第11話 むしりとる
「第二の訴えに入ります。レアード海運はヴェラ嬢との最初の契約において、見習い時には相場より安い給与を設定する代わりに、一人前になった暁には相場以上の給与を約束していました。ですが今日に至るまでの4年間、見習いの給与のままです。これは明らかに詐欺行為であり、多大な損害が発生しています」
続くノエルの主張に対し、フランシスは気を取り直して反論する。既に確定した損害は確かに痛いが、だからこそこれ以上傷を広げるわけにはいかない。
「ちょっと待ってくださるかしら? 4年経とうと10年経とうと、ヴェラの腕が上がらなければ一人前とは見なせないわ。自分の成長の無さを棚に上げて図々しいのではなくて?」
ヴェラが射殺しそうな目で睨んでくるが、そんなものには構っていられない。既に確定している損害だけでレアード海運は危機に瀕しているのだ。これ以上の損害を受ければ潰れかねない。
だがフランシスの主張はまたしてもノエルによってはね返された。
「おや、レアード海運では見習いが失敗しても責任を追及して賠償を課すのですか? 例え法的根拠のないものであっても、借金を課した時点でヴェラ嬢を一人前と見做していた証拠ではないですか」
「それ、は……」
「交易ギルドの記録を確認しましたが、4年前にヴェラ嬢を雇用してからレアード海運の業績が明らかに向上しています。また、ヴェラ嬢が退職してすぐの依頼に失敗していることも考慮すると、ヴェラ嬢の貢献が見習い程度であったとは到底考えられません。いかがでしょう調停官殿?」
ノエルの確認に、またしても同意する調停官。
「仰るとおりかと。この状況ではヴェラ嬢が実質的に見習いではなかったのは確実ですな」
「なんなのよ! ちょっと調停官! アンタそっちの小僧どもに買収でもされてんじゃないの!?」
思わず叫んだフランシスに、調停官は冷徹な返答を返す。
「買収? それはこの調停が始まる直前に貴方が私に持ちかけてきたような話ではないですか? 恐れ多くも帝国と陛下に公正を誓った我ら調停官に対し、随分と侮ってくださいましたね?」
「ひっ!?」
フランシスの認識では調停官など木っ端役人にすぎないと高を括っていたのだが、実のところ彼ら調停官の誓いは命懸けだ。不正を働いた場合の処罰が他の役人より極端に重いのである。当然ながら、フランシスに用意できる程度のはした金になびくことはない。
むしろ買収の誘いは自らの命を危険に晒すので、非常に敵視しているくらいなのである。フランシスは自らの手で自分の心証を最悪にしていたのであった。
フランシスにとって絶望的な状況の中、ノエルは三つ目の訴えを始める。
「最後にヴェラ嬢が過酷かつ休息のない労働の強制によって重度の過労に追い込まれた件ですが、こちらに医師の診断書があります。傷害行為として治療費と慰謝料を請求します」
これまでの訴えに比べれば小さな額だが、もはや銅貨一枚とて惜しい状態だ。フランシスはなんとか反論の糸口を探した。
「そ、それは本人が働きたいと言って勝手に働いた結果だもの、アテクシは強制なんかしてないわよ!」
先ほどからヴェラが発言しないのをいいことに、無茶な言い訳をでっちあげるフランシス。当然ヴェラに睨まれるわけだが、もはや目に入ってすらいない。
だがそんな足掻きも、ノエルの反論に虚しく撃破される。
「無理にでも休ませるのが経営者の責任です。帝国雇用法でもそう定められています。言い訳にもなっていませんよ」
もはや反論も思いつかずに、ただ口を開閉するだけのフランシス。だがノエルには容赦とか遠慮というものが全く無かった。
「あとそちらの主張であるヴェラ嬢が退職したことによる損害ですが、これも法的に不当です。ヴェラ嬢は本来であれば退職の前に2週間の通告期間を置くべきですが、レアード海運での業務によって重度の過労に陥ったため、緊急避難として通告期間が免除されます。当然、それによって発生した損害に対しての責任もありません。間違いありませんね、調停官殿?」
「間違いありません。この件における双方の訴えにおいて、ヴェラ殿の過失はどこにも見当たりませんな」
調停官の一言で、フランシスの主張は全て棄却されてしまった。ヴェラ達の主張が全て通ってしまったのだ。このままではおそらくレアード海運は潰れるだろう。ならばどうするべきなのか。
そう考えたフランシスは、まだ自分が甘かったことを知らなかった。
「ところでレアード海運がヴェラ嬢に支払った給与と、ヴェラ嬢が返済した金額の記録はどうなっていますか?」
ノエルの言葉にビクリと肩を震わせるフランシス。まだ何か残っているのだろうか。内心で戦々恐々としながら、ノエルの次の言葉を待つ。
「賠償額を正確に計算するために必要なのですが……。ああ、証拠書類の中に借金関連の記録は入っていますね。では給与の支払い記録はどこですか?」
「ない、わよ、そんなもの。あるわけないでしょう。そんな記録、どこの商会でも残してないわ」
フランシスの言い分は誇張があるものの間違いではない。多くの商会では従業員の給与の記録など残していないのだ。記録のための紙だって無料ではないし、手間暇だってかかる。確かに法律には記録の義務が明記されているものの、形骸化していて役人が確認に来たりもしないのだ。だからフランシスも記録を残してはいなかった。
「記録がないということは、ヴェラ嬢にこれまで給与を支払った証拠がないということですね。では4年分の給与を全て、契約通り一人前の航海士として算出いたします。速やかにお支払いください」
「な……ちょ……そんな! 横暴よ!」
これについてはフランシスだけでなく、ヴェラも同感だった。確かに今まで騙されてはいたものの、給与の支払いが全く無かったわけではないのだ。その分をもう一度払えというのはさすがにいかがなものか。
だがノエルには情とか人の心というものが無いらしい。欠片の躊躇もなくフランシスにとどめを刺した。
「倫理的には横暴ですが、法的には問題ありません。私が代理人を務める以上、最大限まで毟り取らせていただきます。それが嫌なら法的に反論してください」
最後の最後に身も蓋もない言葉を突き付けて、ノエルはフランシスの心を徹底的に折る。いっそ清々しいほどの粉砕だった。
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