デートのお誘い
理沙ちゃんに手をもみもみされてから、ちょっと理沙ちゃんとの距離を測りかねていた。理沙ちゃんが熱心にじっと私を見たり、ただ手に触れるだけで丁寧に壊れ物に触れるみたいにしたり、照れたり恥じらったりするから、私までなんだか今までと違う風に感じてしまったり、今までと違う感情が出てきてる気がしてしまっていた。
理沙ちゃんが私に恋をしてるって勘違いしちゃうのは仕方ない。だって私以外に友達いないし、他に誰も理沙ちゃんの傍にはいないんだから。だけど、私は勘違いしちゃ駄目なんだ。私は、誰かに恋をされるような人間ではないし、きっと理沙ちゃんのお母さん、おばさんもそんなことは望まないだろうから。
「……春ちゃん? どうかした?」
「……別に。理沙ちゃん、眼鏡分厚いなって思って」
平日の夜。テレビを見る私の横で、理沙ちゃんは机においたノートパソコンに熱心に打ち込んで何かをしている。いつものことだ。画面を見ても何をしているのかわからないけど、きっと大学の勉強なんだろう。
ダイニングテーブルの横、テレビの前のローソファは机も低くて、理沙ちゃんは胡坐で背中を丸めて画面をのぞきこんでる。いつものことで、とっくに見慣れた光景だ。
なのに何となく気になって、つい見てしまった。普段集中したらそれしか見えなくなる理沙ちゃんに気付かれてしまうなんて。
大真面目な顔で、ちょっと眉を寄せて口を強く閉じた状態で、かたかたと指先だけ動いて何かを入力している姿。普段の気弱な感じは一切なくて、冷たくて近寄りがたくすら感じられてしまう。
「そう、かな? これでも、0.1はあるんだけど……フレームによって見え方、違うらしいから、かな? あんまり、気にしたことなかった」
だけどこっちを見て、ちょっと不思議そうにそんなとぼけたことを言う理沙ちゃんからは全くそんな強そうな気配はみじんもない。て言うか、まじで言ってるの? めちゃくちゃ目悪いでしょ。もう病気じゃん。
「0.1しかないのはえぐいでしょ。十分やばいでしょ」
「そう、かな? えっと、春ちゃんは、目、いいね?」
「まあ普通に、両方1.5だけど」
「え、すごい、ね」
「普通でしょ……」
学校でも眼鏡かけてるクラスメイトは3人しかいないし、もっと小さい時からかけてる人だけだし。大人になるにつれ悪くなるのかもしれないけど、それにしたって悪すぎ。普通にクラスメイトでも数値聞いたらだいたいみんな1.0はあるし1.5もいたし。
何をちょっと感心した感じなのか。そもそも理沙ちゃんのおばさんもおじさんも眼鏡じゃないし、遺伝でもないんだから子供の時は普通によかったんじゃないの?
「そう言えば理沙ちゃん、バイトしてるって話だけど、いつしてるの? 私と一緒に暮らしてから学校に行く時間以外で出る事あんまり見ないけど。学校行って夕方帰るまでにバイトも済ませてるの?」
「ん? あれ、言ってなかった、っけ? 今、してるよ?」
「え? ……リモートワークみたいなこと?」
お仕事って言えば職場に行ってするイメージだったけど、そう言えばパソコンの仕事だと半分ずつ家でするんだっけ。バイトって言ったら接客業のイメージだし、まあ理沙ちゃんが接客業のわけないとは思ってたけど、それでもなんか、家でするってイメージはなかったからびっくりしちゃった。お父さんとお母さんはいっつも外で仕事してたしね。
「えっと……内職? 頼まれた作業を、パソコンでして、送って、お金もらう形だから」
「そうだったんだね。確かによくパソコンいじってるけど、学校の宿題とかかと」
「うーん……小学校みたいに、宿題、大学はあんまりないよ」
パソコンで何かを作ってるってことなのかな。なるほど。でも確かに、理沙ちゃんはよくパソコン触ってるからぴったりなのかも。
「あ、じゃあ仕事の邪魔しちゃったよね。ごめんね」
「邪魔、じゃない。その……春ちゃんと、お話するの、好きだし。それに、何かあるなら言ってほしい。春ちゃんのほうが大事だから」
「えっと、そう言ってくれるのはまあ、嬉しいけど。何かあるってなに?」
「え、う、うーん……なんだか、最近、私のことよく見てくれている気がするから、なにか、言いたいこととか、あるのかな、って」
「……」
どうして、そう言うことには気が付いてしまうのかな。ちょっと心配するように私の顔をのぞきこんでくる理沙ちゃんから、私は目をそらして三角座りになって足先を見ながら口を開く。
「別に……理沙ちゃん、あんまり人と目をあわせないタイプだったから、合わせてあんまり見ないようにしてたんだよ。でも、この間から理沙ちゃん、手を合わせる時とかすごい見てきてたし、私にはそうでもないのかなって思って、普通に見てるだけ」
「そう、なんだ。そっか。何にもないなら、よかった」
私の言い訳にも理沙ちゃんは素直に納得してくれたみたいで、そうほっとしたような声音で頷いた。ちらりと見ると、理沙ちゃんと目があう。
その顔が、何だかすごく優しくて、まるで大人みたいに包み込むような大きさを感じてしまって、思わずドキッとしてしまう。理沙ちゃんなのに。
「でも……なにかあったら、言って、ね? その、私、役に立たないかも、しれないけど。でも、できることする、し。あ、お金のことなら、多分、なんとかできるし」
「あ、うん……ありがとう、その時は、頼らせてもらうね?」
だけど、事実として理沙ちゃんはちゃんとお金を稼いでいて、その点では私は何にもできなくて理沙ちゃんに頼るしかないんだ。それが何となく悔しいような、でも、理沙ちゃんがそう言ってくれるのは本当に嬉しいし、なんか、ちょっと、かっこいいよね。うん、変な感じ。
「うん……えっと、何にもないなら、お仕事、するよ」
「うん、頑張って」
「ありがとう」
つい笑顔になってしまったまま素直にお礼を言うと、理沙ちゃんは照れたみたいでちょっと視線を泳がせてからパソコンにまた向いた。
カタカタと、音がなる。暗いパソコン画面は斜めからは見えにくくて、それだけじゃなくて普通にアルファベットばかりで何もわからない画面だ。理沙ちゃんが頭がいいのは知ってる。私も悪いわけじゃないけど、小学生だし、理沙ちゃんみたいに外国の言葉は全然わからない。
当たり前だけど、理沙ちゃんは私より長く生きている大人なんだ。なのにそんな大人が、私を恋人として好きだって言ってる。ほんと、変なの。理沙ちゃんみたいな変な人、他にいないし、きっと、私しか傍にいてあげられないんだ。
だから仕方ないなぁって。もしこのまま、理沙ちゃんが勘違いから覚めなかったら、私が、ずっと恋人でいてあげてもいいかな。そんな風に一瞬考えてしまった。
危ない危ない。そんなわけにはいかないんだから。ちゃんと勘違いに気付けるよう、私がそのうち誘導してあげなきゃいけないんだから。
……まあ、でも、それも私がもうちょっと、大きくなってからでいいだろうけど。
私はテレビのいつも見てる音楽番組をBGMに、じっと理沙ちゃんを見ていた。
○
理沙ちゃんとの恋人ごっこはまだしばらく、大人になるまではするんだろうなって思って、私も少しは気持ちを変えることにした。あくまで恋人ごっこで、理沙ちゃんは早く目を覚ましてもらわないといけないから、理沙ちゃんの矯正も早めにしないとって感じだったけど。
でも今はまあゆっくりでいいし、ちょっとずついい具合に機会があれば頑張ってもらえばいいよねって思うし、普通に恋人って言ってもいいかなって思う。どうせ私は子供だし、理沙ちゃんも私に手を出す気はないんだし、ごっこだからって意識して距離置く必要もないよね。
と言うことで、改めて、理沙ちゃんが恋人なんだなって思ってそうみると、なかなか、悪くない。
別に、私は恋なんてしてないけど。でも理沙ちゃんのことは好きだし、恋人なんてこれからできることはないだろうし、私も私なりに今だけの恋人を楽しむことにすることにした。
どうせ理沙ちゃんと別れてただの従姉妹になるなら、私の人生で恋人なんて関係の人はもう二度とできないのだ。ならちょっとだけ、私が大人になるまでくらい、理沙ちゃんを恋人として独占したっていいでしょ。
理沙ちゃんは優しいし、お金もある。色々駄目なところはあるけど、私の恋愛体験の相手にはちょうどいいくらいなのかもしれない。
「ねえ、理沙ちゃん」
「何?」
「今のこれって、デート?」
だから、夜に理沙ちゃんがどうしてもコーラ飲みたいからコンビニ行くっていうのに付き合ってのお出かけの際、ちょっと聞いてみた。
一緒に住んでるから、お家デートって概念はないもんね。だからって週末の買い出しは家族として必要なお仕事感が強いし、あれこれ考えるからデートって言われたらちょっとうーんってなる。
だからこの特に家の用事じゃなくて出かけるのって、デートなのかな? って思って、ちょっと緊張しつつ聞いてみた。
「でっ……デート、なの?」
「いや、私が聞いてるんだけど。必要な買い出しはさ、家事の一部だけど。でもほら、一応? 恋人なんだし……仕事じゃないお出かけは、デートなのかなって、思ったんだけど」
驚いて目をぱちくりさせている理沙ちゃんに、別にそんな必要ないはずなのに焦ってしまって言い訳をしてしまう。理沙ちゃんの方が私に恋だって言ってるはずなのに、なんで私がこんな意識しているみたいになってるんだ。
別に、デートくらい、仮でも恋人なら、する、よね?
ちらっと理沙ちゃんを見上げると、理沙ちゃんはゆっくり頬を染めて右手で頬をかいている。
「あー……あの、えっと……次の日曜日、その、で、で、デート、しない? あの、この、普通にコンビニ行くだけだし、これがその、初めての、デートって言うのは、その……ちょっと、違う、かな」
そして私の前に出て振り向いて、立ち止まってそう言った。とくん、とくん、と心臓が少し早くなる。
ただ改めてデートしようってだけなのに。デートって言っても、別に、手を繋ぐか繋がないかってくらいなのに。なんでこんな風に、ドキドキしちゃうんだろう。最近の私は変だ。変だけど、でも、どうせ、終わりがあることだ。だったら少しくらい、勘違いしてても、いいよね?
「うん……じゃあ、今度の日曜、デートね。……もちろん、そう言うなら理沙ちゃんが、素敵なデートにしてくれるんだよね?」
「えっ、あ……う、う……うん。春ちゃんが気に入るよう、頑張るよ」
うっ。なんで、普段自信なんかないくせに。人間関係、小学生の私よりへたくそな癖に。そんな、ドキドキしちゃうことが言えるの? 頑張るって。もう結果なんか見なくても、頑張ってくれるんだって、それだけで嬉しくなっちゃうじゃん。
へにゃっと眉尻を下げて微笑んだ理沙ちゃんに、私はうるさくなった心臓の音が聞こえないよう、歩き出して理沙ちゃんの横を通り過ぎながら応える。
「うん、楽しみにしてるね」
ああ、駄目かも知れない。私、なんか、すごい、理沙ちゃんに、恋って勘違いしちゃいそうになってる。理沙ちゃんにつられて、ほんと私、馬鹿だなぁ。わかってたけど。
私なんか、賢いはずない。頭いいわけない。私なんか、理沙ちゃんの従姉妹だし、親ですらいらないって言う存在なんだから。優れているはずがないんだ。
だから結局、好きだって言われたら、それだけで嬉しくって、恋が何かもわからない癖に、恋してるって勘違いしてしまうんだ。
ああ、これじゃ、駄目だ。私はちゃんと、冷静でいるべきなのに。
……いいや。だって、私、小学生だし。だから、理沙ちゃんですら勘違いしちゃうんだから。私だって、勘違いしちゃうよ。仕方ないよ。だから……大人になるまでだから。
「うん、頑張る」
私は理沙ちゃんにだらしなく熱くなった顔を見られないよう、早足に理沙ちゃんを後ろに連れてコンビニに向かった。
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