第12話

 これまでの人生において、これほど緊張したことがあっただろうか。初めて緊張という感情を知った小学生時代の学芸会。高校生時代、友人に誘われて即席バンドを組まされた文化祭。好きだった先輩に告白した時でさえ、これほど緊張はしなかった。

 第四弾の販促CMのコンペティション決定から2週間弱。即日決定の旨が社員共有のサーバに文書データとしてアップロードされたが、蓋を開けてみれば一人として手を挙げるものはいなかった。工藤曰く、「成績上げろの内が、他人の案件に手出しする暇なんかあるはずないじゃない」とのことらしい。

 結局、田辺との一騎打ちになってしまった愛美。その企画書の制作は、思いのほか難航するのだった。スポーツドリンクを売るに当たって、夏場ということもあり一定数の売上は見込めたが、その魔法も永続的ではない。いずれ解けてしまうというのが世の常だ。だとしても、先方はさらなる売上をご所望である。それ即ち、既存の大手飲料メーカーと差しでやり合わなくてはいけないということだ。醸造業を主とするメーカーが参入して生き残れる余地など、最早無いに等しい。

 今愛美の手元にあるのは、理屈3割、理想7割の企画書。その無いに等しい僅かな隙間を突くのが、企画書に込められた7割の理想だった。

 各席に資料を配り終え、定位置に戻った愛美は、息を吐く。

「それにしても、何で大会議室なんだろう」だだっ広い部屋を前にして呟く愛美。

 コンペ参加者は1人もおらず、メンバーの変更も聞いていない。ならば、以前使用した会議室で事足りるはずなのだが、今朝になって間藤から広い部屋はないかという連絡を受けた。有るには有るが、滅多に稼働しない大会議室。好景気当時に建造されてものなので、やたらと荘厳な内装となっていた。

コンペ開始まで残り15分。緊張は募るばかりだ。資料を改めて読み込んでも、開き直って項垂れたとしても、心落ち着くことはない。そんな時に最初にやって来たのが、田辺である。資料を携え、肩で風を切っての登場だった。

 愛美は軽く会釈するも、見向きもしない。

 U字に並べられて机に資料を並べるわけだが、U字の開いた部分には大型のモニターがあり、出入り口付近には愛美が腰を据えている。心意気としては、居る人間から配るというのが好ましいはずだ。しかし、そこは田辺である。愛美がいるのにも関わらず、反対側から配り始めたのだ。

 今となっては、そんなことでヤキモキすることはなかったが、愛美の資料を置く際に、些か投げやりだったのは流石に込み上げてくるものがあった。

 それが開始10分前のことだ。その頃になると、関係各所の人間達が続々と入ってくる。

 後藤をはじめ、間藤に佐倉。あと、見知らぬ男性。そして、弊社本部長。さらに知らない女性。その段階になると愛美も広い部屋である理由は理解したものの、未だに状況の把握には至らなかった。

開始まであと数分という時、もう入室者はいないと判断した愛美は、資料の最終チェックに努めていた。すると、隣の席に着いた後藤に耳打ちされる。「すまん」とだけ。何のことか分からず、当然首を傾げた愛美。聞き返そうと口を開くも、出入り口の扉が開く音に意識が持っていかれた。

死角故に入室者の姿は見えていない。しかし、前方に座る間藤達が次々に起立するのを見て、只々違和感を覚える。それに吊られるように後藤と田辺も立つものだから、いよいよただ事でないと気付いた。

愛美は同調圧力に負けてゆっくりと腰を上げる。参加者が漏れなく向いている扉の方へと視線を向けた。この時ばかりは、愛美も自分の察しの悪さを呪う。上座が空席、大会議室の使用、上役の参加。これらが導き出す答えとは……。

「おはようございます。社長、源会長」我先と田辺が、会議室の雰囲気を切り裂く。

 続いてまばらに声を発する者もいたが、大抵は頭を下げるだけである。例を漏れず、愛美もそうだった。

「おはよう、諸君」野太い声が、貫禄を表している。弊社社長だ。

次いで、「ホッホッホッ——」と陽気に笑う年配の声。顔は分からないが、それが源会長とやらなのか。何の気なしに軽く顔を上げて、声の主を窺う愛美。その正体を見て、愛美ははっとする。いつぞやのご老人ではないか。

「しっかりしておられる。ちゃんと礼儀がなっておるの、神戸君」

「恐縮です」

 二人は愛美の脇を過ぎ、上座に腰を据える。それを確認した一同は、誰からともなく座り始めた。

「じゃあ、始めてくれるかの。部長」

そう言ったのは源。視線の先には、田辺ではなく、間藤がいる。

「は、はい。会長——」分かり易く狼狽える間藤。そんな彼の姿を見たことない愛美は、絶滅危惧種を見た気分だった。

「では、定時となりましたので、始めたいと思います。本日は関係各所の皆さん。お集まり頂き、ありがとうございます。今回はワールドスクエア様からご提案を頂きまして、絶賛発売中のスポーツドリンク『ユースシャイン』の第四弾販促CMをコンペによって決定したいと思います。奮って参加者を募ったのですが、生憎皆さん忙しいということで、応募総数は2となりました。

それでは、少数精鋭のお一人目。三枝愛美さんよろしくお願いします」

「は、はい––––」飛び跳ねる愛美。人のことは言えなかった。

「ご紹介に与りました、三枝でございます。さらなるユースシャインの販売促進を図るため提案させてい頂きますので、何卒宜しくお願い致します」

 愛美は軽く頭を下げた。

「私が今回提案させて頂くのは、“購入シーンを増やす”ということです。今までのプロモーションだと、どうしてもスポーツ時に飲むというイメージしかありませんでした。それを刷新したいと考えております。

ズバリ、コンセプトは『それは好きの証』です。いつの時代も、青春においてスポーツと双璧をなすのが、恋愛です。あるデータによりますと、高校生の4人に1人が恋人持ちとのことです。それをターゲットとして、狙わない手はないと思います。

皆さんも思い返してください。ありし日のことを。甘酸っぱい日々のことを。

憧れの先輩、クラスのマドンナ、可愛い後輩と一緒に行った夏祭り。疲れて座る彼氏彼女。その熱る頬に冷えた飲み物。受け取ると、そこには「好き」の2文字があったなら。ドキドキしませんか?」

緊張しているとは言え、そこは歴戦の社会人である。ぎこちなくとも視線を巡らせ、愛美は漏れなく訴えかける。隣で肩を揺らしている者もいるが気にしない。

「それでCM制作に当たっては、『イマココ』のお二人を起用しようと考えております。私からは以上です」

「ありがとうございます、三枝さん。それでは質疑応答に移りたいと思います。どなたかございますか?」

 間藤が言い終わると同時に、2つ隣の人間が手を挙げた。

「田辺部長、どうぞ」

「はい––––」

 思わず表情が強張る愛美。そんな表情を見せまいと、意識だけを田辺に向けた。

「私からは2つ。1つ目は、起用するタレントの件。この『イマココ』とは一体誰何ですか? こんな無名なタレント聞いたことがない。そして、2つ目はコンセプトに関して。何だっけ……。あー、はいはい。浴衣の彼女が、男の頬に容器をピタッ。男が『冷たっ』。そして、ラベルを見ると好きの文字。何だそりゃ。こんなチャラチャラしたもんで、物が売れるかよ。そもそも、これだとユースシャインである必要ないだろ」

 資料を机に投げ捨てる田辺。言うまでも無く、場の空気は冷め切ってしまう。しかし、それでも進行役である間藤は仕切らなければならない。至って冷静に、且つ窘めるように間藤は言った。

「ありがとうございます。ですが、ここは公の場ですので、言葉遣いには気を付けてください」

「すみません」

 見ないようにしていた愛美でさえ、それは思わず視線を向けざるを得ない。あの田辺が謝罪をするなんて。どんな顔をしているのか俄然興味が湧いた愛美。そろりと視線をやると、表情に変化はなく、一点を見つめている。だから、気にも留めていないかと思ったが、決してそうではない。

周囲の人間にしか分からないように、しっかりと怒りを露わにしていた。

「それでは、三枝さん。返答をお願いします」

「はい。まず、貴重なご意見ありがとうございます。一つ目のご指摘ですが、『イマココ』のお二人はSNSで活動しておられるカップルで、フォロワー数が1万人を超える、所謂インフルエンサーと言う方達です。彼らの発信は影響力もありまして、確認したところファッションを真似たり、行動を真似たり、今中高生を中心に人気なんです。

続きまして、二つ目の好きと書いてあるなら『ユースシャイン』である必要はないというご意見ですが、私が挙げたのは分かり易くするための例であって、目指すのは(ユースシャインを渡す)=(好きだ)というイメージです。奥ゆかしい現代の子には一役買うツールとなるのではないかと思います。如何でしょうか?」

「ならそう書いとけよ」

あくまで間藤に聞こえない声量で呟く田辺。次に間藤から「田辺部長、如何ですか?」と聞かれた時には、打って変わって作り笑顔で「分かりました」と答えるのを見ると、愛美は改めて性根を疑う。

「でしたら、続いては少数精鋭二人目の田辺部長です。よろしくお願いします」

「はい。私が提案させて頂くのは、三枝のように不確かなものではありません——」開口一番、ケンカ腰である。

「第四弾のCMには、今をときめくアイドルグループ『ハレルヤ』を起用したいと考えております。彼らが歌って踊って、『ユースシャイン』を飲む。そして、目玉は次です。購入者特典として、握手会参加の応募サイトへアクセス可能なQRコードを同梱します。これでファンが殺到するでしょう。私からは以上です」

 視界の端に田辺が見ているのを取られていたが、愛美は見ようともしなかった。自慢げに見下げているに違いないから。

「ありがとうございます。では、質疑応答に移ります。どなたかございますか?」

 見渡す間藤。しかし、手を上げる者は一人もいない。確かに、その案なら購入者数増が見込める。田辺の言う『ハレルヤ』は日本を代表するアイドルグループのひとつで、毎日のようにテレビCMで見ることができる。広告塔として起用するのは的を射てはいた。課題がないわけではないが……。

「じゃあ、僕から一ついいですか?」間藤が自ら挙手をしている。

「どうぞ」と端的に田辺。

「広告に『ハレルヤ』を起用するとありますが、大丈夫ですか? スケジュールや費用の面は?」

「それならご安心ください」大層、自信あり気である。

「彼らの所属するプロダクションとは昔から懇意しているので、ある程度の融通は利いてもらえるとのことです」

「そうですか。ならいいです。失礼しました」

「いえいえ」田辺のしたり顔が目に浮かぶ愛美。

「では、すべてのプレゼンが終了したということで、最終確認を致します。お二人の案に対して、ご質問はありませんか?」

 間藤が視線を巡らすも、やはり手を上げる者はいなかった。

「分かりました。質問はないとのことなので、採択のほうに移りたいと思います。良いと思った案の方に挙手をお願い致します。では……」

 そう間藤が言いかけた瞬間、間の悪い者がいた。

「ちょっと、いいかのう?」

「どうされましたか、会長。質問ですか?」

「違うわい。提案じゃよ、部長。この際、ふたりの案を採用してみるのはどうじゃ? 宣伝するのに、バリエーションはいくらあってもええじゃろ」

「会長がそう言われるなら、僕、すみません。私に異論はございませんが」言葉とは裏腹に困惑している模様の間藤。

「そうか。神戸君はいいかの?」

「全権は源さんにあります」

「なら、決まりでええの。では頼むぞ。田辺部長、それとお嬢さん」

 お茶目にウィンクを飛ばす源。そのおかげで、関係を探るような視線を一同から向けられた愛美は、ただ苦笑いするしかなかった。

 その天の声によって、コンペは幕引きとなる。周囲がどよめく中で、愛美はひとりスマホを取り出した。SNSのアプリを起動すると、お気に入り登録をしておいた『イマココ』のアカウントへとアクセス。右上にあるメールをタップするのだった。


 突然のDMをお許しください。

 私は株式会社ワールドスクエアの三枝愛美と申します。『イマココ』様の日頃の活動を拝見したところ、我社が手掛ける『ユースシャイン』の販促CMに抜擢したいと思い連絡させて頂きました。スケジュールは密になるとは思いますが、それ相応の報酬も用意させて頂きますので、何卒宜しくお願い致します。


株式会社ワールドスクエア 営業兼企画部 三枝愛美

Eメール ○○○○○○@△△△△△△

電話 ○○○-○○○○-○○○○

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