3. 覆われた鏡台

 実は、また鏡の話なんだ。なんで鏡って怖い話と結び付けられるのかな? もし誰か知ってたら、教えてくれると嬉しいな。


 僕の話は、祖母の家にある鏡台のこと。

 最寄りの駅まで車じゃなきゃいけないような田舎にある、昔話みたいな日本家屋を想像してみて。平屋で、縁側があって、庭が広いような。

 玄関を入ってすぐ左に折れると、かなり長い廊下があるんだ。そこを三十メートルくらい歩いて、途中で右に曲がる。東から西に向かって、北に行く感じだね。当然日当たりは悪くなって、ほんのり肌寒くなっていく。山奥だから、夏でもひんやりしてるんだよね。

 そのまま少し進んでもらうと、どん詰まりに一部屋。窓がない、窮屈な部屋だよ。北の端にあるから窓を作ることはできるのに、なぜかないんだ。入るも出るも一か所しかできないのも、窮屈な印象を受ける原因かな。

 隣にそれぞれ部屋があるから、襖を付けることもできたんだけどね。ああ、他の部屋はみんな襖で繋がっているよ。だから暖房効率が悪くて、冬はすごい寒いんだよ。凍えそうなくらい。


 ……ああ、それはいいんだ。問題はその部屋にあるもの。窓も何もない部屋に、ぽつんと鏡台だけが置かれているんだ。床に座って使う、昔のタイプだよ。

 そしてその鏡台には、麻の葉文様の鉄色の布がかかってる。青みがかった深い緑色だね。そしてそれは、あげられることがない。


 まあ、そうだよね。窓がないし、電気も通っていない部屋だもの。たとえ真昼でも、お化粧なんてできないから。

 そんなところに置いていて、布をあげてはならない理由って、やっぱり気になるでしょ。だから祖母に聞いてみたんだけど、いい顔されなかった。けど、放っておくと勝手に首突っ込むから、「絶対に試すんじゃないよ」ってよくよく言い含められて、理由を教えてもらったんだ。


 え? 首突っ込みそうに見えない? あはは、よく言われるよ。


 それで、理由だけど。閉じ込めてるんだって、女を。

 ……まあ、僕も見たことないんだけどね。だって不気味でしょ。そもそも近づかなかったもの。


 そもそもなんで鏡台が家にあるか、は祖母も知らないって言ってた。生まれる前からずっとあるらしいけど。

 布をあげてはならないってこと、捨ててもならないってことは、引き継がれているみたい。両親もそれだけは絶対だって言ってたし。


 なんで閉じ込められているかとか、その他もろもろは祖母も知らなかったから、これからはただの想像になるよ。それでもいいかな。

 ……分かった、ありがとう。


 あの家、古くからあるから、変なものが溜まりやすいみたいなんだ。そういう道の上にある、とも言っていたね。そして、家の中でもとびきりあの部屋の場所がよくない。道のど真ん中みたいで。だから、ほとんどは廊下になってる。

 けどなんでかあそこだけ部屋になってた。だから余計に溜まってしまってみたい。勝手口みたいにしてもよかったんだろうけどね。そうしなかった理由は、さすがに思い浮かばなかったや。


 ああ、えっと、これは前提の話で。なんで女がそこにいるのか、っていうことはこれから話すよ。ただの推測だけど。


 あれは最初、ただの迷子だった。けど運悪く道を外れて、家の中をさまようようになってしまった。恨まれる理由がなくとも、幽霊が徘徊するなんて、気味悪いでしょ? だから、うちの家族は女を追い出そうとした。

 けど、単純に家から女を出すことは難しかった。いくら試みても、家の中からは出られない。そう女が思ってしまっていたのかも。けど出たいから、家の中を徘徊し続ける。思い込みって、思念しかないモノには絶対らしいんだ。

 ただ、道に戻すことはできた。もともと通りやすいところだから、その間だけを移動するようになった。笹薮の中に道があったら、そこを通るでしょ? そんなイメージ。

 うちの家族はそれじゃ満足しなかったみたい。さらにもう一歩を踏み出そうとした。その方法が、鏡だったってこと。自分が映りはするものの、廊下の延長線上に見えるから。そこに誘導して、布をかけて閉ざすという方法を取った。

 鏡の中に入ったら、もうその先はないでしょ。振り返ってみても、布がかかっていたら道は見えない。出られないと思う。


 ……そんな経緯だったんじゃないかなって、思うんだ。

 え? 全くの推測かって?

 うーん、半分は推測。もう半分は一応根拠に基づいてるよ。


 母が嫁入りしたてのとき、たいそうあの鏡を気味悪がって、神社の人とか呼んだらしいんだ。お寺だったかな? ……まあ、そこはいいか。

 道になっているということ、その影響を受けて溜まりやすくなっていること。この二つはみんな口を揃えて言っていたらしいんだ。今言ってて思ったけど、道があるのに溜まりやすいの、なんか変だよねえ。行き止まりにでもなってるのかな?


 他に明らかなのは、女がいること、女が家に執着を示していないこと。執着していないみたいだったから、ただの迷子なんだろうなって推測したんだ。


 ……なんで執着してないって分かったか? もう少し長くなるけど、いいかな。


 うちの家、かなり古いんだけど。なんか珍しいらしくて、ときどき建築系の人とか、歴史系の人とか、来るんだ。そういう人たちの間で有名みたい。

 田舎だからさ、お客さんにはあんまり抵抗なくて。家を汚したり何かを壊したりしない、お行儀のいい人なら、家の中の観覧も、なんなら宿泊だって受けてるんだよ。防犯的にはどうかと思ってるんだけど。


 あの人は確か、建築系の人だったかな。家自体にもかなり興味を示していたけど、不自然なあの部屋に特別関心をひかれたみたいだった。何度も色々聞かれて、祖母はちょっと困っていたよ。

 ……ああ、御薗くん。ご明察だ。そう、その人があげちゃったんだよね、布。何言っているかよく分からなかったけど、それだけは察することができた。


 彼はうわごとのように「女が」って言ってたから、ああ、いたのはやっぱり女だったんだ、って分かった。そして、彼の様子がおかしかったから、彼に取りついたんだ、関係のない人にとりつくくらいだから家には興味がないんだろうって、推測した。

 きっと布があがって、道が開けて、ちょうどいいところにタクシーが来たって感覚だったんじゃないかな。いつまでそれに乗っているかは分からないけど。


 ……ちなみに、余談なんだけど。怖い話ってさ、聞くと影響されるって言うでしょ? これは特別その性質が強いみたいでね。

 話した人から、日付が変わるころに外を歩いていたら、知らない女に執拗に追いかけられたってクレームが、七十パーセントの確率で来てるんだ。もしかしたらタクシーを乗り継ごうかと思ってるのかもね。



「以上だよ。ご清聴いただき、ありがとうございました」

 いつも通りの笑顔で大垣は締めくくった。笑顔で終える内容じゃない。

 朝日の手元からスマホを拝借して蝋燭を消しながら、「最後の話、本当?」と問いかける。

「影響されるってこと? 本当だよ。みんな怖い話するくらいだし、このくらいスパイスが効いてたほうがいいかなって思って」

「あのな、大垣。俺らは安全圏から楽しみたいだけなんだよ」

「ええ? わがままだなあ」

 今まで大人しくていい人だとばかり思っていたけれど、実は一筋縄ではいかなかったらしい。違うクラスとはいえ一年半同じゼミで過ごしていたから、多少は知った気になっていたのだけど。全くだったみたいだ。

 二の句が継げないでいると、幡ヶ谷が白い顔で「おれ、そろそろ帰るね……」と手を挙げた。

「あれ、おうち遠いんだっけ?」

「明日競りに行くから」

「本当かぁ?」

「帰らなくていいやつはお気楽だな」

「怖い話したところに留まることにはなるけどね」

 煽りに行った境を御薗と丸め込んで、「ならしょうがないね」と幡ヶ谷の提案に頷く。気持ちは分かるし、競りだってたぶん本当だ。

「御薗も帰る?」

「だな。一限あるし」

「なんで土曜一限なんて入れてんだよ」

「面白そうだったから。篠山も出てるぞ」

「自主休講しようかと」

「小テストあるって言ってたろ」

「あー、忘れてた……」

 わざわざ土曜一限に入れるくらいだ。面白いのだろう。後期覗きに行ってみようかな。起きられなさそうだけど。

「篠山も帰んのかよ」

「帰る。ついでに朝日も回収してく」

 ということは、と大垣を見やると、「僕も早めに帰らなきゃいけないからなあ」とすでに帰り支度を始めていた。

「……まだ三話しか話せてないけど。今日はただ飲みに集まっただけ?」

 本来の趣旨はそこじゃなかったか。そんな意味を込めて問いかけると、「三話で二時間かかってんだ、気楽にやろうぜ」と返された。終わるころには冬になっていそうだ。

 ただ集まる口実に変なノリが発生しただけなのか。少し残念に思いながらも、帰り支度を始めた人たちをわざわざ引き留める理由は思い浮かばなくて、「次回は片づけてから帰るんだよ。それと、テスト期間終了まではもう飲み会禁止」と言うにとどめた。

「分かった分かった」

「終わったら続きやるか」

「じゃあ、後は頼んだ」

「またねえ」

 あれだけだらだらと飲んでいたにもかかわらず、撤退は素早い。しょうがないなあ、という態度を取ってからものの十分程度で、部屋には境と私だけになった。


 私だって帰ってもいいのだろうけれど、後片付けを家主一人に押し付けるのはさすがに気が引けた。キッチンに戻ってスポンジを手に取る。

「映画でも観るか?」

 テレビ台の下を漁りながら境が言う。そんなことしてないで手伝ってほしい。

「観ない。十二時前には帰るし」

「そんな急がなくていいだろ」

「タクシー捕まえづらくなるから。……ていうか、何? 怖いの?」

 あった眼はすぐに逸らされた。口元はひきつっている。

「言い出した人が怖がってちゃ世話ないわ。別のイベントにすればよかったでしょ」

 それこそ映画鑑賞でもよかったはずだ。ただの集まる口実づくりなのだから、わざわざ時間がかかるものを選ぶ必要はない。怖い話、苦手みたいだし。

「いや、言い出したのはオレじゃない」

 泡を流す手が止まる。ちょっと意外だ。こういう突発的な飲み会やイベントは、たいてい境が発案者だから。

「へえ。じゃあ明日香? それとも今日の語りがすごかった大垣?」

「いや、違うと思う」

「思うって」

 テスト前で研究室に集まっているときに、限界になった誰かが言い出したのだろうと思っていた。さすがに同期の名前や声が分からないとは言わないだろうから、他ゼミの人でも混じっていたのかもしれない。

「男の声ってことは分かるけど、ゼミの誰でもないように聞こえた」

「へえ」

 呼ばれたとか、そういうことなのかも。

 頭に一瞬よぎった考えは、泡と共に流し去る。怖がらせようとしてるか、単なる聞き間違いだろう。

「そんなことないだろうけどな」

「もしかしたら幽霊かもよ」

「思っても言うなよ……」

 映画を諦めたらしい境が机の上を片付け始める。ばさばさとゴミ袋に入れられる総菜パックに、プラごみ……と気にならないでもないけれど、人の家だしいいかと思い直す。私が口を出すことじゃない。

 手元の食器をすすぐのに意識を向けたとき、遠くでチャイムの音が鳴った。こんな時間に珍しい。

 お互い気にせず無言で手を進めるうち、再びチャイムの音が鳴った。先ほどより近づいている。同じフロアのチャイムの音って、こんなに聞こえるものなのか。

「なあ」

 境が声を上げる。机の上はあらかた片付いていた。

「さっきからチャイム鳴ってないか?」

「鳴ってるね。宅配かな」

「この時間にか?」

 遅い時間ではあるけど、運ぶ人さえいれば頼めるんじゃないかな。そう付け加えても、どうやら納得いかない様子だった。

「もしくは誰かが間違えてるとか」

 そう言ってから、さっき出て行った誰かがじゃないかと不安になる。忘れ物をして、さらに部屋が分からなくなっているとか。

「ちょっと見てくる」

 初めて訪れる部屋ではないから、番号が分からないはずはないけど、いかんせん酔っ払いだ。保証はできない。

 宅配とかであればすぐに引っ込めばいい。そう思いながら廊下への扉に手をかけたとき、チャイムが鳴った。モニターに外の様子が映し出される。

「誰もいない?」

 いたずらだろうか。だとすれば話は違う。さすがに酔っていようと、よそ様に迷惑をかけるような人たちじゃない。

 となれば別の人か。なら迂闊に出て行くのも危ないかも。

「……こういう怪談あったよな」

「ああ、まあね。次はこれ話そうか」

 オチがつかないうえ脈絡もないから、話の組み立てが難しそうだ。

「何でそんな平然としてんだよ。気味悪いだろ」

「不審者じゃなきゃいいかなあ。出たくはないけど」

 急かすように、もう一度チャイムが鳴る。依然としてモニターには廊下だけが映っている。そして、ダメ押しのようにもう一度

 トドメとばかりに四度目を押されれば、さすがに気味が悪くなる。

「何にしても嫌な執着っぷりだね。恨みを買った覚えは?」

「まあ、ほどほどに」

「刺されないでよ?」

 調理器具は捨てたんじゃなく、捨てられたのかもしれない。

 そんなことを思いながらも、未だ誰も映さないモニターを見る。

 これじゃいつまで経っても帰れない。いっそ人を呼ぶべきか。警備会社か管理会社……いや、警察? 候補をリストアップする間にも、チャイムは鳴り続ける。

「こんだけ鳴ってるとクレーム来そうだな」

「その心配もした方がよさそうだね」

 ゆうに十回以上は鳴らされている。こんなことを言われたって困るだろうけど、警察に連絡して私たちのいたずらではないとアリバイを作るべきか。

 伝える内容と電話をかける先について話し合って、シャープから始まる番号を打ち込んだ、そのとき。

「るっせえぞ!」

 廊下から怒鳴り声が聞こえた。

「遅かったか……」

「弁解するのめんどくせえな……」

 得体の知れないものへの恐怖より、眼前にある隣人トラブルへの対処の面倒さが勝った瞬間だった。気の抜けた人間を怖がらせたって意味ないし、帰ってくれないだろうか。

 モニターに映るお向かいの男性は、当然のことながら相当ご立腹のようで、今にもここに向かおうと――。

「あれ」

「消えたな」

 今まで付きっぱなしだったモニターが、突如暗転した。壊れたわけではない。もともと押されてからしばらくすれば消える仕組みだ。

 お向かいさんが怒鳴り声をあげてから、チャイムは鳴らされていない。だから消えたというだけの話なのだけど。

 暗くなったモニターの向こうから聞こえた悲鳴が、わずかに不安をあおる。ふたりして固まっているうちに、重い音がして声は遠ざかっていった。

「……どうなったの?」

「外行ったんだろ。非常階段の扉が開く音したし」

「なるほど。じゃあ大丈夫かな」

 お向かいさんが出てきてからチャイムは鳴っていない。怒っていたお向かいさんは出て行った。他のおうちから言われる可能性はあれど、さすがに叫び声が上がってすぐに出てくる人はいないだろう。

 ドアスコープを覗いてみても、特に異変は見当たらない。

「うん、大丈夫そうだし帰るわ」

 時刻は十二時を少し回ったところ。まだ電車があるからタクシーは捕まえられるはず。

 リビングに戻ってまとめていた荷物を手に取ると、「ちょっと待っててくれ」と引き留められた。

「俺も行く」

「……どこまで?」

「駅まで。適当にどっか泊まる」

「怖いの?」

「平然としてるお前の方がおかしいからな?」

 そんな風に見えていたのか。最後の方は不気味だなあ、くらいは思っていたのだけど。

 とはいえ特に断る理由もなく。支度が終わるのを待ち、念のためもう一度スコープを覗いてから、境の家を後にした。


 駅までの道のりも、駅からのタクシーの中でも、特に変わったことは起きなかった。大垣の言う三十パーセントを引いたのか、お向かいさんが七十パーセントを連れて行ったのかは定かでない。

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