第15話 屋号

「ヤクシさーん。いるかーい?」

 玄関の方から人の声が聞こえてきた。近所の人かな。

「はいよー。今行くよー」

 おじいさんは、返事をしてからゆっくりと立ち上がる。

 ひざと腰をさすりながら顔をしかめた。

 それからよたよたと玄関に向かって歩いて行く。

 歩いている時も腰に手を当てているから、すこし心配になる。

「なあ、どうだ? いい考えだと思わないか?」

「うーん、どうしてキサラギジャックは、人に見られたら大人になってしまうの?」

「え? えーと、それは……」

「カメヤキ。回覧板かいらんばんが来たから、帰りに持っていってくれ」

 そこに、玄関に出ていたヤクシのおじいさんがファイルを持ってもどってくる。

「あいよ」

 おじいさんの手から陽平くんの手にファイルが移る。

 ぼくが住んでいるマンションにも回覧板がある。

 同じところに住んでいる人たちにお知らせすることがある時、そのファイルに紙やチラシをはさんで渡していくのだ。



「あれ?」

 回覧板のファイルの表紙を見た時、ぼくは不思議なことに気がついた。

 そこには、この町内に住んでいる人たちの名前が書かれている。

 それはぼくが住んでいるところも同じだ。

 けれど陽平くんの苗字みょうじの『五智ごち』はあっても、おじいさんの苗字『ヤクシ』がない。

「どうしておじいさんの家が書かれていないんですか?」

 そのことを伝えると、2人から意外な答えが返ってきた。

「都会で生まれ育った子にはめずらしいか。ヤクシはヤゴウだから苗字じゃないんだよ」

「ヤゴウ?」

 トンボの幼虫のことかな。

 前に陽平くんから教えてもらったことがある。

「ヤゴじゃねぇよ。ヤゴウだよ。じいちゃん、説明してやってよ」

「あっはっは。部屋の屋に、1号2号の号。それで屋号やごうというんだよ」

 陽平くんとヤクシのおじいさんがたのしそうに笑いながら教えてくれた

「屋号……あ、もしかして、おじいさんが陽平くんのことをカメヤキっていうのも?」

「そのとおり。それが陽平の家の屋号なんだよ」

 カメヤキ。カメって童話『ウサギとカメ』に出てくる、あのカメかな。

 カメを焼くって……カメって食べられるの?

 いくら食べることが好きな陽平くんでも、カメまで食べるとは思えないけれど。

「むかしむかし、陽平の家の先祖は、酒や水を入れるためのカメを作っていたんだよ。それでカメヤキと呼ばれるようになったんだ。ちなみに生き物のカメのことじゃないよ」

「そ、そうなんですか」

 考えていたことをヤクシのおじいさんに言われてすこしはずかしい。

「ヤクシのおじいさんの屋号には、どんな意味があるんですか?」

 はずかしさをごまかすために話を聞く。

「薬の師匠ししょうと書いて薬師やくし。これは、むかしの医者の呼び方だ」

 おじいさんは、ノートに書いてわかりやすく説明してくれた。

「すごい。お医者さんだったんですか」

「あっはっは。ずっとずっと昔の話だよ。ヘビ山に入って薬草をつんで薬を作っていたという言い伝えがあるだけだからね」

「屋号は、ほかにもあるんだぜ。ショウミサとかコマリヤマとかキンベエサとか」

 陽平くんは、スラスラと語ってくれる。

 まるで呪文じゅもんをとなえる魔法使いみたいでカッコイイ。



「でも、どうして屋号ってあるの?」

 本当の名前とはべつに屋号があるのは、なにか理由があるんだと思う。

 もしかして昔の人は、ぼくと同じように苗字がきらいだったのかな。

「昔は、町内に同じ苗字の人がたくさん住んでいたんだよ。でも、同じ苗字ばかりだと、どこがだれの家かわからなくなるだろ? そこで、わかりやすい呼び名を作ることにしたんだよ。それが屋号というやつだ」

 薬師のおじいさんがかんたんに説明してくれた。

 昔の人にも苗字がきらいな人がいたのかと思ったけれど、ちがうみたいだ。

 ぼくの家にも屋号があったらいいのに、とポツリとつぶやいた。

「拓也くんは、自分の苗字がきらいなのかい?」

 薬師のおじいさんの問いかけに、ぼくは小さくうなずいた。

「たしか……灰塚はいづかだったね。なにがいやなんだい?」

「そうだよ。灰塚ってひびきがカッコイイ。それに、灰色もカッコイイと思うぞ」

 今度は、陽平くんも話に入ってくる。

 キサラギジャックのことを話している時のように目をキラキラさせている。

「でも、灰ってゴミをもやした時に出るのこりカスだし、灰色の人生って言葉もあって、あまりいいイメージがわかないんだよ」

 ぼくは、灰をさわったことはないけど、服についたらよごれが取れにくいらしい。

「ほう。よく知っているね。拓也くんは物知りだな。いずれは博士はかせ大臣だいじんか」

「そうだよ、じいちゃん。拓也はすごいんだよ。なんでも知ってるし、通知表の評価も3ばっかりだし、ヘビ山にキサラギジャックがいると考えたのも拓也なんだぜ」

 ふたりがすごくほめてくれるので、はずかしくて頭をさげる。

「拓也くんは、灰が人の役にも立っていることを知っているかい?」

「え? どういうことですか?」

「灰はね、ずっとむかしから野菜を育てる肥料ひりょうになるんだ。うちの畑で育てている野菜も灰をまいて育てているんだよ。この前食べたトマトやキュウリはどうだった?」

「すごくおいしかったです」

 おみやげにもらった野菜を食べた母さんも、スーパーマーケットで買うものより新鮮しんせんでおいしいと言っていた。その日、夕飯に出てきたサラダもすごくおいしかった。

「どんなものにも探したらいいところがあるものだよ」

 たしかに。薬師のおじいさんの言うとおりかもしれない。

 おかげで灰や灰色という言葉へのいやな気持ちがすこしだけなくなった。



「でも、黒田のやつは、生意気なまいきでいじわるでいいところなんてないぜ」

 顔をしかめた陽平くんが横から口をはさんでくる。

「あっはっは。昔はいっしょに遊んでいたのになぁ」

「昔の話だろ。おれは、キサラギジャックがいないというやつとは遊ばない!」

 陽平くんは、プイッと明後日の方向を向いてしまう。

 けれどそれは、キサラギジャックを見つけたらどうなるのだろう。

 もしかして陽平くんは、黒田くんとまた遊ぶためにさがしてるんじゃないかな。

 その人のことが本当にきらいなら、見ることも話すこともいやになると思う。

 それは、ぼくがそうだったから。

 『灰色の人生』を辞書で見つけてからずっと、ぼくは灰という字を見るのも書くのもいやになった。

 けれど陽平くんと黒田くんはちがう。話もするしケンカもするし勝負もする。

 きっとそれは、相手のことをちゃんと見ているからできることだと思う。

「なんだよ、拓也。なんか言いたいことがあるのか?」

 ぼくの視線に気がついた陽平くんがこちらを見た。

「ううん。黒田くんにも、いいところがあるんじゃないかなって」

「あいつにいじわるされてるのになに言ってんだよ。ぜったいに、ない!」

 陽平くんの顔と言い方がおかしくてぼくは笑う。薬師のおじいさんも笑う。

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