それでも諦めきれなくて、ここに縋ったのか。何も知らないくせに、そんな目で見るなっ」

 怒りに身を任せて立ち上がると、慎吾は両手で青年の胸ぐらを掴んだ。

「いきなり出てきて、分かったような口を聞くな。金で夢を叶えるって言うから縋ったんだ。けど、俺が求めていたのは、こんな世界じゃないっ」

 青年は掴まれたまま、腕を振り解こうともせず、冷めた口調で、


「言い訳すんなよ。テメェに力がないだけだろうが」


 慎吾の手が緩む。

 まるで雷に撃たれたかのように青年の言葉が響いた。

「あの日、一目見た瞬間に気付いたよ。テメェは自分の無力さを棚に上げて、言い訳ばっかして逃げてきた。そーゆー奴だってな」

「違うっ」

 否定した。

 グッと青年の胸ぐらを掴む力を強める。

「何が違うんだよ。薄々気付いてるんだろ?ここはテメェが逃げずに努力した世界だ。足りないものを自覚し、面倒なことに向き合った先の世界だ。そりゃ、金で名声を買ったところで、逃げてばっかだったテメェが釣り合うわけねぇだろ」

「……違う」


 心から否定はできなかった。


 これまで慎吾は面倒なことから逃げて生きてきた。

 自分の書いた小説に対するアドバイスや、落選した作品に対する総評。それらに対し、聞く耳を持たずに物語を綴ってきた。


 けれどこの世界の暗ヶ崎シンゴは違った。


 己の弱さを自覚し、それを克服するために努力してきたのだ。

 それはあの小説を読み終えた瞬間に理解した。

だが、認められなかった。認めたくはなかった。


「いい加減、現実見ろよ」


 もう青年の胸ぐらを掴んでいられるほどの気力は残っていなかった。

 だらんと腕の力が抜け、立っていることすら危うい。

「俺だって頑張ったさ。けど、死に物狂いで書いた物語が誰にも評価されずに消えていって、それが何度も繰り返されて、嫌になって言い訳くらいしたっていいだろ」

 うわ言のように漏らす慎吾の言葉に、青年の表情が曇る。

 青年は怒りの色を目に浮かべ傘を投げ捨てると、拳を強く握り、慎吾の顔面を全力で殴った。


「勝手なことを言ってんじゃねぇ」


「うっ……」

 勢いよく店の扉に身体を打ち付ける慎吾。

 そのまま扉を背に、地面に倒れる。けれど今度は青年が慎吾の胸ぐらを掴んで引き起こす。

「誰にも評価されずにだ?足りねぇ頭使って思い出してみろ。テメェは何のために作家を志したんだ、暗ヶ崎シンゴ」

 ふと、脳裏にかつての記憶が過ぎる。

 あれは慎吾が小説を書き始めてすぐの事。ネットの投稿サイトで自身の作品を載せていた。

 今にして思えば、あの頃は余計なプレッシャーも感じることなくただ楽しく創作をしていた気がする。

 そしてまだ拙い文章だったが、確か一人、更新するたびに読んでくれる読者がいた。


『実は最近、嫌な事があったんですけど、暗ヶ崎先生の物語を読んだら楽しい気持ちになれて、前を向けました。僕も先生みたいになりたいです』


 当時、先生と呼ばれて少し調子に乗ってしまい、

『そっか、ありがとう。君が投稿したら読んでアドバイスとかするよ』

 と、返した記憶。


 それから彼は投稿を始め、慎吾も先輩風を吹かせながらアドバイスをした。けれど彼はあっという間に成長し、慎吾すらも越えて行ってしまった。

 彼のペンネーム。それは最近目にしたものだった。

「お前が、雨宮……翡翠」

 先日コンビニで目にした小説家の名を口にすると、青年は優しげな笑みを見せる。

 掴んでいた腕を解き、拳を握って慎吾の胸に当てる。


「いい加減、ダセェとこばっか見せんな。さっさと追い付いてこいよ、先輩」


 忘れていた。

 かつて、自分の作品で前を向いてくれた少年がいたこと。

 もっとたくさんの人々を笑顔にしたいと、強く思って小説家を志したということ。


 いつの間にか忘れてしまった想いが再び燃え上がる。


 慎吾は黙ったまま青年の横を通り過ぎ、帰路に着く。


 もう雨は止んでいた。

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