第4話

 愛美は一度立ち止まり、ドアの前で緊張を解す。そして、「よしっ」と勇ましくドアを開けるのだった。

「戻りました」意気込みとは裏腹に、小声の愛美。

 誰にも、主に上司に見つからないように身を屈め、自分のデスクへと向かう。幸いなことに誰からも話しかけられることなくデスクに到着した愛美であったが、警戒は解かなかった。キョロキョロと周囲を見回し、上司がいないこと確認すると、そこでようやく愛美は安堵する。

「ふう」息を吐く愛美。そんな彼女に、さも興味無さそうに隣から声をかける人物がいた。

「田辺部長なら会議室だよ」デスクワークをしながら、隣席の工藤が言う。

「よかった~」愛美は言葉を漏らしつつ、天井を仰ぎ見た。その中でも、隣からはカタカタというデスクワークをする音が聞こえている。

「安心したわ」不意に工藤が言う。

 それを、愛美は体勢を変えることなく聞いていた。

「何が?」

「あのまま帰って来ないんじゃないかと思って。数少ない同僚だから、いなくなったら私も寂しいわ」

「そう思うなら手を止めて言ってよ」

「そうしたいのは山々だけと、私も忙しいのよ。さっき部長に『今やってる案件、いつ頃終わるんだ』って発破かけられたし。また、仕事積まれるじゃない。ヤダヤダ」

 と言いつつも、手を止める気配が全くない。終始口調に抑揚のないもなく無表情の彼女。その淡々と仕事をする様は、まさにロボットのようである。社畜の鑑と言えよう。

「ねえ、寧々ちゃん」

「何?」

「聞いて言い?」

「忙しいから、後にして」

「もう、そんなこと言わないでよ」愛美は工藤の腕を掴む素振りを見せた。それを工藤は察し、手を止める。そして、愛美に睨みを利かすのだった。

「ゴメンって。そんな怖い顔しないでよ」

「ハァ」大きく息を吐く工藤。

「ちょっと、待って」と言うと、ブラインドタッチで仕事を進め、数秒後には手を止めた。

 工藤は愛美の方に身体を向け、態勢をつくる。

「それで、聞きたいことって何?」

 もごもごとする愛美。

「そんなにかしこまられたら言いにくいんだけど……」

「じゃあ、いいわね」

 躊躇することなく仕事に戻ろうとする工藤を、愛美は必死で止める。

「待って待って。言うから」

 やはり少し躊躇う愛美であったが、ようやく決心が付き、顔を上げた。

「寧々ちゃんは、どうして働いてるの?」

「何、その質問。今しないといけなかったの?」

 愛美は大きく頷くことで、意思表示をした。その真剣な眼差しに、工藤も思考を巡らす。

「生活のためっていうのじゃ……」工藤は愛美を窺う。その愛美の変わらない眼差しに、その答えが間違いであることを悟る。

「ダメよね。そうね――。夢のためっていうのが、一番適当かしら」

「夢って、お金がかかる夢なの?」

「べつに、そういうわけじゃないわ」

「じゃあ、どういう?」

「学生のときに、友達に言われたのよ。『嫌いなことから避けていたら、いずれ好きなこともできなくなる』って。当時は分からなかったわ、彼女は言っていることが。でも、最近になって、何となく分かるようになったの。今辛い現状だけど、絶対夢を叶えて会社の奴ら見返してやるって。その反骨心かな。仕事を続けているの」

「そうなんだ」

 ガシッと、工藤の手を掴む愛美。そんな彼女の目は珍しく輝いていた。

「私、応援するよ。寧々ちゃんの夢のこと。内容は分からないけど、頑張れ寧々ちゃん」

「う、うん。ありがとう」

 若干引き気味の工藤に対して、愛美は至って前のめりだった。しかし、それと同時に彼女の脳裏にふと過ぎる。

 私は将来、一体何がしたいのだろうか、と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る