第16話
進捗は如何に。
そのような趣旨のことを聞かれた愛美は、返答に困ってしまった。質問者は間藤で、大まかな状況は報告しているため、詰め寄るようなことはしないが、彼も彼なりに立場というものがあるので気が気でないのだ。
「今井くんと連絡とったんですが、ココちゃん完全に塞ぎ込んでしまっているようです」
「そうですか。残念ですが、仕方ありませんね。代替案を出すか、もしくは田辺部長の案を推し進めるか……。んー、考えものですね」思案する間藤は、天井を仰ぎ見た。
「決して我を通すわけではありません。ですが、私はどうしてもあの2人にお願いしたいんです」
「んー、その心は?」視線を戻し、身を乗り出して聞く間藤。
「間藤さんも感じませんでしたか? あの子たちから青春の息吹を」
「青春の息吹、ですか……。じつに抽象的な表現ですが、言わんとすることは分かります。僕も可能であるならば、彼らにお願いしたいですけどね。話が出来ないようじゃ、こちらもお手上げですよ。佐倉さんは確か彼らと直接あったことはないと思いますが、どう思います?」
間藤の隣でパソコンを構えていた佐倉。ゆっくりと手を膝の上に仕舞い、思案する素振りを見せた。そして、徐に口を開く。
「そうですね。私も今回の件を関わらせて頂くに当って、『イマココ』の投稿動画を拝見させて頂きました。恐らく、育ちがいいんでしょう。見ていて、危うさがない。画面の収め方にもセンスを感じますし……。私も是非彼らにお願いしたいという気持ちはあります」
思いのほか饒舌な佐倉。そこに彼女が掛ける思いを知る。
「あー」珍しく頭を抱えている間藤。
「こういうのは即断即決が要なのに、悩めば悩むほど惜しくなってきましたよ。明日の中間報告は何とか乗り切れると思いますが、結局、問題を先延ばしにしているだけ。この際、お金でも積みますか」手立てがない間藤は、投げやりだ。
「いくら吹っ掛けられるかも分からないのに、採算が合いませんよ」佐倉が即座に却下する。
「そうですよね……」
素直に同意した間藤は、大きく息を吐く。話は平行線を辿った。
愛美は机に乗り出して一点を見つめ、間藤は腕を組み虚空を見る。佐倉は佐倉でパソコンを構えたまま画面を凝視しており、三者打つ手なしという様相を呈してきた。そのときである。会議室の扉が開いたのは。
全開させることなく、扉の隙間から顔を出したのは後藤。中の様子を窺い、愛美と視線が合うやいなや、乗り込んできた。
「お疲れ様です、間藤さん、佐倉さん。急いで取引先から帰ってきてよかった——」
図々しくも愛美の隣に腰掛ける後藤は、そのまま話を続ける。
「三枝、第四弾はどうなってんだ? まだ何も報告受けてないぞ」
「すみません。絶賛トラブル発生中でして」
「えっ、そうなの。困ったなー。部長も険しい顔で何も言って来ないし、大丈夫なのか?」後藤は踏ん反り返り、眉を顰めた。居座る構えである。
潜りなりにも一メンバーとされている後藤であるから、建前上、噛んでおかないと道理に叶わないのであろう。居て困るということはないので、愛美も拒んだりはしない。
「私は何も知りませんよ」
「だよな。信用されてないのかな」そう言う後藤であるが、さほど気にしているようには見えない。しかし、愛美が「他人を信用なんてしないでしょ、部長は」と嫌味を漏らしたとき、流石の後藤も口を尖らす。
「オイ。客人の前なんだから、やめろよ。会社のイメージが下がるだろうが」
「すみません、失言でした」稀に見る後藤の叱責に、愛美も喫驚仰天。冷や汗をかく。
「お二人とも真に受けないで下さいね。こいつの笑えない冗談ですので」
「大丈夫ですよ。実力至上主義なもので、イメージに左右されませんから」ニコリと笑って見せる間藤。和ませようと思っての笑みかもしれないが、言葉も相まって愛美は肝を冷やす。側で見ていた愛美がそうなのだから、後藤も嘸かし目を丸くしていると思いきや、当人は笑みを浮かべていた。
「僕、何か変なこと言いましたか?」
「すみません。可笑しくて笑ったわけじゃなくて、その心意気につい……。武者震いみたいなものですよ。まあ、扱いてやって下さいよ、我が部のエースを——」
勢いよく肩を叩かれ、愛美は机に突っ伏した。
「じゃあ、私はお暇します。三枝の状況が聞けたので」
腰を上げ、立ち去ろうとする後藤。それを間藤が呼び止めた。
「えっ、いいんですか?」
言われた後藤は、疑問符を頭上に浮かべている。
「田辺部長から進捗状況の資料を貰ってますけど……。それを確認するために顔を出されたんじゃないですか?」
「いやっ、でも。見せないってことは……」
願ってもないことだが、上司の意向があるのかもと後藤は尻込みする。
「田辺部長には私の方から言っておきますので——。どうぞご覧になってください。佐倉さん、資料出せますか?」
「はい」用意周到な佐倉。間藤が言い終わると同時に、手元にあるノートPCを後藤へと向けた。
翻った体を返し、後藤はパソコンを覗き込む。否応なく、それは愛美にも見えていた。
数字と文字が羅列されており、上部には『見積書』と題振りされている。その左下に総額と諸々があり、右下には会社情報。さらに下を見ると、内訳があった。そこまでは社内統一の仕様なので、理解できるがその先。摘要にある支払報酬料と支払手数料はあずかり知らぬところだった。
分からぬ愛美にとって意味をなさない画面上の文字列。それは後藤にとっても同じと思われた。しかし、実際は……。
「ん?」後藤は眉を歪める。
「どうしたんですか?」
気になり愛美が聞くと、後藤はスッと画面を指差した。
「ここがちょっと気になって」
指の先は、支払報酬料の項目を指していた。支払報酬料と言えば、愛美も芸能人を起用したときに発生する費用と認識しているが、そこまでだ。
愛美には、何が気になるのか分からない。
「ちょっと外します」
そう言って会議室を後にした後藤は、言葉通り、ものの数分で青色の分厚いファイルを抱えて戻ってくる。
置く際、長机が揺れたところを見ると、そのファイルがどの程度重いかが推測された。
ファイルインデックスを頼りに、後藤は一心不乱にページをめくる。そして、「これだ」と呟き、全員が見やすいようにファイルを中央に寄せた。
紙面はパソコンの画面上と同じ仕様の『見積書』で、違うところと言えば作成日と弊社控えであることぐらいだ。
「ここなんですけどね——」
言われて3人は、後藤の指先に視線を向ける。同じく指しているのは支払報酬料の科目で、額も数万単位でしか変化はない。当然それだけで察しの付かない3人をよそ目に、後藤は話を続けた。
「支払報酬料が2万円しか変わらない」
「それは見れば分かりますよ」呟く愛美。
「すまんすまん。説明不足だな。これ11年前の資料なんだが、依頼した芸能事務所が同じなんだよ。グループは違えど、当時絶大な人気を誇っていたグループを起用して、今ほど景気も悪くなかったから、この額なんだよ。でも、今は違うだろ。世間が不景気に喘ぐなか、この額はおかしい。そう思わないか?」
「交渉が上手くいかなったんじゃないですか?」
「だったら優位性がなくなるだろ、部長の案に」
「この2万円っていうのが、破格とか?」
「狡すぎるだろ」
「ですよね––––」
後藤に感化されつつある愛美。聞けば聞くほど、違和感が募る。そこで、一つの仮説が脳裏に過ぎった。
「こんなことをお客様の前でいうのは、本当に憚られるんですが……」
愛美は一同を見回す。
佐倉に表情の変化はなく、間藤は続きを促し、後藤が言った。
「構わん。言ってみろ」
「あくまでこれは仮の話です。ここに記載されている額はブラフで、実はもっと低いとか。それで浮いたお金をどこかに流している。なんてことがあったりして……」
言い終わり、再び愛美は一同に視線を巡らす。
やはり佐倉の表情に変化はない。その一方で、間藤と後藤は同じポーズで眉を寄せていた。
「それが本当なら背信行為だ。あってはならない––––」
太く、低い声で断罪する後藤に、愛美も息を呑む。
「ちょっと確認してみるわ」
善は急げと言わんばかりに、後藤はスマホを取り出し、打ち合わせの邪魔にならないよう隅に移動する。そんな後藤を3人は見送り、さらに仮説を広げた。
「三枝さんが考えているお金の流れ先って、例の配信者ですか?」
「はい。だって、よくよく考えてみると、おかしな話じゃないですか。彼のやっていることって、自分に何のメリットもないんですよ。広告収入はあるかもしれませんが、どう考えても割に合わない。下手をすれば、命を狙われる危険性だってあるんですから。それでもやるのは、やるだけの見返りがあるからじゃないでしょうか」
後藤に負けず劣らず深刻な表情を浮かべる愛美。右手を口元に当て、俯き加減に思案する間藤の返答を待った。
「なるほど。まだまだ仮説の域を出ませんが、筋は通ってる。こうなったら、成り行きを見守るしかありませんね」
間藤は、隅で電話を掛ける後藤に期待の視線を送った。しかし、そんな期待とは裏腹に、かけ直す後藤はスマホの画面と睨めっこを繰り広げている。その最中、不意に扉がノックされた。
「失礼します——」そう言って恐る恐る顔を出したのは、見知らぬ女性。
「システム管理部の者なんですが、後藤次長はおられますか?」
弱々しく今にも消入りそうな声の女性は、終始困り顔だ。
「今、電話中ですよ」
愛美が視線込みで伝えると、これはまた困ったと女性は思慮を深める。
「内々の話でなければ、私が承って後ほど後藤の方に報告させていただきますが」
「ホントですか。ありがとうございます。では、お願いします。えーっと、これなんですけどね」社外の人間を気に掛け、女性は決して中まで入ろうとしなかった。それが意味するところは社外秘の事案であることを愛美は察し、そそくさと歩み寄る。
「セキュリティチェックで社内全体の利用PCを調べていたところ、不審な点がありまして」
「誰かいかがわしいサイトでも見てたんですか?」
「いえいえ、そうではなくて。ここ数日間で、このPCの利用頻度が増えているので、何かあったのかな、と思いまして」
真新しいクリアファイルに綴じられた資料に視線を落とすが、素人の愛美には一切分からない。ご丁寧に蛍光ペンでラインも引かれているが、同じ型番が並んでいることしか理解できなかった。
「それで、誰のPCなんですか?」
「青葉渚さんのものです。確か休職されてましたよね?」
突如として、仮説が真実味を帯び、点と点が繋がりつつあった。
欲に抗えない愛美。思わず女性の肩を掴む。
「そのPCの用途は分かりますか?」
「検索履歴なら」愛美の勢いに押され、女性は引き気味だ。
「ではお願いします——」
願ってもない好機に、愛美は目を輝かせる。振り向き、手持ち無沙汰の二人に宣言した。
「作戦会議です」
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