第13話

 待ち合わせるうえで、よく用いられるのが喫茶店というは紛れもない事実であるが、大学生時代に純喫茶巡りが趣味という如何にもな友人がいた。休日にもなると突然スマホが鳴ることはしょっちゅうで、よく散策に付き合わされたのを愛美も憶えている。

 だから、当時愛美は少しでも友人に歩み寄ろうと、近所にあったお店を紹介した。そして、いざ来店してメニュー表を開けた瞬間、友人が震えだしたのだ。それがセミの鳴く季節ということもあり、冷房の効きすぎかと、給仕をするウェイターに口添えしようと思ったが、友人の「何なのこれ」という声に言葉を喉で止めた。

「アルコールがあるじゃない」静かに激昂する友人に、愛美は目を丸くしていた。

 曰く、「私が行きたいのは純喫茶であって、カフェ、喫茶店の類じゃないの」

 要領を得ない愛美。そんな愛美を見て、友人は制止も聞かず、朗々と純喫茶とその他の違いを説き続けた。彼女は決して対外的に謳っていたのではなく、極めし者だったのだ。

 とは言え、それが評価されるわけもなく退店時「金輪際来るな」と釘を刺されたが、それはもう過ぎた話である。

 時折なるベルの音が愛美に、昔を想起させていた。

 そして、またカランコロンとベルが鳴る。その回数三回目。最早、確認するまでもなかったが、それでもコーヒーを口にする際に、自然と視線が入店者に向く。老夫婦だった。やはり待ち人ではなく、彼らに落ち度がないにも関わらず、愛美は一方的に落胆した。

 いよいよコーヒーもなくなり、手持ち無沙汰に陥る愛美。やることと言えばカップに付いたリップを取ることぐらいで、そのぐらいでは大して時間の経過はみない。結局、用もないスマホを弄る羽目になった。

ニュース配信アプリを立ち上げ、直近のニュースに目を通す。世界では戦火に民が泣く一方で、日本では動画サイトに芸能人の暴露動画をアップしている配信者が騒いでいる。

その長年の平和を喜ぶべきか下らない大人が跋扈していることを嘆くべきか、どっちつかずで複雑な心境の愛美は、今一度腕時計に視線を落とす。待ち合わせ時間まで残り十数分という時、不意に四回目のベルが鳴った。

幾度となく落胆させられた愛美は確認することもなく、視線をスマホへと戻す。

記事によると、タレントである神崎ゆう(24)の恋愛遍歴が暴露されたとのこと。清純が売りの彼女であったが、とんだ阿婆擦れだと誹謗中傷が殺到しているらしい。

いい年した大人が、二十歳そこそこの女の子をつかまえて……。

愛美はため息を漏らした。

「ホント平和だな、日本」

「この上ないことじゃないですか」

 誰かにいった訳でもない言葉に返答がある。それに驚かない訳がない。ドキリと肩を震わす愛美が見上げると、そこには愛美が今一番会いたい顔触れが揃っていた。

「あっ、すみません。先に頂いてしまって」

 慌てて体裁を整える愛美。思わず立ち上がろうとするが、それを間藤は手をかざして制止した。

「いいですよ。気にしないでください——。二人掛けしかないのか。じゃあ、お二人はそちらにお願いします」そう言う間藤は、愛美の正面に腰掛け、残り二人は隣に座った。

「二人も、ごめんなさい。部活終わりなのに」

「全然いいですよ。どうせ、私たち夏休みだし。ねっ、今井君」

「ああ」

 じつに対照的なふたりであった。

「改めまして、三枝です。今回は急遽な話にもかかわらず、引き受けて頂きありがとうございます」形式を省き、名刺を手渡す愛美。

「私たち、名刺持ってないんですが」

「いいですいいです。名刺を持ち歩いている高校生の方が珍しいんで」

「よかった——」胸を撫でおろすジャージ姿の少女。

「DMもそうだし、見た目もそうだけど。三枝さんって、もっと規律とかに厳しいイメージがあったんで」

「そうかな?」愛美は視線で間藤に意見を求めるが、ただ口角を上げるだけで何も言わなかった。

「あくまで過去の話ですよ。企業に勤めている人が、私たちみたいな子供に対して、あんな丁寧なメールを送るなんて思わなくて、私と今井君で怖い人だったらどうしよって話してたんですよ」

「そうだったんだ。ごめんよ。もっとラフな感じで行けば、無駄な気遣いさせずに済んだのに。仕事相手だし、何より初対面だったから。ついね」

「謝らないでくださいよ。だって、私たちを対等に見てくれたってことですよね」

「それはもう。ちゃんとした倫理観で配信活動をして、あれだけの登録者数を抱えてるんだから。仕事相手として申し分ないよ」

「ありがとうございます。うれしいね、今井君」

「そうだな」

「DMでは話を聞きたいとだけ送ってましたが、正式に案件を受けようと思います。私は『イマココ』の橘こころ、そして、彼が今井怜。二人共ども、よろしくお願いします」

 橘が手を差し伸べ、愛美もその手を握った。次いで、今井とも堅く握手。

「こちらこそ、よろしくお願いします。とまあ、積もる話はあるけど、まずはご飯にしようよ。二人とも、ご飯まだでしょ? 間藤さんもまだですよね?」

「そうですね。腹が減っては戦ができぬ。ここは僕のおごりです。好きなもの頼んでください」

「やったー」

橘は両手を上げて喜び、今井はテーブルの下で小さくガッツポーズをしている。やはり、対照的な二人だった。そんな中、もぞもぞと肩を揺らす愛美。

「それは私も含まれてますか?」

「もちろん」

間藤は柔和な笑みを浮かべているが、彼はまだ知らない。それが自分の首を絞めていることを。食べ盛り尚且つ部活終わりの高校生が、食欲の権化と化すことを。

「やった。ほらっ、頼も。二人とも」その声を合図に、2人はメニュー表を開く。

 料理名を前に、2人が目を輝かすのが分かった。さながら餌を見つけた猛禽類である。

「えーっと、オムライスとフライドポテトとオニオンスープ、私は以上です」

「俺は、カレーライス大盛りと唐揚げ、フライドポテトLサイズに同じくオニオンスープでお願いします」

「りょ……」間藤が言いかけて、今井に口を挟む。

「いやっ、ちょっと待ってください。フィッシュ&チップスというのもお願いします」

「う、うん。了解––––」間藤の口元が、引き攣っているのが見て取れた。

「それにしても今井君、よく食べるね」

「体づくりの最中ですから」

「なるほど。それは食べないといけないね。それで、三枝さんは?」

思い過ごしかもしれないが、間藤の瞳には些か圧を感じた。

「私は普通サイズのカレーライスをお願いします」

「分かりました。すみません」カウンターに向かって、手を挙げる間藤。間もなくウェイターが来ると、オーダーをメニュー表も見ずに詠唱した。

「承知しました。お時間いただきます。お寛ぎの上、お待ちください。お水はセルフサービスとなっておりますので、ご了承下さい」

 一礼し、ウェイターは下がっていった。通常なら「少々お待ちください」というところであろう。しかし、品数が品数なだけに少々には収まらないのも事実で、確認してへこへこするわけでもなく、お客様は神様という精神に囚われないところに、店の自信を愛美はみる。

「私たち、とうとう会社に求められるような人間になったんだよ、今井君」

嬉々として橘は訴える。対して、今井はローテンションだ。

「よかったな、ココ。また夢に一歩近付いたじゃないか」

 瑞々しく語り合う2人は、まさに恋人のそれで。自身の過去に、望みながらもそういった経験がなかった愛美は、ふたりを羨望の眼差しを向けた。

「なんかいいね。青春って感じで」

「何ですか、愛美さん。おばさんみたい」

「おば、おば、おばさん」動揺が隠しきれない愛美。

 アラサーとは言え、まだ20代である。そんな愛美に対して、おばさんとは失礼千万。愛美は抗議した。

「私、まだ28なんだけど」

「三枝さん––––」間藤は諭すような口調だ。

「この子達にとって40も28も変わらないんですよ。そんなに目くじら立てずとも、年長者の余裕を見せていきましょうよ」

「なにやら余裕ありげですね、間藤さん。そういう間藤さんは、おいくつなんですか?」

「31です」

「おじさんじゃないですか」打てば響く受け答えの愛美。

「そう言われると思って、三枝さんをフォローしたのに……」

「愛美さん、空気読めなーい」

悪戯っ子のように、屈託のない笑みを浮かべる橘。無邪気に笑う彼女に、愛美も強く出ることができなかった。

「これ、私が悪いのかな」

「悪いとは言ってませんよ。言ってはいませんが、パートナーとしては察してもらいたかったなとは思います」

「えっ、パートナーって。お二人結婚されてるんですか?」コロコロと表情を変え、百面相を繰り広げる橘は、驚愕していた。

「今のは言葉のあやだから」弁明する間藤は至って冷静である。

「なーんだ、つまんない」

 唇を尖らせ、ふてくされる橘。しかしながら、不思議と嫌味は感じられない。

彼女が変える一つ一つの表情がすべて年相応で違和感がなく、愛くるしいとも思える。それが、橘という少女がSNSで幾万という支持者を抱えている所以の一つなのかもしれない。

「そう言う二人はどうなの? アベックなんでしょ」

 橘と今井は見合い小首を傾げ、愛美も同様に首を傾げた。

「聞こえなかった? アベック……」

「三枝さん、今どきの子にアベックなんて言っても通じませんよ。コンペの資料では普通にカップルって、書いてたのにいきなりどうしたんですか?」

「ちょっと知的なところでも見せようかなと思って」

「知性を披露するのに、死語を使ってどうするんですか。最近だとカップルも言わないそうですし、今だと確か——。彼ピとか、好きピって言うじゃなかったっけ」

「そうですね。私の周りだと、そう言ってる子たちが多いです。でも、カップルって言ってる子もいますよ。アベックはいませんけど」

「もう。大人を弄るんじゃありません」

 隣で意地悪そうに笑う橘を、愛美は軽く小突いた。

「だって愛美さんって、大人っぽくないんだもん」

「それ、尚悪くない?」

「違いますよ。それだけ親しみやすいってことですじゃないですか」

「会った時は、厳しい人って言ってたくせに」

 大人気なく言及する愛美。言われた橘は、「それは……」と言い淀み、見かねた間藤が助け船を出した。

「その辺にしたらどうですか? 緊張してガチガチでいられるより、余程いいでしょう」

「そうですよ––––」形勢逆転とみた橘は、途端に元気を取り戻し、ここぞとばかりに反論する。

「私が愛美さんを怖がって、この件を断ったらどうするんですか?」

「それは困る。絶対にやめてね」愛美は橘に詰め寄り懇願したが、正しく伝わったかは定かでない。

「じょ、冗談ですよ、愛美さん。言ったじゃないですか。今回の案件は、夢を叶える一歩になるって」

「言ったのは、俺だけどな」

「もう、今井君は口を挟まないで」

今井にお茶目な笑みを向ける橘。しかし、向き直って愛美に視線を戻したころにはその表情も一変、真剣さそのものだった。思わず愛美も息を呑む。

「だからさ、愛美さん。断るなんてありえないよ。絶対にね」

 ニコッと口角を上げ、橘は無垢な笑みを浮かべた。

「ならよかった」警戒心なく、愛美は笑みを返す。

 邪念を感じない橘の表情に、疑いをひとつも抱かなかった愛美。

その日、間藤の財布から1万円近くの食費が飛んだのと時を同じくして、橘も飛んだ。

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