日焼け
「うわ!」
翌日。朝起きて鏡を見た私はびっくりした。黒くなってたから。一皮むけたって言うか、逆に一皮着たみたいになってしまっている。
普段は日焼け止めをぬっているのだけど、昨日はプールでどうせ取れるからぬらなかったのだけど、まさかこんなに焼けるなんて。と言うか、日焼けってこんなすぐに焼けるものなんだ。
どうしよう。理沙ちゃんはお母さんじゃないから怒らないだろうけど、日焼けしたってわかるととがっかりするよね。
とちょっと反応が恐かったのだけど、いつも通り支度して起こした理沙ちゃんは全くの無反応だった。
「……あの、理沙ちゃん」
「ん?」
「いや、あの……私、日焼けしてるけど、気づいてる?」
対面で朝ごはんを食べ終わってもいつも通りな理沙ちゃんに、さすがに我慢できずに片づけ終わってから自分から言ってしまった。いやだって、気づいてる、よね? だってこんなに黒いのに。
「え、あー、言われてみたら、焼けてるね。ごめん。寝起きでぼーっとしてて。えっと、昨日プールだったもんね。夏っぽいと言うか、元気そうで、可愛いよ」
理沙ちゃんは私の顔をまじまじと見て、言い訳をしながらそう言った。いや、えぇ? か、可愛いって?
場違いな言葉は予想外すぎて、何だかちょっと照れくさいのを誤魔化すために私は頭を搔いて、言わなきゃいけないことだけさっさと言うことにした。
「いや、無理に可愛いって言ってほしいわけじゃなくて、その……えっと、日焼けしちゃってごめんね。気を付けるよ」
「? すぐ気づかなかったのを怒ってるとかじゃなくて? と言うか、無理は、別にしてない、けど?」
「あー……えっと、可愛いって言ってくれるのは嬉しいけど、日焼けしちゃって、その、ぶさいくになっちゃったでしょ。だから、恋人だし、申し訳ないなって言うか」
理沙ちゃんは可愛いと言ってくれるけど、私は親にも基本的にそんな風に言ってもらってなかった。だから客観的に見て容姿がいいってわけじゃないってわかってる。
小麦色の肌、なんて言って似合う人もいるけど、私の場合はそうじゃない。お母さんから肌を焼かないよう言われていたしそう言うことだ。
だけど理沙ちゃんは私の軽い謝罪に、真面目な顔になった。
「……可愛いよ。春ちゃんは、可愛いよ。日焼けした春ちゃんも、してない春ちゃんも、どっちも別の可愛さがあって、不細工なんかじゃないよ」
……なんでも、真面目にとらえるんだから。別に、理沙ちゃんの目には私が可愛く見えてるのはわかってるよ。わかってる。うん。だから別に、日焼けしても可愛いって本気で言われてるってだけで、そんな、感激とかしてないし。
「……も、もう、時間だから学校行くよ」
そんなんじゃない。でも、理沙ちゃんにうまく言葉が出なくなってしまって、私は時計をチラ見してまだ少しだけ余裕はあったけどそう言って立ち上がった。
「あ、春ちゃん……」
ランドセルを取りに寝室のドアを開けた私に理沙ちゃんが声をかけた。すでに半分近く寝室に入ったまま理沙ちゃんを振り向くと、理沙ちゃんも立ち上がっていて、私をじっと見ている。何だか悲しそうな、もの言いたげな、困ってるみたいな、そんな顔をしている。
「あの、今の、本気だから」
「っ……」
寝室に入った。ランドセルを背負ってそっと出ると、理沙ちゃんは同じ姿勢のまま私を待っていた。無視した私に怒るでもなく、そのままの顔で。
「あ、あのさ……その、ありがと。別に、疑ってないよ。その。理沙ちゃんだから、理沙ちゃんの言うこと、信じてるから」
理沙ちゃんが私を好きで可愛いと思ってくれてるのがわかってたのに、不細工とか言ったから理沙ちゃんは怒ったんだよね。気持ちを疑うみたいなものだもん。
うん、確かに、私が悪かった。それに、なんていうか。私、別に自分を悲観したつもりはなかった。なかったけど、まあ……理沙ちゃんが可愛いって思ってくれてるなら、それだけでよかったんだって、今気づいた。他の人の意見を重要視しなくていいんだ。理沙ちゃんにとって可愛いなら、私は私を可愛いって思っていいんだ。理沙ちゃんを基準に考えていいんだ。だって、理沙ちゃんは私の一番なんだから。うん。
なんだか、別にそれで苦しんだり重かったわけじゃないけど、すっきりと言うか、心が軽くなった感じがする。でも、なんていうか、それを言うのはものすごい恥ずかしいと言うか、うまく説明できない気がした。
「えっと、だから、うん。ありがと。行ってくるよ」
「う、うん。あの、あとね。もちろん日焼けした春ちゃんはかわいいけど、そもそも、そんなに言うほど焼けてないよ」
気になるなら、もっと強い日焼け止め買ってもいいし、とか言いながら理沙ちゃんは私を玄関まで送ってくれた。そこまで送ってもらうのは初めてで、わざわざそんなことする必要ないし、玄関からソファまで扉もなくてそのままつながってるから、座ったまま挨拶してくれるので十分なのに、なんか、たったこれだけの距離を見送ってもらえただけで、すごく、嬉しい。なんでだろ。不思議だ。
ものすごく大切にされてるって、知ってたはずなのに実感する。
私はなんだかふわふわした気持ちで一日を過ごした。
○
学校から帰った。今日は理沙ちゃんが先に帰っている予定だ。
「ただいまー」
「……おかえり」
理沙ちゃんはソファに座ったまま振り向いて、ちょっとだけ微笑んで応えてくれた。クーラーがきいている中、理沙ちゃんは涼しい顔でパソコンを操作している。
ふーん……あれ、ていうか理沙ちゃん、白くない? 焼けてないような。
「ねぇ理沙ちゃん、理沙ちゃん全然焼けてないね。もしかしてプールの時も日焼け止めぬってたの?」
「あ、うん。ぬってたけど……でも、ちょっと焼けてるよ?」
「え? そう?」
ソファの隣に腰かけながら尋ねると、理沙ちゃんは手をとめて丸めてた背中を戻して自分の腕をなでた。Tシャツの半そでから出ている理沙ちゃんの手は黒くない。
「うん。あ、この辺とか、わかりやすいと思う。私、赤くなるタイプだから」
首をかしげる私に、理沙ちゃんはそう言いながら左手を右肩にそえ、ぐいっと襟を引っ張って肩のちょっと下まで下した。襟のふちに、下着の肩ひもも一緒にあるのが見えて、首から肩までむき出しになる。
言われてみれば、確かに肩ひものあったであろう場所の白いラインが走っていて、それに比較すると確かに少し赤みがかっている。
「……」
その肌を見ると、何だか吸い込まれるような気持ちで、ふっと右手をのばしていた。すっと人差し指で白いラインを横断するように撫でる。ラインがあるけどもちろん段差なんかなくて、すべすべだ。肩の方に行くと骨が皮膚の下にあるのがわかる。
「は、春ちゃん……? あの、くすぐったいよ?」
「!? あ、ご、ごめん、つい。あの、き、綺麗な肌だね」
なんだかドキドキして、夢中になりかけていたのを理沙ちゃんの声で我に返った。右手をあげるようにして手を離し、私は謝りながら膝に手を戻す。
「え、うん。ありがとう」
理沙ちゃんは服を戻しながらちょっと照れているみたいに目をそらした。
ドキッとした。ちょっとしたこと、何でもないはずだ。指先でちょっと肩に触れただけ。なのに、理沙ちゃんが照れて、そんな顔を私がさせたのだと思うと、何だかたまらなくなってしまう。
理沙ちゃんの白い肌がまだ瞼の裏に残っていて、もっと触れたい。そんな風に感じてしまう。
だけど、それって、何だかすごくいやらしいことみたいで、体が熱くなってしまう。
「で、でも、なんで赤くなるの? そう言う焼け方もあるのは知ってるけど、でも理沙ちゃんと私、親戚だし普通同じ感じじゃないの?」
「うーん、春ちゃんは、おばさん似だよね。私たちは、お父さん同士が兄弟だから、それでタイプが違うんじゃないかな」
「理沙ちゃんは、おじさん似だよね?」
理沙ちゃんのお父さんは忙しい人みたいで、あんまり顔を見ない。でも眼鏡をしてて、真面目な感じとか、多分そうだよね。
「うん、多分? ……自分では、よくわからないけど。と言うか、あの、何で日焼けすると、あー……おばさんが、言ってたの?」
「あ、うん。日焼けすると不細工になるから、気を付ける様にって」
「うーんとね、それは別に、春ちゃんだから言ったわけじゃなくて、あの人が美白にこだわってるから言っただけだと思う。私も一回、日焼けを注意されたことあるし。だって、おばさんの夏とか、すごい格好だったでしょ。だからその、日焼けにこだわらなくて大丈夫だよ。朝も言ったけど、その、そんなに焼けてないし。敏感になりすぎだと思う」
うーん? まあ確かにお母さんは日傘いつもしてたし夏でも長袖で手まで隠してたけど、でも大人の人は同じような人ちょこちょこ見るし、別にそこまで異常ではないよね。気にする方なだけで。で、私は気にすべき人間なんだって思ってたけど。
もう、理沙ちゃんの基準でいいやって思ってるから、朝ほど気にしてはいないんだけど、それはそれとして理沙ちゃんもいい加減なこと言ってると思うな。
だって、少なくとも美香ちゃんは日焼けしてるって気づいたし。詩織ちゃんは言われてみれば―って感じだったけど。普通に言わなくても気づかれたってことは、やっぱり焼けてはいるでしょ。
なんか、大人って言っても、やっぱり一人一人言ってる事とか思ってることって、全然違うんだな。
そう思うと、なんかすごい、不思議な気持ちだ。大人ってもっとこう、一つの常識って言う共通の基準があって全部判断してるような気でいた。でもそんなことないんだ。
朝の嬉しい感じのとはまた違って、でもなんか、世界って広いんだなーって、なんか変な感じだ。
ちょっと涼しいような? 部屋の室温は同じなのに。何だろうこの感じ。恐い感じ?
でも、少なくとも私が何かを思って、それが人と違ってもいいんだなって思えた。人と違っても、私は私でいいんだ。
なんだか、変な感じだな。理沙ちゃんといると、実家で両親と住んでた時とは何もかもが違う。
もちろん生活は全然違うけど、それだけじゃなくて。なんていうか。毎日、幸せな気がする。
……なんか、ちょっと恥ずかしいな。理沙ちゃんといると毎日幸せみたいな、私、理沙ちゃん好きすぎでしょ。好きだけどさぁ。
「うん。わかった。ありがと、理沙ちゃん。大丈夫。もうそんなに気にしないから。それと、あんまり簡単に肌を出しちゃ駄目だよ。はしたない」
「……春ちゃんには言われたくないんだけど」
ちょっと恥ずかし気に唇を尖らせる理沙ちゃんに、私は笑って頭を撫でて誤魔化した。
確かにお風呂とか下着とか、普通に見せたけど。でもその時はまだそんな気にならなかったんだから、昔のことだから忘れてね。
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