第12話 ふりきる

 訴えを全て退けられ、多額の賠償金を抱えることになったフランシス。徹底的に心を折られた彼はこれ以上の争いに勝ち目を見いだせなかったが、残された手段が無いわけではないことに気づいた。


「ヴェラ! こんな金額を一度に払ったらレアード海運は潰れちゃうわ! そうなったらアテクシだけじゃなく、オーエンや水夫たち、それにその家族も路頭に迷うのよ! そうなってもいいって言うの!?」


 先ほどまで嘲ったり都合よく無視したりしていたはずのヴェラに対し、縋るような視線で話しかけるフランシス。しかし言っている予測は確かに実現性が高いため、切り捨てるような返答には抵抗がある。


「水夫のアレンとベンは妻子を抱えているし、チャドには病気の母親がいるわ! ダニーは親の作った借金の返済に苦しんでいるのよ! そんな彼らを見捨てるっていうの!?」


 ヴェラの動揺を見抜いたのか、ここを勝負どころと畳みかけるフランシス。だが言えば言うほどノエルの表情が冷えていくことには気付いていなかった。


「なるほど、彼らはこれから大変な苦労をするでしょうね。ですがそれは貴方のせいです」


「な、なにを言っているのよ!?」


 すっかり苦手意識を植え付けられたのか、ノエルに対しては腰が引けているフランシス。もちろん、それで容赦するノエルではない。


「ヴェラ嬢が請求しているのは本来受け取っているはずの正当な報酬と、貴方の経営によって発生した損害の賠償です。それを支払った結果レアード海運が潰れるのなら、その責任は全て経営者である貴方にあります。都合よくヴェラ嬢に擦り付けないでください」


「で、でも! ヴェラの決断一つで彼らを救うことができるのよ! そうでしょう!?」


 もはや悲鳴のような声で訴えるフランシスに、冷徹な事実でもって答えるノエル。


「救えませんよ。貴方が経営者をやっている限り、遅かれ早かれ同じようなことになって潰れます。何しろ貴方、全く反省してないんですから」


「そんな……こと、ないわよ」


「貴方、ここまで一度もヴェラ嬢に謝罪してませんよね? 非を認めてもいませんよね? つまり貴方はしくじったとは思っていても、間違っていたとは思っていない。次に同じ機会があれば、また似たようなことをするでしょう。なら存続する意味などありません」


 これ以上は足掻いても無駄だと思ったのか、がっくりと項垂れるフランシス。だがその肩が細かく震え始めると、それまでの意気消沈した様子が嘘のようにまくし立て始めた。


「ふ、ふふふふふ、あはははははっ! 何よ、随分とわかったような口を利くじゃない! お坊ちゃんが正義の味方気取りってわけ!? けど言っておくわ! 騙す奴が悪いんじゃない、騙される奴が愚かなのよ! 愚かな奴はどこに行っても食い物にされる、世の中っていうのはそういう風にできてるのよ! アテクシみたいなのは他にもまだまだいるわ! 優しいアテクシに食い物にされてたほうがマシだったって、いつか思い知る日がくるわよ! その時になって絶望なさい!」


 狂気を滲ませて叫ぶフランシスに、思わず気圧されて後退るヴェラ。こういったことにある程度慣れているはずの調停官ですら、表情を引き攣らせている。


 だがノエルだけは何処までも冷徹で、いっそ冷酷だった。


「騙される奴が愚かなら、騙し切れなかった貴様は無能だ」


 場の空気が凍る。フランシスの狂気など、ノエルの凶気に比べればなにほどのことも無い。餓狼が如何に吠え猛ろうとも、巨竜は歯牙にもかけないように。


「目障りなんだよ、無能な悪党は。潰す理由はそれで充分だ」


 ノエルがそう吐き捨てると、フランシスは今度こそ沈黙する。その眼にはありありとした恐怖が刻まれていた。




 調停が終わると、調停官に呼ばれた憲兵がフランシスを連行していく。この調停で明らかになった詐欺と傷害についての取り調べのためだ。


 帝国では民間での訴訟を調停、犯罪取り締まりによる訴訟を裁判と呼称している。そして調停で明らかになった事実は裁判でも事実として扱われるし、逆もまた然りだ。


 そのためフランシスが詐欺と傷害で罪に問われるのはほぼ確実である。ただし弟のオーエンや他の水夫たちがどの程度関わっているのか、また余罪はないかを調べなければならない。彼らを連行するために、すぐさま憲兵の一隊が派遣されることになった。




 ノエルとヴェラは調停官に礼を述べると法廷を出た。これからヴェラも被害者側として憲兵隊の事情聴取を受けることになっているので、ここからはしばらく別行動になる。


「ほな、ノエルは先に宿へ戻っといてな。いつ終わるかわからんゆう話やし、終わったら憲兵さんが送ってくれるらしいから」


「ええ、先に戻って休ませてもらいます。さすがに少し疲れました」


「ウチが戻ったらなんかええもん食べよか。今日はウチが奢るさかい」


「それはいいですね。楽しみにしてます」


 他愛のない会話を終えると、ノエルはすっかり馴染みになった宿へと向かう。道すがら、脳裏に浮かんでくるここ数日のヴェラとの思い出を必死に振り切りながら。


 宿へと着いたノエルは、自分の荷物を手早くまとめた。元々大した量でもないのですぐに済む。後は用意しておいた手紙を机に置いておけば、全て終わりだ。


 そう、これで終わりだった。過酷でありながら逃れられない道を歩かされ、それでも報われなかった短い人生。その原因たる人物に報復も考えたが、どう考えても手が届かない。だからと言って割り切ることも忘れることもできないノエルの、たった一度の八つ当たり。


 ノエルの人生を台無しにした元凶と同じく、己の欲望のために他者を搾取する賢しげな悪党を、代わりに思いきり叩き潰した。ヴェラの存在はその口実に過ぎない。口実に過ぎない、のに。


「……っ」


 終わってみれば、本当に欲しかったものはそんなモノではないと気付かされた。あの日の安らぎが、何気ない思いやりが、純粋な信頼が、それら全てに対しての飢えに気付かせてしまったのだ。


 ずっとノエルが欲しかったもの。与えられなかったもの。考えないようにしていたもの。それらの全てをヴェラが持っていると気付いてしまった。


 そこまで考えて思い至る。自分にはヴェラの隣にいる資格が無い。その資格はどう足掻いても手に入らない。


 今回の一件でノエルが取った行動は、調停局から法務省、法務大臣から宰相へと報告が上がるだろう。そうなれば近衛師団長である父、ガードナー伯爵にも情報が伝わる。


 ノエルがしたことは法的になんの問題もないし、ガードナー家に被害を与えてもいない。だがノエルはこれまでの経験から、ある人物から何らかの反応があると確信していた。


 今までに何度もあったのだ。ノエルに同情的だった幾人かの使用人や、軍学校で友人になれそうだった者たちが、ある日急に冷たい態度を取って離れていったことが。


 それだけではない。中には不運な事故にあったり事件に巻き込まれた者もいる。今まで死者こそ出ていないが、ガードナー家にはノエルに最低限の交友すら許さない存在がいるのだ。これ以上ヴェラと一緒にいれば、彼女もまた危険に晒す可能性が高い。


 だからここで予定通り、この関係を終わらせなければならないのだ。例えどんなに心が軋もうとも。


 ノエルは荷物の詰まった頭陀袋を乱暴に掴むと、全てを振り切るように部屋を出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る