第23話 ヒーローじゃない

「でも、おれは、キサラギジャックになれなかった」

「どういうことですか?」

 ぼくは、みらいさんからあさひさんが書いた本を紹介されたことを話した。

 最初に1冊だけ読んだ。とてもおもしろかった。

 読み終えたばかりなのに、またすぐに読み返したくなるほどおもしろい本だった。

 気づけばぼくは、2回3回とその本を読み返していた。

 それから図書館に行って、またあさひさんの本を借りてきた。

 帰ってきてからすぐに全部読んだ。

 どれもすごくおもしろかった。それもまた何度も読み返した。

「ぼくもお話の中の子どもたちみたいに、こんな冒険がしてみたいと思いました。だからぼくにとって、きさらぎあさひ先生は、キサラギジャックみたいなヒーローなんです」

 だれかに夢や希望をあげられる人なんてそうそういない。

 そんなことができるのは、特別な人だと思う。

 ぼくにとって小説家の先生は、ヒーローのような存在なんだ。

「ありがとう。うれしいよ。だけどごめん。あたらしい本は、もう出ない」

 え、それはどういうことだろう。

「おれはここ2年間、本を出せていない。それどころか、小説を一行も書けていない。パソコンの中には書きかけの作品がいくつもある。だがどれも完成させられない。書こうと思っても書けないんだ。なにを書けばいいのかまったくわからないんだ……」

「……」

「書けない作家が夢や希望をあげられるわけがない。そんな人間がヒーローになれるわけがない。だからおれは、キサラギジャックになるなんて無理なんだ」

「……」

「これでわかったろ? キサラギジャックはもういない。いや、ちがうな。おれはキサラギジャックにすらなれなかったんだ。ヒーローにあこがれただけの、ただの人だったんだ」

「待ってください」

「ちょっと待ってくれよ」

 ぼくと陽平くんが声をかけても、あさひさんは首を横にふるだけだった。

「もう話すことはなにもない。おれはもう、作家をやめようと思っている。だってそうだろ。書けない作家が作家を名乗っていいわけがない。ヒーローでない奴がヒーローを名乗ってはいけないのと同じだ。ごめんな。夢も希望もあげられないし、それどころかこわしてしまうなんて……本当にごめんな」

 なにを言っても聞く耳を持ってくれそうにない。

 なんで……?

 どうして……?



「キサラギジャックはいます」

 それを言ったのは、みらいさんだった。

「いないよ」

 けれど、それも否定してしまうあさひさん。

「います」

 すぐにみらいさんが言い返す。

「いないよ」

「います」

「いない」

「います」

 ふたりとも大人なのに、なんだか子どもみたいな言い合いだと思った。

 ぼくの目には、陽平くんと黒田くんの姿に見えた。

「いないと言ってるだろ!」

 あさひさんが立ち上がって声をあげる。

 みらいさんは、コップに手をのばして麦茶を飲んだ。

「わたしは、子どもの頃にキサラギジャックに助けてもらったことがあります」

 その一言で、あさひさんは、とまどった顔をする。

「え? あの時の女の子は清里さん……?」

「覚えていてくれたんですね。うれしいです」

 みらいさんは、にっこり笑う。

「私にとってキサラギジャックは城江津市のヒーローではないんです。ヒーローよりも身近な存在なんです。だってキサラギジャックは……わたしにとって……初恋はつこいの人だから」

 とつぜんの告白にあさひさんはビックリした顔になる。

 ぼくの胸も、すごくドキドキしている。



「あの日助けてもらってからずっとさがしていたんです。でも、山の中に入ることはできないし、近所の人に聞いても知らないって言うし。私が好きになった人はいないのかなって思った時もありました」

 みらいさんは、自分の言葉で自分の想いをゆっくりと話す。

「でも、ぜったいにまた会えるって信じてきたんです。そして今日、こうしてまた会うことができて本当にうれしいです。しかもキサラギジャックの正体がわたしの大好きな作家さんだなんて……こんなことあっていいのかな。奇跡きせきじゃないかと思ってしまいます」

「だけどおれは、ヒーローなんかじゃないよ……」

「あさひさんは、どうして作家になろうと思ったんですか?」

 みらいさんの質問にあさひさんは顔をしかめた。

「人に夢や希望をあげられるような存在がほかに思いつかなかったから。それに、昔から本が好きだったんだ。だから、本を通して夢や希望をあげられたらいいなと思って」

「わたしも昔から本が好きです。子どもの頃から図書館に通いつめて、棚の本を全部読もうと思うほど好きなんです。だからわたしは、図書館司書になりました」

「そうなんだ。夢が叶ってよかったね」

「でもその夢は、わたしひとりでは無理でした。あなたがいてくれたおかげです」

「いや、おれは、なにも……」

 あさひさんはなにか言いかけたけれど、みらいさんはそれをさえぎって話す。

「わたしが大学生の時、図書館司書になることをやめようと思ったことがあるんです」

「え? そうなんですか?」

 ビックリしたぼくは、みらいさんにたずねた。

「そうなの。本を好きな人はたくさんいるし、わたしじゃなくてもいいんじゃないかって思ったことがあるんだよ」

 そんなことない。ぜったいにそんなことない。

 ぼくは、みらいさんが本をオススメしてくれてうれしかった。

 それに、みらいさんが図書館にいてくれなかったら、こうしてキサラギジャックを見つけることもできなかった。

 きっと、陽平くんだってそう思っているはずだ。

 ぼくは、思っていることをすべてみらいさんに話した。

「ありがとう、拓也くん」

 みらいさんは、とてもうれしそうにほほえんだ。

「昔ね、拓也くんと同じことを言ってくれた人がいるの」

 みらいさんは、あさひさんの方を向いた。

「おれじゃない。きみとは、子どもの時の夏に会っただけだ」

 みらいさんは首を横にふった。

「そうですね。でも、わたしは、あなたが書いた物語に出会うことができました。こんなにすばらしい物語を書く人を、わたしが子どもたちに紹介したい。そう思ったんです」

「そんなこと言われても……おれは……」

「だからこれは、わたしのわがままだと思って聞いてください。あさひさんは、夢と希望をあげられる小説家です。これからも子どもたちのために作品を生み出してほしいです。そしてあなたは、この町のヒーロー、キサラギジャックなんです」

「ちがう……おれは……」

「あの時言えなかったお礼を言わせてください。ありがとうございました」

 みらいさんは、深々と頭を下げた。

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