第11話
それは終始、音質が悪く、ノイズ混じりのものだった。
「お前、なにスマホ触ってんだよ」
「すみません」
「すみませんじゃねえよ。なんで触ってんだって、聞いてんだよ」
「すみません」
「ったく。それしか言えねえのかよ。俺の顔に泥塗りやがって。どう落とし前つけてくれるんだよ」
「すみません」
「何度も同じこと言わせんじゃねえよ」
盛大なノイズとともに、何度も謝罪を口にする青葉。その声は、少し震えていた。
「……くそっ。お前、ホントに使えねえな。土下座でもするか?」それは、あくまでも問い掛けではなく、威圧である。
「それは、ちょっと……」震える声であるが、青葉のプライドは折れていないようだ。
しかし、その後も田辺は、辛酸をなめることを強要し続けた。それは実に聞くに堪えないもので、青葉に至っては鼻を啜っている。それでも、田辺は執拗に攻めた。
ついに青葉も心が折れたのであろう。飛び交っていた罵詈雑言は止み、静寂が訪れたと思った次の瞬間、シャッター音が鳴った。
「どうしたんですか、三枝さん?」
その穏やかな声に、愛美は我に帰る。
「えっ?」
「怖い顔してましたよ」怪訝な面持ちで、間藤が愛美を見ていた。
「いえっ、何でもありません」
そう言う愛美であるが、表情は浮かない。三夜過ごした今でも、不意に音声が脳裏を過ぎることがある。それは田辺を見ると尚更で、意図せず眉間に皺が寄った。だとすると、今日は愛美にとって、正念場と言えよう。非道の限りを尽くした田辺が、視界の中で笑顔を振り撒いているのだ。そのストレスたるや、耐え難いものだった。
場所は都内のとある高校。第三弾のCM撮影真っ只中である。コンセプトは『青春色 サッカー編』。夏のスポーツドリンクを販売促進するのにありがちな、高校生を主人公にしたストーリー仕立てのものであり、バスケットボール編、ラクロス編から続いている。
貸し切られた校庭では本校の生徒に加え、企業サイドが依頼した先輩役と後輩役が擬似的に青春を謳歌していた。その片腹で、汚い大人が暗躍している。
先輩役、後輩役を務める俳優は今をときめく二人。汚い大人は、その事務所とコネを作ろうと必死だ。頻りに話掛けたり、飲み物が無くなれば即座に注いだり、忙しく動き回って落ち着きがない。
「それにしても、醜いものです」現場を眺めつつ、間藤は呟いた。
第一印象が良好な間藤からそんな言葉が出るとは、愛美も驚きだった。
「何がですか?」
「あの方ですよ——」言うまでもなく、視線の先には田辺。
「あれじゃ、腰巾着じゃないですか。社を名乗ってこの場にいる以上、広告塔は当人であるはずです。もっとスマートにしないと、ただ品位を下げるだけです。まあ、部外者である僕が言うのもなんですが、目に余るものだったのでつい。……気に障りましたか?」
「いえっ」
「だと、思いましたよ。あの現場を見てしまったらね。本当にあの方、もっと三枝さんに感謝した方がいいと思いますよ。危うく契約解除するところだったんですから」
「そうだったんですね」上手い返事が思い付かない愛美は、差し障りのない言葉を返した。
夏の陽光が差し、じりじりと髪を焼いている。校庭の端に木陰はあるものの、眼前で汗水垂らす若人を目にすると、どうしても憚れる。救いとなっているのは、常時吹いている涼風があることだけだ。しかし、それだけでは耐え切れない。だから、愛美は気を紛らわすために話を振った。
「私、間藤さんって、もっと温厚な方だと思ってました」
「その口ぶりだと、僕が温厚でないと言いたげですね?」言葉に微細のとげを感じる。
愛美は間髪入れずに首を垂れた。
「失言でした。すみません」
「頭なんか下げなくていいですよ」そう言ったのは間藤ではない。傍でタブレットを操作している佐倉であった。
「本気で言っているわけじゃないんですから。この方はいつもそうなんですよ。流せばいい会話も丁寧に拾ってしまうので、話が拗れる。それでいて弁明もしないので、尚悪化。結局、私がフォローする羽目になるんです」
「佐倉さんは、本当に人聞きが悪いですね。僕ほど博愛主義な人間はいないと言うのに」
「ことを荒立てておいて、何が博愛主義ですか」その言葉で愛美は、今日の佐倉が一味違うことに気づく。それが素なのか、暑さのせいなのかは定かで無いが、少なくとも言葉にキレがあるのは事実だった。
それでも間藤が表情一つ変えないのは、二人の関係性がしっかりと形成されているからであろう。お互いに視線を交わすことなく語る姿を見て、愛美は思った。
校庭で行われている撮影もテイク4に差し掛かっている。クオリティに拘った結果、制作陣からは高評価の声が上がっていた。
そして、再び校庭に響く、監督の「カット」という声が。それが合図となって、制作陣でない者まで機器の周りに集まり出す。愛美達も例外ではない。
「では確認しに行きますか」
呟く間藤を皮切りに、愛美、佐倉が連なって機器周辺へと歩を進める。
すると、間藤がちらりと視線を向けて言うのだった。
「期待してますよ。三枝さん」
言い残し、間藤は一員として加わる。真意までは分からず愛美が複雑な表情を浮かべていると、「お願いします」と佐倉に涼しい顔で会釈をされた。
本当にそうなのかと、自問自答する愛美。
仮にそれが本当なら、千載一遇のチャンス。愛美は小さく拳の握った。
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