第10話
「この度は、弊社青葉が多大なご迷惑をお掛けしたにも拘らず、寛大なお心遣いを賜りまして誠にありがとうございます。前任の青葉は自己都合により、休職いたしましたので、代打として担当させていただきます、三枝愛美と申します。よろしくお願いします」
息継ぎなしで言い切った愛美。文言の非礼に加え、自身の醜態の分、愛美はより頭がさがる。その角度90度。手には名刺があった。
「これはこれは、ご丁寧に——。源酒造株式会社、間藤和久と申します」
見ると、間藤も同様に名刺を差し出していた。
「頂戴致します」
至ってシンプルなデザインの名刺。左上には社名、中央に名前、右下には会社情報と連絡先が記載されており、注目すべきは名前の上にあった。
「部長をされておられるんですか、すごいですね」
言われ慣れているのか、間藤は照れる素振りをまったく見せなかった。
「全然、そんなことないですよ。僕なんか、親の七光りですから」控えめに言う間藤だった。
この方、『親の七光り』という人間と実際に関わりがなかった愛美である。印象としてはテレビで見る芸能人の息子、娘というのが最初に脳裏に浮かぶが、間藤からはそういった印象を受けなかった。出で立ち、動作、声音から育ちの良さが滲み出ている。
同じ立場というのに、どうしてこうも違うのか。潜在的な物なのか。それとも後天的な物なのか。それを知る由はなかった。
「僕なんかだなんて。部下の方達が、悲しまれますよ」
「そうですよ」ここぞとばかりに後藤が口を挟む。それでも、間藤は表情一つ変えない。
「そんな間藤さんを慕って付いてこられてるんですから。そうですよね、えーっと……」
後藤は佐倉に話を振る。
「佐倉絢香です」さすが間藤の部下と言ったところか。涼しい表情を崩さない。
パスで機会を得た佐倉。上着のポケットから長方形のケースを取り出すと、愛美、後藤の順で簡易的に名刺を交換する。そして、「そうですね」と話を戻した。
「部長には、もう少しドシっと構えてもらいたいものです」
「いやはや、部下に言われてしまったら、僕も立つ瀬がない」
「謙虚なことは日本人の美徳ですが、度が過ぎるのも考えものですよ––––。申し遅れました、次長の後藤和也です。よろしくお願いします」屈託のない笑みを浮かべる後藤であった。
「自己紹介はその辺にして、そろそろ始めませんかね?」手持ち無沙汰の田辺が、貼り付けたような笑顔を浮かべながら言った。場を荒立たせないための笑みのはずが、おおよそ効果を発揮にしていない。
「そうですね」
田辺を見るやいなや、間藤の表情から感情が消える。態勢が仕事に変わったのだろう。徐に歩を進めると、定位置があるのか迷わず席に着いた。
会議室において座る位置にもマナーがあると聞いたことがある。長机を中心に置いた時、入口から見て一番奥が上座。そこから順々に立場が下がっていく。それを知ってか知らずか、間藤は一番奥の席に座った。だから、愛美もそれに倣って、間藤の左斜めの席に着く。後藤は愛美の右隣りに着き、止む無くといった風に田辺が左隣りに着いた。すこし席をずらして。
そして、佐倉が間藤の左隣りに着いたところで、会議が開始された。
先陣を切ったのは田辺。
「改めましてお二人とも、本日はわざわざご足労頂きましてありがとうございます。今回は、源さんの方からお声掛け頂きまして、ガチガチの打ち合わせというよりも、新規メンバーもいるということなので、顔合わせの意味も含めての会ということでよろしかったですよね?」
「はい。それで構いませんが、新規メンバーは三枝さんだけと聞いていたんですが、後藤さんも追加ということですか?」
「いやっ、こいつは……、何でいるんだ?」不本意ではあるが、その問いには愛美も同意する。
「何言ってるんですか、部長」後藤は声高々に言った。
「後学のために決まってるじゃないですか。勉強させてくださいよ」
大層なことを口にしてはいるものの、表情とが噛み合っていない。本心とは別に何かあるような……。それが、愛美の念頭にあるものだとしたら、その含みのある表情にも期待が持てた。
「俺の一存じゃどうしようもねえよ」
難色をつける田辺は、間藤に視線を向けた。
「やはり部外者がいるのはマズいですよね」一見するとそれは、お伺いを立てているようにも聞こえる。
しかし、実際はどうだろう。異分子を排除したくて仕方がないのかもしれない。少なくとも、顔にはそう書いてあった。同部署の人間であれば、知慮を尽くさなくとも圧力で伏せることもできるが、ここは牙城であって牙城であらず。
浅はかな考えは通じなかった。
「僕は構いませんよ。意見は多くあった方がいいので。佐倉さんもいいですよね?」
「はい。異論はないです」
「……お二人がそう仰るのであれば、このまま続けます」言葉とは裏腹に、田辺は残念そうにしていた。
「販促CM第一弾のリリースから約1か月ですが、売れ行きの方は如何ですか?」
「まずまずといったところでしょうか」
「まあ、第一弾なんで、これからブラッシュアップしていけば、売り上げも右肩上がりですよ」
「ならいいんですけどね」
「それで、第三弾の件なんですが……」間藤の言葉を気にすることなく話を続ける田辺であるが、柄にもなく言い淀む。
「心配なさらずとも、承認は下りてます。なので、スケジュール通りに進めて頂いて、結構ですよ」
「そうですか——」安堵して田辺の感情も高ぶれば、トーンも急上昇する。顔もニヤけていた。
「ありがとうございます。一時はどうなることかと思いましたよ。発注書の記載ミスで関係がおじゃんになるなんて、目も当てられませんからね」
「いえっ、大したことはしてませんよ。会社の名を背負うからには、万が一が合ってはいけません。リスクヘッジは当然です。それよりも、未来の話をしませんか」
「えーえー、その通りだと思います。さすが、間藤社長の御子息。人ができていらっしゃる」
絵に描いたような胡麻擂り。機嫌をとるためのものと思われるが、見え見えな画策は却って逆効果を生みかねない。間藤は表情をそのままに、愛美へと話を振った。
「ところで三枝さんの方は、今どういった状況か把握しておられますか?」
急なパスに愛美も、「えっ」と答えに詰まるが、頭を悩ませる程のことは聞かれていないことに気付く。
「はい」すかさず答え、一人を除いて、愛美は複数の視線を担った。
「スケージュール通りでしたら、たしか3日後に撮影、13日後にプレスリリース開始。それと並行して、第四弾に向けての打ち合わせでしたよね?」
「ええ。問題ありません。それで、3日後の撮影は何方が同行されるんですか?」
「それはですね——」嬉々として田辺が口を挟む。
「青葉を抜いた、いつものメンバーに加えて、三枝と……」ゆっくりと田辺は後藤へと視線を向ける。同行するか否かの確認のためだ。
御高説通りなら、有無を言わさず首を縦に振るはずだが、やはりそこは後藤である。「その日はちょっと」とあっさり断った。
「と言うことは、3名ですね。分かりました。三枝さんは、撮影現場のご経験はお有りで?」
「何度か立ち合わせて頂いたことがあるので、勝手は知ってます」
「なら安心だ。……と言っても、我々にできることはほとんどありませんけどね」
「ですね」
「では、当日11時より撮影開始ですので、くれぐれもよろしくお願いします」
「承知しました」
愛美は頭を下げて、話が一区切りつく。
「じゃあ、次ですが——」
間髪入れずに議題を移す間藤は、足元の鞄に手を伸ばす。資料を数枚漁ると、「これだ」と呟き、それらを漏れなく面々に配った。
「一枚余分に刷っておいてよかったです。折角来たので、第四弾の触りでも打ち合わせしておきましょう」
それは資料とは名ばかりの簡素なコピー用紙で、テーマに『第4弾に向けて』と、でかでかと題されている。狙うべき顧客層から、第一弾を打ち出してからの大まかな売上推移と購入者アンケートの記載があった。
「現状は紙面の通りなんですが、如何でしょうか?」間藤は眉根を寄せている。
「私はいい滑り出しだと思いますよ」と呑気な田辺。
「三枝さんはどう思われますか?」
「私も悪くはない数字だと思います––––」
隣では頻りに田辺が頷いている。
「ですが、この時期にスポーツドリンクが売れるのは当然のことです。新商品とは言え、ネームバリューもありますし、目新しい物に飛びつく日本人の習性もあります。これでは頭打ちになる可能性が……」
「そうなんですよ。その辺の知見が我々にはないので、ご相談したくて……」
いくら主として行っている業務だとしても、そう咄嗟に聞かれて答えられる者などここには一人もいなかった。できるとしたら、間接的な解決法の助言ぐらいだ。
「期間はそうありませんが、コンペという形にするのはどうですか? 新しい発想が生まれるかもしれませんよ」後藤のその言葉が、鶴の一声となる。
間藤が少し考える素振りを見せると、明るい表情で頷いた。
「うん。コンペ。いいですね。田辺部長の手腕も見れますし、それでいきましょう」
俄然やる気の間藤。やれと言われたら最善を尽くす愛美に、何やらニヤける後藤。そして、乗り気でない田辺。物静かな佐倉の表情に変化はない。
五者五葉に、まとまりのない者達であった。その後も、愛美のスマホのSNSの通知音そっちのけで、打ち合わせは進み続ける。
拝復
お手紙拝見いたしました。ますますご清栄の段、慶賀に存じます。
お手紙にありました『ねおん』というお店ですが、調べたところ、私好みのお店だと分かりました。休職の身ということで時間はあります。是非、食事に行きましょう。
敬具
七月二十八日
青葉渚
三枝愛美様
追伸 仕事中に何やってるんですか? 新手の嫌がらせかと思いましたよ。
正直、あの時話していたことは話半分だと思っていました。先輩がそこまで本
気ということであれば、これを渡します。私には使う勇気がありませんでした。
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