第13話 たたきつぶす

 レアード海運の水夫長であるオーエンは、窮地に立たされていた。交易ギルドからの指名依頼を失敗しつつも最後まで遂行し、やっと港に戻ったと思ったらレアード海運がヴェラの代理人を名乗る男に訴えられていたのだ。


 代表である兄のフランシスは一旦激怒したものの、すぐに冷静さを取り戻して対策を講じ始めた。こういったことでオーエンは役に立てない。しかし兄に任せておけば問題ないと知っていたので、特に心配していなかった。


 そして今日フランシスはヴェラたちとの調停に向かったのだ。ヴェラが同席するので自分も行こうかと思ったが、小難しい話は全くわからない。フランシスにも必要ないと言われたので、水夫たちを集めてレアード海運の事務所で結果を待っていた。


 そうしたら、憲兵たちが大勢あらわれて自分たちを連れて行こうとしたのである。わけがわからない。レアード海運は真っ当な商会だ。憲兵に捕まるようなことをした覚えなど一切ない。


 これは何かの間違いだ、フランシスやのヴェラに聞いてもらえればわかる。そう説明したのだが憲兵たちは聞く耳を持たない。それどころかフランシスを犯罪者呼ばわりし、オーエン自身にも共犯者の疑いをかけてきた。


 オーエンは自分の正義を疑っていなかったが、このままでは捕まってしまうのは間違いない。そうなればフランシスやヴェラを救出することもできなくなる。オーエンはそう判断すると、やむを得ず水夫たちを残して裏口から脱出した。




 行くあてもなく、夜の街を歩く。軍を追い出された日よりもいっそう深い虚無に囚われたノエルは、ただ人の流れに合わせるように歩き続けた。


 もう本当にやりたいことは無くなった。この人生はいつ終わっても構わない。そう自分に言い聞かせるたび、心の奥底で何かが疼く。


 己の心を制御できないまま流れたノエルは、いつしか見覚えのある人物を雑踏の中で見つけた。


「あっ! てめぇ!」


 聞いた事のある大声が響く。レアード海運の水夫長であるオーエンだ。彼は今、兄であるフランシスの共犯の可能性があるとして憲兵が追っていたはずである。それがなぜここにいるのか。


 この近辺は貧民窟スラムの浅い地域なので、憲兵の巡回などはまず来ない。もっと奥に行けばより見つかりにくくなるが、今度は別の危険が増す。オーエンがここにいた理由はそんなところだろう。


「おい! ヴェラはどこだ!」


 オーエンは追われる身であるという自覚が無いのか、相変わらずの大声で詰問してくる。ついでに大股で歩み寄って胸倉を掴もうとするが、例のごとくノエルに躱された。


「ちょろちょろ逃げんじゃねぇ! おいお前、ヴェラはどこにいる! 言わねぇと痛い目を見るぜぇ!」


 腰に差していた船上刀カットラスを抜いてちらつかせながら、手慣れた様子で恫喝してくるオーエン。誰を相手にしていたのか知らないが、常習的にしているのだろう。それなりに迫力がある。


 だが軍隊の、それも帝国内で最も実戦の機会が多い監視兵中隊センティネルに所属していたノエルから見れば、どうというほどのものではない。そもそも、その気になれば喋る間も与えず処理できる。そうしなかったのは、ノエルの中に迷いがあったからだ。


 ノエルにとって、オーエンの命には全く価値がない。心情的に肩入れする要素もなく、それどころかヴェラに付きまとっているという恐ろしく不愉快な存在だ。むしろ積極的に潰したい。


 だが同時にオーエンはフランシスと共犯関係にある可能性が高い人物だ。可能であれば憲兵に引き渡して、過去の罪状を洗いざらい白状させるべきだろう。だがここに一つ問題があった。


 ノエルは、のだ。


「なんとか言いやがれオラァ! ビビってんのかぁ!?」


 オーエンの胴間声が周囲に響き渡る。ここが貧民窟の一部でなければ、とっくに憲兵が駆けつけているだろう。だが憲兵が現れる様子はない。この辺りの住人は、荒事があっても憲兵に頼るという発想がないのだろう。


 ノエルは一つ溜息をつくと、細心の注意を払ってオーエンを死なないように無力化することにした。はっきり言って殺さない自信はない。今までそういう戦いかたをしてこなかったからだ。


 滑るような動作で半歩だけ後ろに下がりつつ、左手を腰の後ろに回す。いかにも武器を抜こうとしているように見せかけ、オーエンの視線を誘導するためだ。


 呆気なく誘導されたオーエンがノエルの左手に注目した瞬間、雷光の速度で右足を跳ね上げる。軌道上にあったオーエンの左肘が音を立てて砕けた。


「えげっ?」


 なるべく考える時間を与えないよう、気の抜けた声を出すオーエンの右肩目掛けて、振り上げた踵を振り下ろす。思惑通り鎖骨が砕け、右手がだらりと下がって船上刀を取り落とした。


「ぐげっ?」


 最後に身体を左方向へ回転させつつ沈め、一回転の後オーエンの右ひざを内側から蹴り砕いた。これで魔術師でない限り逃げることはできないだろう。


「う、ぎゃあああああぁぁぁぁぁ!!!」


 喉が裂けそうな勢いでオーエンが叫ぶ。それしかできない。あまりに一方的な暴力だった。船上刀など出番すら与えられずに地面に転がっている。


 客観的に見て、オーエンは屈強な体つきをしており、海賊相手の実戦経験もある。一般人としてはかなり強いほうだ。


 だが同じく客観的に見て、ノエルは剣聖候補に数えられるクインシーに近しい血を引いている。剣の素質こそあまりないものの、身体能力はクインシーと遜色がない。ノエルが最も得意とする武器と体術を用いて手合わせしていたのであれば、クインシーに全く勝てないという結果にはなっていないのだ。


 また同じく客観的に見て、ノエルは監視兵中隊で常に最前線に配置されながら2年半生き延びたという実績がある。ノエル自身が気付いていなかっただけで、この事実は中隊内でも特別視され畏怖されていた。そうでもなければ二つ名など付きはしない。


 そもそも監視兵中隊が常に監視し、時に排除しているのは魔術師という人外の存在だ。たった一人で竜を倒した剣士は物語の中にしか存在しないが、魔術師ならば史実として存在する。誇張でなく一騎当千を実現してみせた魔術師もいた。


 それにどんなに痛めつけても、呪文を唱えられる限り魔術師は無力化しない。そして魔術師の中には、満身創痍の状態を一瞬で治癒できる不死身のような者もいる。特に戦闘訓練を受けた魔術師は、息がある限り絶対に油断してはいけない相手だ。可能な限り一撃で確実に殺さなければならない。


 そんな魔術師に対抗すべく銃と言う強力極まりない武器を与えられておきながら、初任務で制圧対象であった魔術師を一撃で蹴り殺したことで『魔術師潰しメイジマッシャー』の二つ名がついたのがノエルだった。


「て、てめえ! いったい何しやがった! いでぇ! いでぇよぉ! 覚えてやがれ!」


 この期に及んで、まだ居丈高に言い募るオーエン。誇り高いわけでも根性があるわけでもなく、他の言い方を知らないだけだろう。


 そんなオーエンに対するノエルの返答は、面倒なので適当に答えたという内心が漏れていた。


「言ったでしょう。足には自信があるって」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る