メインヒロインは幼馴染

華咲薫

メインヒロインは幼馴染

「……あと十分か」


 モニターの隅に表示されている『01:20』の数字を確認し、誰に言うでもなく呟く。カーテンの向こう側はすっかり暗闇に覆われていれど、僕はPCに向かってその時を待っていた。


 明日――正確には今日になってしまったけれど、学校のことを考えれば早く寝た方が良いのは間違いない。それでも、今日ばかりは眠るわけにはいかないのだ。というか、『今日の使命』を達成するまでは興奮して眠れそうにない。なにせ発表されてから数か月もの間、今日という日を心底待ちわびていたのだから。


 ――ピコン。


 PCでぼんやりとSNSのタイムラインを眺めていると、ダイレクトメールの通知音が鳴った。 


「DM……? ああ、『いつもニコニコあなたの隣に這い寄る隣人』さんか」


 いつもニコニコあなたの隣に這い寄る隣人――通称『隣人さん』は僕と趣味を同じくする同士である。数年前にSNSで繋がってすぐに意気投合。SNS上で仲が良い人は何人かいるけれど、隣人さんとは嗜好が完全に一致していて特に仲が良く、ほぼ毎日連絡を取り合っていた。


隣人【暗黒くん、起きてるっす?】

暗黒【もちろん。むしろ今日は眠れそうにないよ】


 暗黒くんというのは僕のハンドルネーム『暗黒の住人』を略した呼び方だ。特に性別を明示はしていないが、隣人さんは僕のことを『くん』付で呼ぶ。


隣人【暗黒くん、本当に楽しみにしてたっすもんね】

暗黒【そうだね。録画予約もバッチリだから、放映後に見直すつもり】

隣人【流石っすwww】

暗黒【隣人さんは……って明日は平日だもんね】

隣人【そっすねー。流石に寝ないとまずいっす。寝坊するわけにはいかないっすから】


 隣人さんの年齢は聞いたことがなく、学生か社会人かは定かではないけれど、どうやら平日は朝から行動しなければならないようで、鑑賞後には少し感想を言い合って落ちるのが常だった。


暗黒【毎日大変そうだね】

隣人【そうでもないっすよ。自分が好きでしてることなんで……まあ、伝わらないもどかしさはありますけどね】

暗黒【ふーん?】

隣人【あ、そろそろ始まるっすよ!】


 おっと、もうそんな時間か。僕は慌ててテレビの電源を付ける。念のため録画予約ができていることを確認してから画面を戻すと、丁度番組が始まった。


 花びら舞う桜並木の中、主人公の視線の先で髪をなびかせる少女の後ろ姿。どこか儚げなその姿に、主人公は目を奪われて動けずにいる。まるで時間が止まったような、永遠にも感じられる空間。そんな一枚絵みたいな美しい風景は、少女が振り返ることで動き出した。


『幼馴染に恋をした』


 タイトルと共に、オープニングが流れ出す。

 僕がこの世界――ライトノベルやアニメにどっぷりとハマるきっかけになった作品が、ついにアニメとなって放映されている事実に思わず涙ぐむ。


 作品自体は数年前から存在していて、当時から人気を博していたにも関わらずなぜかアニメ化さず、ファンの間で今期こそは待ち望まれていた作品である。当然、僕もそのうちの一人だ。


 オープニングが終わり、本格的に物語が始まる。すると、すぐに原作との違いに気が付いた。

 原作ではオープニング前に流れていたメインヒロインたる幼馴染との出会いが最初に描かれているのだけれど、その場面がすっ飛ばされているのだ。そしてサブヒロインや友人が先んじて登場してくる。


 なるほど、これは英断と言えよう。

 確かに、原作の流れをそのままなぞると、一話目の終わりのキリが悪いことはファンの間で語られていた。しかも、前情報でキャラクターボイスを担当する声優も公開されていたのだが、メインヒロインだけは伏せられていたのだ。


 これはおそらく、記念すべきアニメ第一話の締めとして、メインヒロインを登場させる伏線なのだろう。よく考えられている。


 僕の考察を肯定するように、ストーリーはメインヒロイン抜きで進んで行く。ああ、とてもいい。数年間で色々な作品に触れたこともあり、設定自体は恋愛ものとしてありふれていると感じる。それでも心情が繊細に描かれているこの作品の『青春』らしさは、他の作品とは一線を画している。本当に生きていてよかった!


 そんな風に感慨に浸りながらテレビ画面に釘付けになっていると、あっという間に時間が過ぎていく。とうとう第一話も終わりという所で、桜並木のシーンに戻ってきた。


『あれは……』


 主人公が呟くと、ゆっくりとメインヒロインが振り返る。

 本作のメインヒロインは幼馴染ではあるが、諸々の事情により主人公と離れ離れになっていて、数年ぶりに再会を果たす。その感動的なシーンだ。


 メインヒロインの台詞である『やっと……会えたね』という言葉は、最終巻を読破したファンなら泣いてしまう程に感慨深いものがある。その大事な一言を担当するCVが隠されているという事で、否応にも期待は高まる。


 そうしてメインヒロインは主人公へと向き直り、感情を押し殺そうとして、それでも溢れ出る嬉しさを滲ませた表情で、声を発した――瞬間。


 僕は――。


□ ◆ □ ◆ □ ◆ □


 ――ピーンポーン。


 もはや恒例となっているチャイムが登校時間であることを告げる。

 結局、昨日は一睡もできなかった。『幼馴染に恋をした』の出来に感動したから……ではない。いや、もちろん感動はした。放映後に録画分を見直して計四回も見た。しかし、何度見返しても受け入れがたい事実が変化することは無かった。


 それでも一縷の望みをかけて、SNSのタイムラインを確認して、もう一度絶望した。

 作品に罪はない。ネット上でも賞賛の嵐だ。特にトップシークレットとされていたメインヒロインの声優については、賛否の賛しか見受けられなかった。


【『名無』が声優とか最高かよ】

【『名無』ってマジで天才だな。どんだけ声帯もってんだよ】

【エンディングのテロップ見るまで『名無』ってわかんなかったわwww俺氏、声優オタ名乗るの辞めますwww】


 ――名無。ここ二、三年で最も人気のある声優と言っても過言ではない。元気っ子から寡黙系まで、古今東西ありとあらゆるキャラを圧倒的表現力で演じ切る実力派声優。各キャラ毎であまりに声が違いすぎるため、複数人が同一名義で活動しているなんて噂が立っているほどだ。


 けれど、その噂は所詮噂。『名無』とはたった一人の名称であることを、僕だけは知っている。知りたくなんてなかったけれど、土台無理な話だった。なにせ、たった一言聞いただけで理解してしまったから。あまりにも耳に馴染んだその声が――


「おっはよー! 朝だよ……って、起きてるなら早く出て来てよ! 遅刻しちゃうよ?」

「…………」

「なになに、どしたどした。そんな無言で恨みがましく睨まれることをした覚えはないんだけど?」


 くっ、この女。言葉とは裏腹にニヤニヤしやがって。確信犯の癖に!


「……幼馴染に恋をした」

「ん? ……あーっ! そういえば昨日が放送日だったっけ? どうだった?」

「どうもこうもあるか! お前、僕があの作品をどれだけ楽しみにしていたか知ってるだろ!?」

「知ってる知ってる。だから滅茶苦茶頑張って、キャラに声も合わせたよ?」

「確かにネットでの評判は凄かったさ!」

「そうでしょうとも」

「でもな、僕にとっては地獄なんだよ! もうメインヒロインがお前にしか見えなくなっちまったじゃねえか!」

「いいじゃん。わたしも負けず劣らずの美少女だよ?」

「きいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」


 そうかもしれないけど! そういう問題じゃないんだよ!


「まあまあ落ち着いて」

「ふーっ! ふーっ!」


 このリアル幼馴染こそ大人気声優『名無』の正体。こいつがどれだけ声を変えようとも、十数年と聞き続けた声を聞き分けられてしまうのだ。


 しかも気づいてしまったが最後。もうアニメのキャラクターと言えど、憎き幼馴染にしか見えなくなってしまう。さらにタチが悪いことに、彼女はメインヒロインを演じることがほとんどなのである。ちなみに僕はメインヒロインを好きになることがほとんどなのである。つまりは確信犯なのである。


「毎度毎度、そんなに怒らなくてもいいのに……」

「誰のせいだ誰の!」

「そんな……わたしはただ喜んでほしくて頑張ってるだけなのに……」

「えっ……」


 急にしおらしく顔を伏せる宿敵。お前はそんなキャラじゃないだろと思いつつも、本当に傷つけてしまったのではと心配になる。


 実際、彼女が声優業を本気で頑張っているのは事実だ。


「……悪い。いくらなんでも言い過ぎた」

「…………」

「なあ、黙ってないでなんとか言ってくれよ」

「……やっと……会えたね」

「きいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」

「あっはっは! ちょっろいなぁ」


 クソが! やっぱ嫌いだこの幼馴染!


□ ◆ □ ◆ □ ◆ □


 着替えるからと部屋を追い出され、扉の前でスマホをいじる。

 我ながら趣味が悪いとは思う。けれど、三次元に見向きもしない彼に意識させるためには、こんな方法しか思いつかなかった。


「……ホント、素直に褒めてくれないんだから」


隣人【メインヒロインの声優、名無だったっすね。どうだった?】

暗黒【悔しいけど……】

隣人【悔しい?】

暗黒【ああいや、こっちの話なんだけどね。まあ、控えめに言って最高だった】

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メインヒロインは幼馴染 華咲薫 @Kaoru_Hanasaki

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